とはずがたり ====== 巻1 17 二十日ごろにはさのみいつとなきことなれば御所へ参りぬ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-16|<>]] 二十日ごろには、さのみいつとなきことなれば、御所へ参りぬ。ただにもなきほとに思し召されて後は、ことにあはれどもかけさせおはしますさまなるも((「なるも」は底本「なにも」。))、「いつまで草の」とのみ((「とのみ」は底本「とのと(み歟)」。「と」に「み歟」と傍書。))思ゆるに、御匣殿(みくしげどの)((藤原房子。底本「さ(御)くら(し歟)け殿」で、「さ」に「御」、「ら」に「し歟」と傍注。))さへ、この六月に産(さむ)するとて失せ給ひにしも、「人の上かは」と恐しきに、大納言((父、久我雅忠))の病のやう、つひにはかばかしからじと見ゆれば、「何となる身の((『続古今和歌集』羇旅 藤原光俊「哀れなり何となるみの果てなればまたあくがれて浦伝ふらむ」))」との歎きつつ、七月も末になるに、二十七日の夜にや、常よりも御人少なにてありしに、「寝殿の方へ、いざ」と仰せありしかば、御供に参りたるに、人の気配もなき所なれば、静かに昔今の御物語ありて、「無常の習ひもあぢきなく思し召さるる」など、さまざま仰せありて、「大納言も、つひにはよもと思ゆる。いかにもなりなば((「なりなば」は底本「なりなむ」。))、いとど頼む方なくならんずるこそ。われよりほかは、誰かあはれもかけんとする」とて、御涙もこぼれぬれば、問ふにつらさもいと悲し。 月なきころなれば、灯籠(とうろ)の火かすかにて、内も暗きに、人知れぬ御物語、小夜(さよ)更くるまでになりぬるに、うち騒ぎたる人音して尋ぬ。「誰ならむ」と言ふに、河崎より、「今と見ゆる」とて告げたるなりけり。 とかくのこともなく、やがて出づる道すがらも、「はや果てぬやと聞かむ」と思ひ行くに、急ぎ行くと思へども、道のはるけさ東路(あづまぢ)なとを分けん心地するに、行き着きて見れば、「なほ長らへておはしけり」と。いと嬉しきに、「風待つ露も消えやらず((『新古今和歌集』雑下 藤原俊成「小笹原風待つ露の消えやらでこの一節を思ひおくかな」))、心苦しく思ふに、ただにもなしとさへ見置きて行かん道の空なく」など、いと弱げに泣かるるほどに、更け行く鐘の声、ただ今聞こゆるほどに、「御幸」と言ふ。いと思はずに、病人(やまひびと)も思ひ騒ぎたり。 御車さし寄する音すれば、急ぎ出でたるに、北面の下臈二人、殿上人一人にて、いとやつして入らせ給ひたり。二十七日の月、ただ今山の端(は)分け出づる光もすごきに、吾亦紅(われもかう)織りたる薄色の御小直衣にて、とりあへず思し召し立ちたるさまも、いと面立(おもだ)たし。「今は狩りの衣をひきかくるほどの力も侍らねば、見え奉るまでは思ひより侍らず。かく入りおはしましたると承るなん、今はこの世の思ひ出でなる」よしを奏し申さるるほどなく、やがて引き開けて入らせ給ふほどに、起き上がらむとするもかなはねば、「ただ、さてあれ」とて、枕に御座を敷きて、ついゐさせ給ふより、袖の外まて漏る御涙も所狭(せ)く、「御幼くより馴れつかうまつりしに、今はと聞かせおはしましつるも悲しく、今一度と思し召し立ちつる」など仰せあれば、「かかる御幸の嬉しさも置き所なきに、この者が心苦しさなむ、思ひやる方なく侍る。母には二葉にておくれにしに、『われのみ』と思ひ育み侍りつるに、ただにさへ侍らぬを見置き侍るなん、あまたの愁へにまさりて、悲しさも、あはれさも、言はん方なく侍る」よし、泣く泣く奏せらるれば、「ほどなき袖を、われのみこそ((『源氏物語』浮舟「涙をもほどなき袖にせきかねていかに別れをとどむべき身ぞ」))。まことの道の障りなく」など、細やかに仰せありて、「ちと、休ませおはしますべし」とて、立たせ給ひぬ。 明け過ぐるほどに、「いたくやつれたる御さまもそら恐し」とて、急ぎ出で給ふに、「久我太政大臣((久我通光。雅忠父、作者の祖父。))の琵琶とて持たれたりしと、後鳥羽院の御太刀をはるかに移され給ひけるころとにや、太政大臣に給はせたりけるとてありしを、御車((後深草院の乗った車。))に参らす」とて、縹(はなだ)の薄様の札にて、御太刀の緒(を)に結び付けられき。   別れても三世(みよ)の契のありときけばなほ行末をたのむばかりぞ 「あはれに御覧ぜられぬる。