とはずがたり ====== 巻1 2 十五日の夕つ方河崎より迎へにとて人尋ぬ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-01|<>]] 十五日の夕つ方、「河崎より迎へに」とて、人尋ぬ。「いつしか」とむつかしけれども、「否(いな)」と言ふべきならねば、出でぬ。見れば、なにとやらむ、「常の年々(としどし)よりも、はへばへしく、屏風・畳も、几帳((底本表記、「木丁」。以下同じ))・引き物まで、心ことに見ゆるは」と思へども、「年の始めのことなればにや」など思ひて、その日は暮れぬ。 明くれば供御の何かとひしめく。「殿上人の馬、公卿の牛」など言ふ。母の尼上((父、雅忠の義母。))など来集まりてそそめく時に、「何事ぞ」と言へば、大納言((父、久我雅忠))、うち笑ひて、「いさ、今宵、『御方違へに御幸なるべし』と仰せらるる時に、年の始めなれば、ことさらひきつくろふなり。その御陪膳(ばいぜむ)の料にこそ迎へたれ」と言はるるに、「節分(せちぶん)にてもなし、何の御方違へぞ」と言へば、「あら、いふかひなや」とて、みな人笑ふ。 されども、いかでか知らむに、わが常に居たる方にも、なべてならぬ屏風立て、小几帳立てなどしたり。「ここさへ晴(はれ)にあふべきか。かくしつらはれたるは」など言へば、みな人笑ひて、とかくのこと言ふ人なし。 夕方になりて、「白き三つ単(ひとへ)、濃き袴を着るべき」とて、おこせたり。空薫(そらだき)などするさまも、なべてならず、ことごとしきさまなり。 火ともして後、大納言の北方、あざやかなる小袖を持ちて来て、「これ着よ」と言ふ。また、しばしありて、大納言おはして、御棹(おんさほ)に御衣(おんぞ)かけなどして、「御幸まで寝入らで、宮仕へ。女房は何事もこはごはしからず、人のままなるがよきことなり」など言はるるも、何の物教へとも心得やりたる方なし。何とやらん、うるさきやうにて、炭櫃(すびつ)のもとに寄り臥して、寝入りぬ。 [[towazu1-01|<>]] ===== 翻刻 ===== つれなくいらへ侍し十五日の夕つかたかはさきよりむかへに とて人たつぬいつしかとむつかしけれともいなといふへき ならねはいてぬみれはなにとやらむつねのとしとしよりも はへはへしくひやうふたたみも木丁ひき物まて心ことに みゆるはとおもへともとしのはしめの事なれはにやなと思てその 日はくれぬあくれはく御のなにかとひしめく殿上人の馬公卿の 牛なといふははのあま上なときあつまりてそそめく時に なに事そといへは大納言うちわらひていさこよひ御かたたか/s7r k1-4 へに御幸なるへしとおほせらるる時にとしのはしめなれは ことさらひきつくろふなりその御はいせむのれうにこそむかへ たれといはるるにせちふんにてもなしなにの御方たかへそ といへはあらいふかひなやとてみな人わらふされともいかてか しらむに我つねにゐたるかたにもなへてならぬひやうふ たてこ木丁たてなとしたりここさへはれにあふへきか かくしつらはれたるはなといへはみな人わらひてとかくの 事いふ人なし夕かたになりてしろき三ひとへこきはかま をきるへきとておこせたり空たきなとするさまもなへて ならすことことしきさまなり火ともして後大納言の北 方あさやかなるこ袖をもちてきてこれきよといふ又しはし/s7l k1-5 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/7 ありて大納言おはして御さほに御そかけなとして 御幸まてねいらて宮つかへ女房はなにこともこはこは しからす人のままなるかよき事なりなといはるるも なにの物をしへとも心えやりたる方なしなにとやらん うるさきやうにてすひつのもとによりふしてね入ぬその/s8r k1-6 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/8 [[towazu1-01|<>]]