とはずがたり ====== 巻1 29 年の残りも今三日ばかりやと思ふ夕つ方・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-28|<>]] 「年の残りも今三日ばかりや」と思ふ夕つ方、常よりも物悲しくて、主(あるじ)の前に居たれば、「かくほどのどかなるここと、またはいつかは」など言ひて、「心ばかりは、つれづれをもなぐさめん」など思ひたる気色にて、物語して、年寄たる尼たち呼び集めて、過ぎにし方の物語などするに、前なる槽(ふね)に入る懸樋(かけひ)の水も凍り閉ぢつつ物悲しきに、向ひの山に薪樵(たきぎこ)る斧の音の聞こゆるも、昔物語の心地してあはれなるに、暮れ果てぬれば、御灯明(みあかし)の光どもも面々に見ゆ。「初夜行ひ、今宵はとくこそ」など言ふほどに、そばなる妻戸を忍びて打ち叩く人あり。「あやし。誰(た)そ」と言ふに、おはしたる((雪の曙・西園寺実兼が))なりけり。 「あなわびし。これにては、かかるしどけなき振舞も、目も耳も恥かしく覚ゆる上、かかる思ひのほどなれば、心清くてこそ、仏の行ひもしるきに、御幸などいふはさる方にいがかはせん、すさみごとに心汚なくさへは、いかかぞや。帰り給ひね」など、けしからぬほどに言ふ折節、雪いみじく降りて、風さへ激しく、吹雪とかやいふべき気色なれば、「あな、耐へがたや。せめては内へ入れ給へ。この雪やめてこそ」など言ひしろふ。 主の尼御前(あまごせん)たち聞きけるにや、「いかなるけしからず、情けなさぞ。誰(たれ)にてもおはしますべき御心ざしにてこそ、ふりはへ訪ね給ふらめ。山おろしの風の寒きに何事ぞ」とて、妻戸はづし、火なとおこしたるにかこちて、やがて入り給ひぬ。 雪はかこち顔に、峰も軒端(のきば)も一つに積もりつつ、夜もすがら吹荒るる音もすさまじとて、明け行けども起きも上がられず、馴れ顔なるも、なべてそら恐しけれども、何とすべき方なくて案じゐたるに、日高くなるほどに、さまざまのことども用意して、伺候(しこう)の者二人ばかり来たり。「あなむつかし」と見るほどに、主の尼たちの取り散らすべき物など、分かちやる。「年の暮れの風の寒けさも忘れぬべく」など言ふほどに、念仏の尼たちの袈裟・衣、仏の手向けになど思ひ寄らるるに、いよいよ、「山賤(やまがつ)の垣穂(かきほ)も光出で来て」など、面々に言ひ合ひたるこそ、聖衆(しやうじゆ)の来迎(らいがう)よりほかは、君の御幸に過ぎたるやあるべきに、いとかすかに見送り奉りたるばかりにて、「ゆゆし」、「めでたし」など言ふ人もなかりき。 「言ふにや及ぶ、かかることやは」とも言ふべきことは、ただいまのにぎははしさに((「にぎははしさに」は底本「わ(に歟)きははしさに」。「わ」に「に歟」と傍注。))、誰も誰もめでまどふさま、世の習ひもむつかし。春待つべき装束、華やかならねど、縹(はなだ)にや、あまた重なりたるに、白き三つ小袖取り添へなどせられたるも、「よろづ聞く人やあらむ」とわびしきに、今日は日暮し九献(くこん)にて暮れぬ。 明くれば、「さのみも」とて帰られしに、「立ち出でてだに見送り給へかし」とそそのかされて、起き出でたるに、ほのぼのと明くる空に、峰の白雪光あひて、すさまじげに見ゆるに、色なき狩衣着たる者二・三人見えて、帰り給ひぬる名残も、また忍びがたき心地するこそ、われながらうたて思え侍りしか。 [[towazu1-28|<>]] ===== 翻刻 ===== としののこりもいま三日はかりやとおもふ夕つかたつねよりも 物かなしくてあるしのまへにゐたれはかく程のとかなる事 又はいつかはなといひて心はかりはつれつれをもなくさめんなと 思たるけしきにて物かたりしてとしよりたるあまたち よひあつめて過にしかたの物かたりなとするにまへなる ふねに入かけひの水もこほりとちつつ物かなしきにむかひの 山にたききこるおののをとのきこゆるもむかし物かたりの/s38l k1-67 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/38 心ちしてあはれなるに暮はてぬれは御あかしの光ともも めむめむにみゆしよやをこなひこよひはとくこそなといふ 程にそはなるつまとを忍てうちたたく人ありあやし たそといふにおはしたるなりけりあなわひしこれにてはかかる しとけなきふるまひもめもみみもはつかしくおほゆるうへかか る思のほとなれは心きよくてこそ仏のをこなひもしるき に御幸なといふはさるかたにいかかはせんすさみことに心き たなくさへはいかかそや帰給ねなとけしからぬ程にいふ おりふし雪いみしくふりて風さへはけしくふふきとかや いふへきけしきなれはあなたへかたやせめてはうちへ入給へ この雪やめてこそなといひしろふあるしのあまこせんたち/s39r k1-68 ききけるにやいかなるけしからすなさけなさそたれにても おはしますへき御心さしにてこそふりはへたつね給らめ山おろし の風のさむきになに事そとてつまとはつし火なとをこし たるにかこちてやかて入給ぬ雪はかこちかほにみねものきは も一につもりつつ夜もすから吹あるるをともすさましとてあけ 行ともおきもあかられすなれかほなるもなへて空をそろし けれともなにとすへきかたなくてあむしゐたるにひたかく なる程にさまさまの事ともようゐしてしこうの物二人は かりきたりあなむつかしとみるほとにあるしのあまたちの とりちらすへき物なとわかちやるとしのくれの風の寒け さもわすれぬへくなといふ程に念仏のあまたちのけさ/s39l k1-69 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/39 ころも仏のたむけになと思よらるるにいよいよ山かつの かきほも光いてきてなとめむめむにいひあひたるこそしやう しゆのらいかうよりほかは君の御ゆきにすきたるやある へきにいとかすかに見をくりたてまつりたるはかりにてゆゆし めてたしなといふ人もなかりきいふにやをよふかかる事 やはともいふへきことはたたいまのわ(に歟)きははしさに誰も誰も めてまとふさま世のならひもむつかし春まつへきしやう そくはなやかならねとはなたにやあまたかさなりたるに しろき三小袖とりそへなとせられたるもよろつきく人や あらむとわひしきにけふは日くらしくこんにてくれぬ あくれはさのみもとてかへられしに立いててたにみをくり/s40r k1-70 給へかしとそそのかされておきいてたるにほのほのとあくる空 にみねのしら雪光あひてすさましけに見ゆるに色なき かりきぬきたる物二三人みえてかへり給ぬるなこりも又忍ひ かたき心ちするこそ我なからうたておほえ侍しかつこもり/s40l k1-71 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/40 [[towazu1-28|<>]]