何事も心やすく思ひ置け」など、かへすがへす仰せられつつ、還御なりて、いつしか御みづからの御手にて、   このたびは憂き世のほかにめくり会はむ待つ暁の有明の空 「何となく御心に入りたるも嬉しく」など、思ひ置かれたるも、あはれに悲し。 [[towazu1-16|<>]] ===== 翻刻 ===== のみたさにこそとおほえしさまつみふかくこそおほえ侍廿 日ころにはさのみいつとなき事なれは御所へまいりぬたたにも なきほとにおほしめされて後はことにあはれともかけさせ おはしますさまなにもいつまて草のとのと(み歟)おほゆるにさ(御)くら(し歟) け殿さへこの六月にさむするとてうせ給にしも人の上かはと おそろしきに大納言のやまひのやうつゐにはかはかし からしとみゆれはなにとなるみのとのみなけきつつ七月も すゑになるに廿七日の夜にやつねよりも御人すくなにて ありしにしん殿のかたへいさとおほせありしかは御ともに まいりたるに人のけはひもなき所なれはしつかにむかしいま/s22r k1-34 の御物かたりありてむしやうのならひもあちきなくおほし めさるるなとさまさまおほせありて大納言もつゐにはよも とおほゆるいかにもなりなむいととたのむかたなくならん するこそ我よりほかは誰かあはれもかけんとするとて御 涙もこほれぬれはとふにつらさもいとかなし月なきころ なれはとうろの火かすかにてうちもくらきに人しれぬ 御物かたりさ夜ふくるまてに成ぬるにうちさはきたる 人をとしてたつぬたれならむといふにかはさきよりいまと 見ゆるとてつけたる也けりとかくの事もなくやかて いつるみちすからもはやはてぬやときかむと思ひ行にいそき 行と思へともみちのはるけさあつまちなとをわけん心ち/s22l k1-35 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/22 するに行つきてみれは猶なからゑておはしけりといとうれ しきに風まつ露もきえやらす心くるしく思にたた にもなしとさへみをきてゆかんみちの空なくなといとよは けになかるる程にふけゆく鐘のこゑたたいまきこゆる 程に御幸といふいと思はすにやまひ人も思さはきたり 御車さしよするをとすれはいそき出たるに北面の下ら う二人殿上人一人にていとやつしていらせ給たり廿七日 の月たたいま山の葉わけいつる光もすこきには(わ歟)れもかう をりたるうす色の御こなをしにてとりあへすおほしめし たちたるさまもいとおもたたしいまはかりの衣をひき かくる程のちからも侍らねはみえたてまつるまては思より侍らす/s23r k1-36 かくいりおはしましたるとうけ給はるなんいまはこの世の 思出なるよしをそうし申さるる程なくやかてひきあ けていらせ給ほとにおきあからむとするもかなはねはたたさて あれとてまくらに御さをしきてついゐさせ給より袖の 外まてもる御涙も所せく御をさなくよりなれつかうまつり しにいまはときかせおはしましつるもかなしくいま一 ととおほしめし立つるなとおほせあれはかかる御ゆきのうれし さもをき所なきにこの物か心くるしさなむ思やる方なく 侍るははには二葉にてをくれにしに我のみとおもひはくくみ はへりつるにたたにさへ侍らぬをみをき侍なんあまた のうれへにまさりてかなしさもあはれさもいはんかたれく/s23l k1-37 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/23 侍よしなくなくそうせらるれは程なき袖を我のみこそま ことのみちのさはりなくなとこまやかにおほせありてちと やすませおはしますへしとてたたせ給ぬ明すくる程に いたくやつれたる御さまもそらおそろしとていそきいて給 に久我太政大臣のひわとてもたれたりしと後鳥羽院 の御たちをはるかにうつされ給けるころとにや太政大臣に 給はせたりけるとてありしを御車にまいらすとてはな たのうすやうのふたにて御たちのをにむすひつけられき  わかれてもみよの契のありときけは猶行末をたのむ計そ あはれに御らんせられぬるなに事も心やすく思をけなと 返々おほせられつつ還御なりていつしか御身つからの御てにて/s24r k1-38  このたひはうき世のほかにめくりあはむまつ暁の有明の空 なにとなく御心に入たるもうれしくなと思をかれたる もあはれにかなし八月二日いつしか善勝寺大納言御をひ/s24l k1-39 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/24 [[towazu1-16|<>]]