とはずがたり ====== 巻2 3 善勝寺大納言御使にて隆親卿のもとへことのよしを仰せらる・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu2-02|<>]] 善勝寺大納言((四条隆顕))、御使(つかひ)にて、隆親卿((四条隆親))のもとへ、ことのよしを仰せらる。「かへすがへす、尾籠(びろう)のしわざに候ひけり。急ぎ贖(あが)ひ申さるべし」と申さる。「日数延び候へば、悪しかるべし。急ぎ、急ぎ」と責められて、二十日ぞ参られたる。 御ことゆゆしくして、院の御方へ、御直衣(なほし)皆具(かいぐ)((「皆具」は底本「かいて」))、御小袖十、御太刀一つ参る。二条左大臣((二条師忠))より公卿六人に、太刀一つづつ、女房たちの中へ檀紙(だむし)百帖参らせらる。 二十一日、やがて善勝寺の大納言、御事常のごとく、御所へは、綾練貫(ねりぬき)、紫にて琴・琵琶を作りて参らせらる。また、銀(しろかね)の柳筥(やないばこ)に瑠璃の御盃参る。公卿に馬・牛、女房たちの中へ染物にて行器(ほかい)を作りて、糸にて瓜を作りて、十合参らせらる。 御酒盛り、いつよりもおびただしきに、折節、隆遍僧正((四条隆親の子「隆遍」と冷泉隆房の子「隆弁」の二説がある。))参らる。やがて御前へ召されて、御酒盛りのみぎりへ参る。鯉を取り出だしたるを、「宇治の僧正の例あり。その家より生まれて、いかがもだすべき。切るべき」よし、僧正に御気色あり。固く辞退申す。仰せたびたびになる折、隆顕、まな板を取りて、僧正の前に置く。懐(ふところ)より庖丁刀(はうちやうがたな)・まな箸を取り出でて、このそばに置く。「この上は」としきりに仰せらる。御所の御前に御盃あり。力なくて、香染めの袂(たもと)にて切られたりし、いとめづらかなりき。少々切りて、「頭(かしら)をばえ割り侍らじ」と申されしを、「さるやう、いかが」とて、なほ仰せられしかば、いとさはやかに割りて、急ぎ御前を立つを、いたく((「いたく」は底本「いて」))御感ありて、今の瑠璃の盃を柳筥にすゑながら、門前へ送らる。 [[towazu2-02|<>]] ===== 翻刻 ===== 御あかいにさたまるせんせう寺大納言御つかひにてたかちか 卿のもとへ事のよしをおほせらる返々ひろうのしわさに 候けりいそきあかい申さるへしと申さる日数のひ候へは あしかるへしいそきいそきとせめられて廿日そまいられたる 御ことゆゆしくして院の御かたへ御なをしかいて 御小袖十御たち一まいる二条左大臣より公卿六人に たち一つつ女房たちの中へたむし百帖まいらせらる 廿一日やかてせんせうしの大納言御事つねのことく御所/s69r k2-8 へはあやねりぬきむらさきにてことひわをつくりてま いらせらる又しろかねのやないはこにるりの御さか月まい る公卿にむまうし女房たちの中へそめ物にてほかいをつ くりていとにてうりをつくりて十合まいらせらる御さか もりいつよりもおひたたしきにをりふしりうへんそう 正まいらるやかて御まへへめされて御さかもりのみきりへ まいるこいをとり出したるをうちの僧正のれいありその いへよりむまれていかかもたすへききるへきよし僧正に 御けしきありかたくしたい申おほせたひたひになるをり たかあきまないたをとりて僧正のまへにをくふところ よりほうてうかたなまなはしをとりいててこのそはにをく/s69l k2-9 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/69 このうへはとしきりにおほせらる御所の御まへに御さか月あり ちからなくてかうそめのたもとにてきられたりしいとめつら かなりきせうせうきりてかしらをはえわり侍らしと申 されしをさるやういかかとて猶おほせられしかはいとさは やかにわりていそき御まへをたつをいて御かんありて 今のるりのさか月をやないはこにすへなから門前へを くらるさるほとにたかあき申すやうおほちおちなととて/s70r k2-10 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/70 [[towazu2-02|<>]]