とはずがたり ====== 巻1 22 その折りのその暁より日を隔てず心の内はいかにいかにと・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-21|<>]] その折り((父、久我雅忠の死))のその暁より、日を隔てず、「心の内は、いかに、いかに」ととぶらひし人((雪の曙・西園寺実兼))の、長月の十日あまりの月をしるべに、訪ね入りたり。 なべて黒みたるころなれば、無紋の直衣姿なるさへ((「なるさへ」は底本「なりさへ」))、わが色にまがふ心地して、人づてに言ふべきにしあらねば、寝殿の南向きにて会ひたり。「昔今(むかしいま)のあはれ取り添へて、今年は常の年にも過ぎて、あはれ多かる、袖の暇(ひま)なき一年の、雪の夜の九献(くこん)の式、『常に逢ひ見よ((雅忠の雪の曙に対する言葉。))』とかやも、せめての心ざしと思えし」など、泣きみ笑ひみ、夜もすがら言ふほどに、明け行く鐘の声聞こゆるこそ、げに逢ふ人からの秋の夜は((『古今和歌集』恋三 凡河内躬恒「長しとも思ひぞはてぬ昔より逢ふ人からの秋の夜なれば」))、言葉残りて鳥鳴きにけり((『伊勢物語』22段「秋の夜の千夜を一夜になせりとも言葉残りて鳥や鳴きなむ」))。 「『あらぬさまなる朝帰り』とや世に聞こえん」など言ひて帰るさの名残りも多き心地して、   別れしも今朝の((「今朝の」は底本「ふ(け歟)さの」。「ふ」に「け歟」と傍書。))名残を取りそへて置き重ねぬる袖の露かな はした者して、車へ使はし侍りしかば、   名残とはいかが思はん別れにし袖の露こそ暇(ひま)なかるらめ 夜もすがらの名残も、「誰(た)が手枕(たまくら)にか」と、われながらゆかしきほどに、今日は思ひ出でらるる折節、檜皮(ひはだ)の狩衣着たる侍((「侍」は底本「さふらは」。))、文の箱を持ちて、中門のほどにたたずむ。彼よりの使(つかひ)なりけり。いと細やかにて、   忍びあまりただうたたねの手枕に露かかりきと人やとがむる よろづあはれなるころなれば、かやうのすさみごとまでも名残りある心地して、われもこまごまと書きて、   秋の露はなべて草木に置くものを袖にのみとは誰(たれ)かとがめん [[towazu1-21|<>]] ===== 翻刻 ===== つねならぬ事なりそのおりのそのあかつきより日をへたて す心のうちはいかにいかにととふらひし人のなか月の十日あ まりの月をしるへにたつね入たりなへてくろみたるころ なれはむもむのなをしすかたなりさへ我色にまかふ ここちして人つてにいふへきにしあらねはしん殿のみなみ/s29l k1-49 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/29 むきにてあひたりむかしいまのあはれとりそへてことしは つねのとしにもすきてあはれおほかる袖のひまなき一とせ の雪の夜のくこんのしきつねに逢見よとかやもせめての 心さしとおほえしなとなきみわらひみよもすからいふ程に あけ行かねのこゑきこゆるこそけに逢人からの秋のよは こと葉のこりて鳥なきにけりあらぬさまなる朝かへりとや 世にきこえんなといひてかへるさのなこりもおほき心ちして  わかれしもふ(け歟)さの名残をとりそへてをきかさねぬる袖の露かな はしたものしてくるまへつかはし侍しかは  名残とはいかか思はん別にし袖の露こそひまなかるらめ 夜もすからの名残もたかたまくらにかと我なからゆかしき程に/s30r k1-50 けふは思出らるるおりふしひわたのかり衣きたるさふらは 文のはこをもちて中門のほとにたたすむかれよりのつかひ なりけりいとこまやかにて  忍あまりたたうたたねの手枕に露かかりきと人やとかむる よろつあはれなるころなれはかやうのすさみことまてもな こりある心ちして我もこまこまとかきて  秋の露はなへて草木にをく物を袖にのみとは誰かとかめん/s30l k1-51 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/30 [[towazu1-21|<>]]