とはずがたり ====== 巻1 9 さてしもかくてはなかなか悪しかるべきよし大納言しきりに申して・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-08|<>]] 「さてしも、かくてはなかなか悪しかるべき」よし、大納言((父、久我雅忠))しきりに申して、出でぬ。 人に見ゆるも耐へがたく悲しければ、「なほも心地の例ならぬ」などもてなして、わが方にのみ居たるに、「このほどにならひて、積もりぬる心地するを、とくこそ参らめ」など、また御文細やかにて、   かくまでは思ひおこせじ人知れず見せばや袖にかかる涙を あながちにいとはしく思えし御文も、今日は待ち見るかひある心地して、御返事も黒み過ぎしやらむ。  われゆゑの思ひならねど小夜衣涙の聞けば濡るる袖かな いくほどの日数も隔てて、このたびは常のやうにて参りたれども、何とやらむ、そぞろはしきやうなることもある上、いつしか人の物いひさがなさは、「大納言の秘蔵(ひさう)して、女御参りの儀式にもてなし参らせたる」など言ふ凶害(けうがい)ども出で来て、いつしか女院((東二条院・後深草院中宮西園寺公子))の御方ざま、心よからぬ御気色(きそく)になりもて行くより、いとどものすさまじき心地しながら、まがよひゐたり。 御夜離れと言ふべきにしあらねど、積もる日数もすさまじく、また参る人の出だし入れ((「入れ」は底本「いね」))も、人のやうに子細がましく申すべきならねば、その道芝をするにつけても、「世に従ふは憂き習ひかな」とのみ思えつつ、とにかくに、「またこのごろやしのばれん((『新古今和歌集』雑下 藤原清輔「長らへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき」))」とのみ思えて、明け暮れつつ、秋にもなりぬ。 [[towazu1-08|<>]] ===== 翻刻 ===== かかるそうたてある心なりしさてしもかくては中々 あしかるへきよし大納言しきりに申て出ぬ人にみゆるも たえかたくかなしけれはなをも心ちのれいならぬなともて なして我かたにのみゐたるにこの程にならひてつもりぬる 心ちするをとくこそまいらめなと又御ふみこまやかにて  かくまては思ひをこせし人しれすみせはや袖にかかる涙を あなかちにいとはしくおほえし御ふみもけふはまちみるかひ/s13l k1-17 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/13 ある心地して御返事もくろみすきしやらむ  我ゆへの思ならねとさよ衣なみたのきけはぬるる袖かな いく程の日数もへたててこのたひはつねのやうにてまいり たれともなにとやらむそそろはしきやうなる事もある うへいつしか人の物いひさかなさは大納言のひさうして 女御まいりのきしきにもてなしまいらせたるなといふけう かいともいてきていつしか女院の御方さま心よからぬ御き そくに成もて行よりいとと物すさましき心ちしなからまか よひゐたり御夜かれといふへきにしあらねとつもる日数もす さましく又まいる人のいたしいねも人のやうにしさいかましく 申へきならねはその道しはをするにつけても世にしたかふは/s14r k1-18 うきならひかなとのみおほえつつとにかくに又此ころやしのは れんとのみおほえてあけくれつつ秋にもなりぬ八月にや/s14l k1-19 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/14 [[towazu1-08|<>]]