とはずがたり ====== 巻1 37 さても去年出で来給ひし御方人知れず隆顕の営みぐさにておはせしが・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-36|<>]] さても、去年(こぞ)出で来給ひし御方((作者の子で後深草院皇子))、人知れず、隆顕((四条隆顕))の営みぐさ((「営みぐさ」は底本「いとなみくま」。))にておはせしが、このほど御悩みと聞くも、身の過ちの行く末はかばかし((「はかばかし」は底本「はるはるし」))からじと思ひもあへず、神無月の初めの八日にや、時雨の雨のあまそそき、露とともに消え果て給ひぬと聞けば、かねて思ひまうけにしことなれども、あへなくあさましき心の内、おろかならむや。 前後相違の別れ、愛別離苦(あいべちりく)の悲しみ、ただ身一つにとどまる。幼稚にて母におくれ、盛りにて父を失なひしのみならず、今またかかる思ひの袖の涙、かこつかたなきばかりかは。 馴れゆけば、帰る朝(あした)は名残を慕ひて、また寝の床に涙を流し、待つ宵には更け行く鐘に音を添へて、待ちつけて後は、「また世にや聞こえん」と苦しみ、里に侍る折は、君の御面影を恋ひ、かたはらに侍る折は、またよそに積まる夜な夜なを恨み、わが身にうとくなりましますことも悲しむ。人間(にんげん)の習ひ、苦しくてのみ明け暮るる、一日一夜に八億四千((「八億四千」は底本「いとと四千」。))とかやの悲しみも、ただわれ一人に思ひつづくれば、しかじ、ただ恩愛の境界(きやうがい)を別れて、仏弟子となりなん。 九つの年にや、西行が修行の記といふ絵を見しに、かたがたに深き山を描きて、前には河の流れを描きて、花の散りかかるに居て、ながむるとて、   風吹けば花の白波岩越えて渡りわづらふ山川の水 と詠みたるを描きたるを見しより、うらやましく、「難行苦行はかなはずとも、われも世を捨てて、足にまかせて行きつつ、花のもと露の情けをも慕ひ((『新古今和歌集』釈教 寂然「花のもと露の情けはほどもあらじ酔ひなすすめそ春の山風」))、紅葉の秋の散る恨みをも述べて、かかる修行の記を書き記して、亡からん後の形見にもせばや」と思ひしを、三従(みしよう)の憂へ逃れざれば、親に従ひて日を重ね、君に仕へても、今日まで憂き世に過ぎつるも、「心のほかに」など思ふより、憂き世を厭ふ心のみ深くなり行くに、この秋ごろにや御所ざまにも世の中すさまじく、「後院の別当(べたう)なと置かるるも、御面目なし」とて、太上天皇の宣旨を天下へ返し参らせて、御随身ども召し集めて、みな禄(ろく)ども給はせて、暇(いとま)賜びて、「久則一人、後しに侍るべし」とありしかば、面々に袂(たもと)を絞りてまかり出で、「御出家あるべし」とて、人数定められしにも、「女房には東の御方((洞院愔子))、二条((作者))」とあそばされしかば、「憂きは嬉しきたよりにもや」と思ひしに、鎌倉((北条時宗))よりなだめ申して、東の御方の御腹の若宮((熈仁親王・伏見天皇))、位にゐ給ひぬれば、御所ざまもはなやかに、角(すみ)の御所は御影御わたりありしを、正親町殿へ移し参らせられて、角の御所、春宮(とうぐう)の御所になりなどして、京極殿とて院の御方に候ふは、昔の新典侍殿 なれば、何となくこの人は過ごさねど、憂かりし夢のゆかりに覚えしを、立ち返り大納言のすけとて、春宮の御方に候ひなどするにつけても、よろづ世の中物憂ければ、ただ山のあなたにのみ心は通へども、いかなる宿執なほ逃れがたきやらん。 歎きつつ、また旧年(ふるとし)も暮れなんとするころ、いといたう召しあれば、さすかに捨て果てぬ世なれば参りぬ。 [[towazu1-36|<>]] ===== 翻刻 ===== も思ひたるも心のひまなしさてもこそいてき給し御かた人 しれすたかあきのいとなみくまにておはせしかこの程御 なやみときくも身のあやまちの行すゑはるはるしからし とおもひもあへす神な月のはしめの八日にやしくれの雨 のあまそそき露とともにきえはて給ぬときけはかねて思 まうけにし事なれともあへなくあさましき心のうち をろかならむや前後さういのわかれあいへちりくのかなしみ たた身一にととまるようちにてははにをくれさかりにて ちちをうしなひしのみならすいま又かかる思の袖のなみた/s47r k1-84 かこつかたなきはかりかはなれゆけはかへる朝はなこりをし たひて又ねのとこに涙をなかしまつよひにはふけ行 鐘にねをそへてまちつけて後は又世にやきこえんと くるしみさとに侍おりは君の御おもかけをこひかたはらに 侍おりは又よそにつまるよなよなをうらみ我身にうとくなり ましますこともかなしむ人けんのならひくるしくてのみ あけくるる一日一夜にいとと四千とかやのかなしみもたた我 一人に思つつくれはしかしたたおんあいのきやうかいをわか れて仏弟子となりなん九のとしにや西行か修行のきと いふゑをみしにかたかたにふかき山をかきてまへには河の なかれをかきて花のちりかかるにゐてなかむるとて/s47l k1-85 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/47  風吹は花のしら浪岩こえてわたりわつらふ山川の水 とよみたるをかきたるをみしよりうらやましくなん行く きやうはかなはすとも我も世をすててあしにまかせて 行つつ花のもと露のなさけをもしたひもみちの秋のちる うらみをものへてかかるしゆ行のきをかきしるしてなか らん後のかたみにもせはやと思しをみせうのうれへのかれ されはおやにしたかひて日をかさね君につかへてもけふまて うき世にすきつるも心のほかになと思よりうき世をいとふ 心のみふかくなり行にこの秋ころにや御所さまにもよの中 すさましく後院のへたうなとをかるるも御めんほくなし とて太上天皇のせむしを天下へ返しまいらせて御すい/s48r k1-86 身ともめしあつめてみなろくとも給はせていとまたひてひさ のり一人後しに侍へしとありしかはめむめむにたもとを しほりてまかりいて御出家あるへしとて人数さためられし にも女房には東の御かた二条とあそはされしかはうきはうれしき たよりにもやと思しにかまくらよりなため申て東の 御かたの御はらのわか宮位にゐ給ぬれは御所さまもはなやかに すみの御所は御ゑい御わたりありしをおほきまち殿へ うつしまいらせられてすみの御所春宮の御所になりな として京極殿とて院の御かたに候はむかしの新すけ殿 なれはなにとなくこの人はすこさねとうかりし夢のゆかりに 覚しをたち返り大納言のすけとて春宮の御かたに候/s48l k1-87 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/48 なとするにつけてもよろつ世中物うけれはたた山の あなたにのみ心はかよへともいかなるしゆくしう猶のかれかた きやらんなけきつつ又ふる年もくれなんとする比いといたう めしあれはさすかにすてはてぬ世なれはまいりぬ兵部卿のさた/s49r k1-88 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/49 [[towazu1-36|<>]]