とはずがたり ====== 巻1 10 八月にや東二条院の御産・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-09|<>]] 八月にや、東二条院((後深草院中宮西園寺公子))の御産、角(すみ)の御所にてなるべきにてあれば、御年も少し高くならせ給ひたる上、先々の御産もわづらはしき御ことなれば、みな肝をつぶして、大法・秘法残りなく行なはる。 七仏薬師・五壇の御修法・普賢延命・金剛童子・如法愛染王などぞ聞こえし。五壇の軍荼利の法は尾張の国にいつも勤むるに、「このたびは、ことさら御心ざしをそへて」とて、金剛童子のことも、大納言((父、久我雅忠))、申し沙汰しき。御験者には常住院((園城寺三門跡の一つ))の僧正((良尊))参らる。 二十日あまりにや、「その御気(け)おはします」とて、ひしめく。「今、今」とて、二・三日過ぎさせおはしましぬれば、誰も誰も肝・心をつぶしたるに、いかにとかや、「変はる御気色見ゆる」とて、御所へ申したれば、入らせおはしましたるに、いと弱げなる御気色なれば、御験者近く召されて、御几帳((「几帳」は底本「木丁」))ばかり隔てたり。 如法愛染の大阿闍梨にて、大御室((法助・性助法親王などの説がある。))、御伺候(しこう)ありしを、近く入り参らせて((「参らせて」は底本「まいらせむ」))、「かなふまじき御気色に見えさせ給ふ。いかがし侍るべき」と申されしかば、「定業亦能転(ぢやうごうやくのうてん)は仏菩薩の誓ひなり。さらに御大事あるべからず」とて、御念誦あるにうちそへて、御験者、証空が命に代はりける本尊にや(([[:text:hosshinju:h_hosshinju6-01|『発心集』6-1]]参照。))、絵像の不動御前にかけて、「奉仕修行者、猶如薄伽梵、一持秘密呪((「一」は底本「つ」。))、生々而加護」とて、数珠(ずず)押しすりて、「われ、幼少((「幼少」は底本「ようしやうしやう」。))の昔は、念誦の床(ゆか)に夜を明かし、長大(ちやうだい)の今は難行苦行に日((底本「日」なし。))を重ぬ。玄応擁護の利益むなしからんや」ともみふするに、すでにと見ゆる御気色あるに、力を得て、いとど煙(けぶり)もたつるほどなる。 女房たちの単襲(ひとへがさね)、正絹(すずし)の衣(きぬ)、面々に押し出だせば、御産奉行取りて、殿上人に賜ぶ。上下の北面、面々に御誦経の僧に参る。階下には、公卿着座して、皇子御誕生を待つ気色なり。陰陽師((底本「御陽師」の「御」に「陰歟」と傍書。傍書に従う。))は庭に八脚(やつあし)を立てて、千度(せんど)の御祓へを勤む。殿上人、これを取り次ぐ。女房たちの袖口を出だして、これを取り渡す。御随身・北面の下臈、神馬(じんめ)を引く。御拝 ありて、二十一社へ引かせらる。「人間に生を受けて、女の身を得るほどにては、かくてこそあらめ」と、めでたくぞ見給ひし。 七仏薬師大阿闍梨((天台座主慈禅))、召されて、伴僧(ばんそう)三人、声すぐれたるかぎりにて、薬師経を読ませらる。「見者歓喜」といふわたりを読む折、御産なりぬ。 まづ内外(うちと)、「あなめでた」と申すほどに、内へ転ばししこそ、本意なく思えさせおはしまししかども、御験者の禄いしいしは常のことなり。 [[towazu1-09|<>]] ===== 翻刻 ===== れんとのみおほえてあけくれつつ秋にもなりぬ八月にや 東二条院の御さむすみの御所にてなるへきにてあれは御とし もすこしたかくならせ給たるうへさきさきの御さむもわつらはし き御事なれはみなきもをつふして大法ひ法のこりなくをこ なはる七仏薬師五たんの御修法普賢延命金剛童子 如法愛染王なとそきこえし五たんのくむたりの法はをはり の国にいつもつとむるにこのたひはことさら御心さしをそへ てとてこむかうとうしの事も大納言申さたしき御 けんしやにはしやうちう院の僧正まいらる廿日あまりにや その御けおはしますとてひしめくいまいまとて二三日過させ/s14l k1-19 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/14 おはしましぬれはたれたれもきも心をつふしたるにいかにとかや かはる御気色みゆるとて御所へ申たれはいらせおはしまし たるにいとよはけなる御けしきなれは御けんしやちかくめ されて御木丁はかりへたてたり如法あいせむの大阿闍梨 にて大御むろ御しこうありしをちかく入まいらせむかなふま しき御けしきにみえさせ給いかかし侍へきと申されし かはちやうこうやくのうてんは仏ほさつのちかひなりさらに 御大事あるへからすとて御念誦あるにうちそへて御けんしや せうくうか命にかはりける本そんにやゑさうのふとう御 前にかけてふししゆ行者ゆ如はかほんつちひみつしゆ 生々にかことてすすをしすりて我ようしやうしやうのむかしは/s15r k1-20 ねんしゆのゆかによをあかしちやうたいのいまはなむ行く きやうにをかさぬけんをむをうこのりやくむなしからん やともみふするにすてにとみゆる御けしきあるにちからを えていととけふりもたつる程なる女房たちのひとへかさ ねすすしのきぬめむめむにをしいたせは御産奉行とりて 殿上人にたふ上下のほくめんめむめむに御すきやうの僧に まいるかい下には公卿着座して皇子御たんしやうをまつ けしきなり御(陰歟)陽師は庭に八あしをたてて千との御はらへを つとむ殿上人これをとりつく女房たちの袖くちを出して これをとりわたす御随身北面の下らう神馬をひく御拝 ありて廿一社へひかせらる人間に生をうけて女の身をうる/s15l k1-21 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/15 程にてはかくてこそあらめとめてたくそみ給し七仏薬師 大阿闍梨めされてはんそう三人声すくれたるかきりにて 薬師経をよませらるけんしやくわんきといふわたりをよむ をり御さんなりぬまつうちとあなめてたと申程にうちへ ころはししこそほいなくおほえさせおはしまししかとも御 けんしやのろくいしいしはつねの事なりこのたひはひめ宮/s16r k1-22 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/16 [[towazu1-09|<>]]