とはずがたり ====== 巻1 14 さるほどに十七日の朝より御気色変るとてひしめく・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-13|<>]] さるほどに、十七日の朝(あした)より御気色変るとてひしめく。御善知識には経海僧正、また往生院の長老参りて、さまざま御念仏も勧め申され、「今生にても十善の床(ゆか)を踏んで、百官にいつかれましませば、黄泉路(よみぢ)未来も頼みあり。早く上品上生の台(うてな)に移りましまして、かへりて娑婆の旧里にとどめ給ひし衆生も導きましませ」など、さまざま、かつはこしらへ、かつは教化(けうげ)し申しかども、三種の愛に心をとどめ、懺悔の言葉に道を惑はして、つひに教化の言葉に翻し給ふ御気色なくて、文永九年二月十七日酉の時、御年五十三にて崩御なりぬ。一天かきくれて、万民愁へに静み、花の衣手おしなべてみな黒み渡りぬ。 十八日、薬草院殿へ送り参らせらる。内裏よりも、頭中将((滋野井実冬))御使に参る。御室・円満院・聖護院・菩提院・青蓮院、みなみな御供に参らせ給ふ。その夜の御あはれさ、筆にもあまりぬべし。 「経任((中御門経任))、さしも御あはれみ深き人なり。出家ぞせんずらむ」と、みな人申し思ひたりしに、御骨の折、なよらかなるしじら((「しじら」は底本「ししう」))の狩衣にて、瓶子(へいじ)に入らせ給ひたる御骨を持たれたりしぞ、いと思はずなりし。 新院((後深草院))、御歎きなべてには過ぎて、夜昼(よるひる)御涙の暇(ひま)なく見えさせ給へば、さぶらふ人々も、よその袖さへ絞りぬべきころなり。天下諒闇(りやうあん)にて音奏(おんそう)・警蹕(けいひつ)とどまりなとしぬれば、「花もこの山の墨染にや開(さ)くらん((『古今和歌集』哀傷 上野岑雄「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」))」とぞ思ゆる。 大納言((父、久我雅忠))は、人より黒き御色を給はりて、この身にも御素服(そふく)を着るべきよしを申されしを、「いまだ幼きほどなれば、ただおしなべたる色にてありなん。とりわき染めずとも」と、院の御方、御気色あり。 [[towazu1-13|<>]] ===== 翻刻 ===== さるほとに十七日のあしたより御気色かはるとてひしめく 御せむちしきにはけいかい僧正又往生院の長老 まいりてさまさま御念仏もすすめ申され今生にても十 善のゆかをふんて百官にいつかれましませはよみちみらいも/s18r k1-26 たのみありはやく上品上生のうてなにうつりましまして かへりてしやはのきうりにととめ給し衆生もみちひ きましませなとさまさまかつはこしらへかつはけう けし申しかとも三しゆの愛に心をととめさむけの こと葉に道をまとはしてつゐにけうけのこと葉にひる かへし給ふ御けしきなくて文永九年二月十七日とり の時御年五十三にてほう御なりぬ一天かきくれて万民 うれへにしつみ花のころもてをしなへてみなくろみわたりぬ 十八日やくさう院殿へをくりまいらせらるたいりよりも頭 中将御使にまいる御室円満院聖護院菩提院青蓮院 みなみな御ともにまいらせ給ふその夜の御あはれさ筆にもあまり/s18l k1-27 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/18 ぬへしつねたうさしも御あはれみふかき人なり出家そせんす らむとみな人申思ひたりしに御こつのをりなよらかなる ししうのかりきぬにてへいしにいらせ給たる御こつをもたれ たりしそいと思はすなりし新院御なけきなへてには すきてよるひる御涙のひまなくみえさせ給へはさふらふ人々も よその袖さへしほりぬへきころ也天下りやうあんにてをんそう けいひつととまりなとしぬれは花もこの山のはすみそめにや 開らんとそおほゆる大納言は人よりくろき御色を給てこ の身にも御そふくをきるへき由を申されしをいまたお さなきほとなれはたたをしなへたる色にてありなんとり わきそめすともと院の御かた御けしきありさても大納言/s19r k1-28 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/19 [[towazu1-13|<>]]