沙石集 ====== 巻10第5話(123) (寿福寺朗誉上人の事) ====== ===== 校訂本文 ===== ((底本、標題なし。))寿福寺の長老、悲願房阿闍梨朗誉上人((蔵叟朗誉。「朗誉上人」は底本「朗擧上人」。諸本により訂正。))、かの跡を継ぎて長老せらる。後には、寿福寺の長老にておはしき。これも、智行ともに並びなき上人にて、末代にはありがたき智者と申しあひき。 建治二年六月四日、寅の時入滅す。前(さき)の日、塔頭の辺、人のたやすく入らぬ様に、材木のありけるをもつて、われと下知して、結ひ渡させなんどしたためて、大衆に対面し、暇(いとま)乞ひて、寅の時、観音の像の前にて、焼香礼拝して、頌を書きて、倚座に座し、手に印を結びて入滅す。 頌にいはく、   八十四年動転機(八十四年転機を動ず)   門々閉塞在今時(門々閉塞して今時に在り)   元来無主誰又去(元来無主誰かまた去る)   空室頽危豈惜之(空室頽危あにこれを惜しまんや)   清夜月閑 松風為琴(清夜月閑かなり、松風琴を為す)   有非我客 誰亦知音(我が客に非ざる有り、誰かまた知音) 建長寺の先の長老、兀庵(ごつたん)和尚((兀庵普寧))の申されけるは、「日本国には過分の智者なり」と。智慧も道心もありがたき上人と見え侍りき。そのかみ、真言に付て心地を開くる人とぞ聞こえし。畠山にて千日の護摩の行法の時、仏法の心地を得給へりと語りし人侍りき。 ===== 翻刻 ===== 寿福寺長老悲願房阿闍梨朗擧上人カノ跡ヲツキテ長老 セラル後ニハ寿福寺ノ長老ニテ御坐キ此モ智行共ニナラヒ ナキ上人ニテ末代ニハアリカタキ智者ト申相キ建治二年六 月四日寅時入滅サキノ日塔頭ノ辺人ノタヤスクイラヌ様 ニ材木ノアリケルヲ以我ト下知シテユイワタサセナントシタタメテ 大衆ニ対面シイトマコヒテ寅時観音ノ像ノ前ニテ焼香礼 拝シテ頌ヲカキテ倚座ニ坐シ手ニ印ヲ結テ入滅頌曰八十四 年動転機門々閉塞在今時元来無主誰又去空室頽危 豈惜之清夜月閑松風為琴有非我客誰亦知音建長寺/k10-383r 之先ノ長老兀庵和尚ノ申サレケルハ日本国ニハ過分之 智者也ト智慧モ道心モ有難キ上人ト見ヘ侍キソノカミ真 言ニ付テ心地ヲ開クル人トソ聞シ畠山ニテ千日之護摩 之行法ノ時仏法ノ心地ヲ得給ヘリト語リシ人侍キ/k10-383l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=382&r=0&xywh=-520%2C597%2C5375%2C3195