沙石集 ====== 巻9第4話(113) 強盗法師の道心ある事 ====== ===== 校訂本文 ===== 中ごろ、南都に悪僧ありけり。武勇の道をのみ好みて、一文不通なりけるが、しかるべき宿善や催しけん、年たけて後、つくづくと思ひけるは、「人の身に死といふことあり。逃れがたき道なり。悪業あれば悪道に入り、善業あれば善所に生まる。その苦楽の報(むくひ)、定まりあることなり。わが一期の行業を思ふに、悪事をのみ好みて、殖ゑたる((「殖ゑたる」は低温「殖クル」。文脈により「タ」の誤植とみて訂正。))善根なし。齢(よはひ)すでにたけて、冥途の旅近付きぬ。何事を頼みてか、黄泉の道の糧(かて)とせん。始めて習ひ学ぶとも、仏法の理(ことわり)も悟りがたし。いかなるはかりごとをめぐらしてか、人身の思ひ出で、浄土の業因とせん」と、人知れず思ひ続けて、「われ、強盗に交はりて、人を助くるはかりごとをし、ひそかに念仏を申して、往生の素懐をとげん」と思ひしたためて、京都へ上りて、「強盗に交はらん」と言ふに、「さる名人なれば、さうなし」とて、ともなひぬ。 さて、人のもとへ入る時は、先に打ち入りて、「しばし、しばし」とて、あるいは人を逃がし、物をくかさせ((「隠させ」か。ただし、後の検非違使の問はれた強盗法印の言葉に再び出てくる。))、上ははしたなく見えて、ひそかに人を助けり。かくして、物分くる時は、「入ることあらば申すべし。当時は用なし」とて、物も取らず。ともも恥ぢ思ひけり。さて、ひそかに念仏の功、他念なかりけり。 かくて、年月経るほどに、ある時搦め取られて、検非違使のもとに預け誡めらる。かの検非違使が夢に、金色の阿弥陀の像を縛りて、柱に結ひ付けたりと見る。驚きて、怪しく思ひて、まづこの法師を解き許して、「御房の強盗する心はいかに」と言ふに、「御不審にや及び候ふ。つたなく不当にして、物の欲しさにこそつかまつり候へ」と言へば、「ただすぐに言はれよ。思ふやうありて問ふなり」と言へども、ただ同体にぞ、たびたび答へけり。 検非違使、申しけるは、「ただありのままに言はれよ。まことには、かかる夢を見て侍るなり。御房を縛りたるが、仏とのみ夢に見ゆるぞ」と言ふ時、この法師、はらはらとうち泣きて、「もとは南都の悪僧にて侍りしが、近ごろ、後世のこと恐しく思え候ひて、武勇の道に慣れたるゆゑに、『同じくは、この道をもつて善根の因にせばや』と思ひ侍る。そのゆゑは、京都の強盗、いたづらに人を殺し、そこばくの物をかすめ取り候ふこと、不便に思えて、『人の命をも助け、物をも少しくかさせて((「隠させて」か。ただし、既出。伝本も多く「くかさせて」。))、このほかは一向念仏を申さん』と思ひ立ちて、かかるわざをなんつかまつるなり。このこと、心ばかりに思ひよりて、人に問ふことなく候ひつるが、さては仏の御意にかなひてばし候ふにや」と申す。検非違使、涙を流して随喜し、上に申して許してけり。その後のことは、何とも聞こえねども、「さだめて往生の志とげぬらん」とぞ思ゆる。 よろづの振舞ひの善悪は、心の向けやうに分かれたり。強盗なんどして、往生の業になすべしとは思えねども、このおもむきにては、まことに善行たるべし。されば、善悪互ひに助けて、悪も善の縁となり、善も悪の縁となること、あるべきなり。 経には、「あるいは、煩悩の解脱のために因縁となるあり。実体を観するゆゑに。