とはずがたり ====== 巻1 7 隆顕の大納言縹の狩衣にて御車寄せたり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-06|<>]] 隆顕(たかあき)の大納言((四条隆顕))、縹(はなだ)の狩衣にて、御車寄せたり。為方の卿((中御門為方))、勘解由(かげゆ)の次官(すけ)と申しし、殿上人には一人侍りし。さらでは、北面の下臈二・三人、召次((「召次」は底本「召仕」))などにて、御車さし寄せたるに、折り知り顔なる鳥の音も、しきりに驚かし顔なるに、観音堂の鐘の音(おと)、ただわが袖に響く心地して、「『左右(ひだりみぎ)にも((『源氏物語』須磨「憂しとのみひとへにものは思ほえで左右にも濡るる袖かな」。))』とは、かかることをやな」と思ふに、なほ出でやり給はで、「一人行かん道の御送りも」など、いざなひ給ふも、「心も知らで((『源氏物語』夕顔「山の端の心も知らで行く月はうはの空にて影や絶えなむ』))」など思ふべき御ことにてはなけれども、思ひ乱れて立ちたるに、くまなかりつる有明の影、白むほどになりゆけば、「あな心苦しのやうや」とて((「とて」は底本「かて」))、引き乗せ給ひて、御車引き出でぬれば、「かくとだに言ひ置かで、昔物語めきて、何となり行くにか」など思えて、   鐘の音に驚くとしもなき夢の名残も悲し有明の空 道すがらも、今しも盗み出でなどして行かん人のやうに契り給ふも、をかしとも言ひぬべきを、つらさをそへて行く道は、涙のほかは言問ふ方もなくて、おはしましつきぬ。 角(すみ)の御所の中門に御車引き入れて、下りさせ給ひて、善勝寺大納言((四条隆顕))に、「あまりにいふかひなき嬰児(みどりご)のやうなる時に、うち捨てがたくて、ともなひつる。しばし人に知らせじと思ふ。後見(うしろみ)せよ」と言ひ置き給ひて、常の御所へ入らせ給ひぬ。 [[towazu1-06|<>]] ===== 翻刻 ===== せしもたかならはしにかとおほつかなくこそたかあきの大納言 はなたのかりきぬにて御車よせたりためかたの卿かけ ゆの次官と申し殿上人には一人侍しさらてはほくめんの 下らう二三人召仕なとにて御くるまさしよせたるに をりしりかほなる鳥の音もしきりにおとろかしかほなるに 観音堂の鐘のをとたた我袖にひひく心ちして左右にも とはかかる事をやなと思に猶いてやり給はてひとりゆかん/s12r k1-14 みちの御をくりもなといさなひ給も心もしらてなとおもふ へき御事にてはなけれとも思みたれて立たるにくまなか りつるあり明の影しらむほとになりゆけはあな心くるし のやうやかてひきのせ給て御車ひきいてぬれはかく とたにいひをかてむかし物かたりめきてなにとなり行にか なとおほえて  鐘のをとにおとろくとしもなき夢の名残もかなしあり明 の空みちすからもいましもぬすみ出なとしてゆかん人の やうにちきり給もをかしともいひぬへきをつらさをそへて 行道は涙のほかはこととふかたもなくておはしましつ きぬすみの御所の中門に御くるまひきいれてをりさせ/s12l k1-15 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/12 給て善勝寺大納言にあまりにいふかひなきみとり子の やうなる時にうちすてかたくてともなひつるしはし人に しらせしと思うしろみせよといひをき給てつねの御所へ 入せ給ぬおさなくよりさふらひなれたる御所ともおほえす/s13r k1-16 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/13 [[towazu1-06|<>]]