とはずがたり ====== 巻1 19 今日などは心地も少しおこたるやうなればもしやなど思ひゐたるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-18|<>]] 今日などは、心地も少しおこたるやうなれば、「もしや」など思ひゐたるに、更けぬれば、傍らにうち休むと思ふほどに、寝入りにけり。 おどろかされて起きたるに、「あなはかなや。今日明日とも知らぬ道に出で立つ歎きをも忘れて、ただ心苦しきことをのみ思ひゐたるに、はかなく寝たるを見るさへ、悲しう思ゆる。さても、二つにて母に別れしより、われのみ心苦しく、あまた子どもありといへども、おのれ一人に三千の寵愛もみな尽したる心地を思ふ。笑めるを見ては、百の媚(こび)ありと思ふ。愁へたる気色を見ては、ともに歎く心ありて、十五年の春秋を送り迎へて、今すでに別れなんとす。君に仕へ、世に恨みなくは、慎みて怠ることなかるべし。思ふによらぬ世の習ひ、もし君にも世にも恨みもあり、世に住む力なくは、急ぎてまことの道に入りて、わが後生をも助かり、二つの親の恩をも送り、一つ蓮(はちす)の縁と祈るべし。世に捨てられ、頼りなしとて、また異君(こときみ)にも仕へ、もしは、いかなる人の家にも立ち寄りて、世に住むわざをせば、亡き後(あと)なりとも、不孝(ふけう)の身と思ふべし。夫妻(ふさい)のことにおきては、この世のみならぬことなれば、力なし。それも、髪を付けて好色の家に名を残しなどせむことは、かへすがへす憂かるべし。ただ、世を捨てて後は、いかなるわざも苦しからぬことなり」など、いつよりも細やかに言はるるも、「これや教へのかぎりならむ」と悲しきに、明け行く鐘の声聞こゆるに、例の下に敷く車前草(おほばこ)の蒸したるを、仲光((「仲光」は底本「なりみつ」))、持ちて参りて、「敷き替へん」と言ふに、「今は近付きて思ゆれば、何もよしなし。何まれ、まづこれに食はせよ」と言はる。 「ただ今は何をか」と思へども、しきりにわれ見る折り、「とくとく」と言はるるより、「今ばかりこそ見られたりとも、後はいかに」と、あはれに思えしか。芋巻(いもまき)といふ物を土器(かはらけ)に入れて、持ちて来たれば、「かかるほどには、食はせぬ物を」とて、世に悪(わろ)げに思ひたるもむつかしくて、まぎらかして取りのけぬ。 [[towazu1-18|<>]] ===== 翻刻 ===== をそひかれたりし今日なとは心ちもすこしをこたるや うなれはもしやなと思ゐたるにふけぬれはかたはらに/s24l k1-39 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/24 うちやすむと思ほとにね入にけりおとろかされておきた るにあなはかなやけふあすともしらぬみちに出たつな けきをもわすれてたた心くるしきことをのみ思ゐたるに はかなくねたるをみるさへかなしうおほゆるさても二にて 母にわかれしより我のみ心くるしくあまた子ともありと いへともをのれ一人に三千のてうあいもみなつくしたる ここちをおもふゑめるをみては百のこひありとおもふうれへ たるけしきをみてはともになけく心ありて十五年の 春秋ををくりむかへていますてにわかれなんとす君につ かへ世にうらみなくはつつしみてをこたる事なかるへし 思ふによらぬ世のならひもし君にも世にも恨もあり世に/s25r k1-40 すむちからなくはいそきてまことのみちに入て我後生を もたすかり二のをやのをんをもおくりひとつはちすの えんといのるへし世にすてられたよりなしとてまた こと君にもつかへもしはいかなる人の家にもたちより てよにすむわさをせはなきあとなりともふけうの身 と思へしふさひのことにをきてはこの世のみならぬ事 なれはちからなしそれもかみをつけてかうしよくの家に 名をのこしなとせむことは返々うかるへしたた世をす ててのちはいかなるわさもくるしからぬ事なりなといつ よりもこまやかにいはるるもこれやをしへのかきり ならむとかなしきにあけ行鐘のこゑきこゆるにれいの/s25l k1-41 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/25 したにしくをうはこのむしたるをなりみつもちて まいりてしきかへんといふにいまはちかつきておほゆれは なにもよしなしなにまれまつこれにくはせよといはる たたいまはなにをかと思へともしきりに我みるおりとく とくといはるるよりいまはかりこそ見られたりとも後は いかにとあはれにおほえしかいもまきといふ物をかはらけに いれてもちてきたれはかかる程にはくはせぬ物をとて よにわろけに思たるもむつかしくてまきらかして とりのけぬあけはなるるほとにひしりよひにつかはせ/s26r k1-42 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/26 [[towazu1-18|<>]]