あるいは解脱の煩悩のために因縁となるあり、執着を生ずるゆゑ」と説けり。まことに、善悪源(みなもと)同じく、迷悟体一なるゆゑに、煩悩性のむなしき処を観じて、執着を除けば、無相の定慧、煩悩の処より起こる。このゆゑに、「煩悩の大海に入らずは、菩提の玉を得べからず」と言へり。菩提の無相の体を悟らずして、執心を固くすれば、生死妄業、菩提のところより始まる。「無始の無明、円覚の心より建立す」とも言ひ、「知見に知を立つる、すなはち無明の本(もと)」とも言へり。よくよくこの心をわきまへて、仏道に相応する修行を習ふべし。 遁世の風情まちまちに、出家の行儀いろいろなり。身は家にありて、心家を出で、形は塵に交はりて、志道を慕ふ。これ、まことの道人なるべし。この強盗法印が意楽(いげう)、まめやかの遁世の心なるべし。 古徳、菩薩の戒を釈するに付きて、行人に四句を作れり。 一つには、外は浄く内は染なる、これは仏法の中の賊なり。戒を持(たも)つに似て、内に放逸なる故に((「故に」は底本「故ハ」。文脈により訂正))、信施消しがたし。戒を破りて外を飾るをば、五千の大鬼賊((「五千の大鬼賊」は底本「五千の大鬼賊々」。「々」を衍字みて削除。))といひて、その足の跡をはらふと説けり。恐るべし恐るべし。行徳なくしてむなしく施を受くるは、無間の業となる。心あらん人、よく察すべし。南山((道宣))は、「刀なき賊」と釈し給へり。 律の中に、戒を持(たも)つに四つの品(しな)を分かつ。これを四分斉(しぶんさい)といふ。名利のために受け持つは、賊分斉といひて賊の分なり。賊といふは、人の財を失ふ戒行の徳なければ、施主の福を得ることなし。かの財(たから)をいたづらに失ふゆゑなり。罪分斉は、当来の悪趣を恐れて持(たも)つ。福分斉は人天の果報を願ひ、道分斉は涅槃を期するなり。されば、内は汚なく外は清きは、賊に当るべきにや。 二つには、内は浄く外は染なるは、徳を隠して信施を受けず。内に道徳ある、これ、すぐれたる菩薩の内行なり。 三つには、内外ともに浄き、これは教の本意なり。 四つには、内外ともに染なる、これは一向放逸の罪人なり。行人にあらず。 末代濁世は時の運、人ごとに戒定慧(かいぢやうゑ)の徳すたれて、懈怠放逸(けだいはういつ)なれば、在家・出家ともに仏の戒を守ることまれなり。かかる中にも、また宿善不同にして、定慧の徳内にある人もあり。また、権者の光を和(やはら)げ、塵に同ずるもあるらん。人、これを知らず。真実に道心あらん人は、徳を隠し光をつつみて、道行を細やにすべし。「仏の衣鉢をもつて身を助けて、仏の制戒にそむかば、在家の十悪にもすぐれたり」と仏蔵経には説けり。在家の悪人は人の師とならず。みづから悪道に落つるばかりなり。出家の邪見・非法なるは、多くの人を悪しく教へ学ばしむ。「三千界の衆生の眼をくじるになる」と言へり。 邪命説法(じやみやうせつぽふ)といへるは、世間の人は、「布施取らんため」とばかり思へり。それは言ふにも足らず。経には、有所得の説法を邪命といふ。有所得といふは、諸法実相を知らずして、諸法の因縁仮有の法をまことと思ひて、有相の法をのみ説くを邪命といふ。かかる経を見るには、この咎(とが)逃がれたる人はまれなるべし。「諸法実相を知らざる人は、施主の一盃の水をも消(せう)すべからず。大地をも盗み、虚空をも盗むになる」と言へり。また、「諸法の空無相を知らずして、まことに諸法有と説くは、仏と争ふ。仏は、『一切空なり』と説き給ふに、『有』と説くゆゑに争ひなり。仏と争ふものは、必ず悪道邪路に入るべし」と説けり。よくよく用意すべし。 仏道に入らぬ人は、言ふに足らず。道人とおぼしき中にも、この意(こころ)をわきまへぬ人あるをや。しからば、まことの道人にあらじかし。 ===== 翻刻 =====   強盗法師之道心有事 中比南都ニ悪僧有ケリ武勇ノ道ヲノミ好テ一文不通也 ケルカ可然宿善ヤ催シケン年タケテ後ツクツクト思ケルハ人ノ 身ニ死トイフ事有リノカレカタキ道也悪業アレハ悪道ニ入 リ善業有レハ善所ニ生ル其苦楽ノ報サタマリアル事ナリ我 カ一期ノ行業ヲ思ニ悪事ヲノミ好テ殖クル善根ナシ齢ステ ニタケテ冥途ノ旅チカツキヌナニ事ヲタノミテカ黄泉ノ道ノ 糧トセン始テ習ヒマナフトモ仏法ノ理モサトリカタシイカナル/k9-338l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=337&r=0&xywh=-2956%2C316%2C6450%2C3835 ハカリコトヲメクラシテカ人身ノ思出テ浄土ノ業因トセント 人シレス思ツツケテ我強盗ニ交テ人ヲ助クルハカリコトヲシヒ ソカニ念仏ヲ申テ往生ノ素懐ヲトケント思シタタメテ京都ヘ 上テ強盗ニマシハラント云ニサル名人ナレハ左右ナシトテトモ ナヒヌサテ人ノモトヘ入時ハサキニ打入テシハシシハシトテ或ハ人 ヲニカシ物ヲクカサセウヘハハシタナク見ヘテヒソカニ人ヲ助ケ リカクシテ物ワクル時ハ入事アラハ申ヘシ当時ハ用ナシトテ物 モトラス共モハチ思ケリサテヒソカニ念仏ノ功他念ナカリケリ カクテ年月フルホトニ有時カラメトラレテ検非違使ノモトニア ツケイマシメラルカノ検非違使カ夢ニ金色ノ阿弥陀ノ像ヲシ ハリテ柱ニユヒ付タリト見ル驚テアヤシク思テ先此法師ヲ トキユルシテ御房ノ強盗スル心ハイカニト云ニ御不審ニヤ及ヒ/k9-339r 候ツタナク不当ニシテ物ノホシサニコソ仕候ヘトイヘハタタスクニ イハレヨ思ヤウ有テ問也トイヘトモタタ同体ニソタヒタヒコタヘ ケリ検非違使申ケルハ只有ノママニイハレヨマコトニハカカル 夢ヲ見テ侍也御房ヲシハリタルカ仏トノミ夢ニ見ユルソトイ フ時コノ法師ハラハラトウチナキテ本ハ南都ノ悪僧ニテ侍シカ 近比後世ノ事オソロシク覚ヘ候テ武勇ノ道ニナレタル故ニ 同クハ此道ヲ以テ善根ノ因ニセハヤト思侍ル其故ハ京都ノ 強盗イタツラニ人ヲ殺シソコハクノモノヲカスメトリ候事不便 ニ覚テ人ノ命ヲモ助ケモノヲモスコシクカサセテコノホカハ一向 念仏ヲ申サント思立テカカルワサヲナンツカマツルナリ此事心 ハカリニ思ヒヨリテ人ニトフ事ナク候ツルカサテハ仏ノ御意ニ カナヒテハシ候ニヤト申検非違使涙ヲナカシテ随喜シ上ニ申テ/k9-339l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=338&r=0&xywh=-6405%2C431%2C17988%2C3451 ユルシテケリ其後ノ事ハナニトモ聞ヘネトモ定テ往生ノ志トケヌ ラントソ思ユルヨロツノ振舞ノ善悪ハ心ノムケヤウニ分レタリ 強盗ナントシテ往生ノ業ニナスヘシトハオホヱネトモ此オモム キニテハ実ニ善行タルヘシサレハ善悪タカヒニタスケテ悪モ善ノ 縁トナリ善モ悪ノ縁トナル事アルヘキナリ経ニハ或ハ煩悩ノ 解脱ノ為ニ因縁トナルアリ実体ヲ観スル故ニ或解脱ノ煩悩 ノタメニ因縁トナルアリ執著ヲ生スルユヘト説リマコトニ善悪 源同ク迷悟体一ナル故ニ煩悩性ノムナシキ処ヲ観シテ執著ヲ ノソケハ無相ノ定慧煩悩ノ処ヨリ起ルコノユヘニ煩悩ノ大 海ニ入ラスハ菩提ノ玉ヲウヘカラスト云ヘリ菩提ノ無相ノ 体ヲサトラスシテ執心ヲカタクスレハ生死妄業菩提ノトコロヨ リハシマル無始之無明円覚ノ心ヨリ建立ストモ云ヒ知見/k9-340r ニ知ヲ立ルスナハチ無明ノ本トモ云ヘリ能々コノ心ヲワキマ ヘテ仏道ニ相応スル修行ヲナラフヘシ遁世ノ風情マチマチニ 出家ノ行儀イロイロナリ身ハ家ニ有テ心家ヲイテ形ハ塵ニマ シハリテ志シ道ヲシタフ是実ノ道人ナルヘシ此強盗法印カ 意楽マメヤカノ遁世ノ心ナルヘシ古徳菩薩ノ戒ヲ釈スルニ 付テ行人ニ四句ヲ作レリ一ニハ外ハ浄ク内ハ染ナル是ハ仏 法ノ中ノ賊也戒ヲ持ツニ似テ内ニ放逸ナル故ハ信施消シ カタシ戒ヲ破テ外ヲカサルヲハ五千ノ大鬼賊々ト云テソノ足 ノ跡ヲハラフト説リ可恐々々行徳ナクシテ空ク施ヲ受ルハ無 間ノ業トナル心有ラン人能察スヘシ南山ハ刀ナキ賊ト釈シ 給ヘリ律ノ中ニ戒ヲ持ツニ四ノシナヲワカツ此ヲ四分斉ト 云フ名利ノタメニ受ケ持ツハ賊分斉ト云テ賊ノ分也賊ト/k9-340l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=339&r=0&xywh=-2424%2C382%2C5805%2C3451 云ハ人ノ財ヲウシナフ戒行ノ徳ナケレハ施主ノ福ヲ得事 ナシ彼財ヲイタツラニウシナフ故也罪分斉ハ当来ノ悪趣ヲ 恐レテ持ツ福分斉ハ人天ノ果報ヲ願ヒ道分斉ハ涅槃ヲ期 スル也サレハ内ハキタナク外ハ清ハ賊ニアタルヘキニヤ二ニハ 内ハ浄ク外ハ染ナルハ徳ヲ隠クシテ信施ヲウケス内ニ道徳アル 是スクレタル菩薩ノ内行也三ニハ内外トモニ浄キ是ハ教ノ 本意也四ニハ内外共ニ染ナル是ハ一向放逸ノ罪人也 行人ニアラス末代濁世ハ時ノ運人毎ニ戒定慧ノ徳スタレ テ懈怠放逸ナレハ在家出家共ニ仏ノ戒ヲ守ル事希也カカ ル中ニモ又宿善不同ニシテ定慧ノ徳内ニ有人モ有又権者 ノ光ヲ和ケ塵ニ同スルモアルラン人是ヲシラス真実ニ道心有 ラン人ハ徳ヲ隠シ光ヲツツミテ道行ヲコマヤカニスヘシ仏ノ衣/k9-341r 鉢ヲ以身ヲ助テ仏ノ制戒ニソムカハ在家ノ十悪ニモ勝タリ ト仏蔵経ニハ説ケリ在家ノ悪人ハ人ノ師トナラスミツカラ 悪道ニオツルハカリナリ出家ノ邪見非法ナルハ多クノ人ヲア シクヲシヘマナハシム三千界ノ衆生ノ眼ヲクシルニナルトイヘリ 邪命説法トイヘルハ世間ノ人ハ布施トランタメトハカリ思ヘ リソレハイフニモタラス経ニハ有所得ノ説法ヲ邪命トイフ有 所得トイフハ諸法実相ヲシラスシテ諸法ノ因縁仮有ノ法ヲ 実ト思テ有相ノ法ヲノミ説ヲ邪命トイフカカル経ヲ見ルニハ 此トカノカレタル人ハマレナルヘシ諸法実相ヲシラサル人ハ 施主ノ一盃ノ水ヲモ消スヘカラス大地ヲモヌスミ虚空ヲモヌ スムニナルトイヘリ又諸法ノ空無相ヲシラスシテ実ニ諸法有ト 説ハ仏トアラソフ仏ハ一切空ナリト説給フニ有ト説故ニア/k9-341l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=340&r=0&xywh=-2336%2C562%2C5805%2C3451 ラソヒ也仏トアラソフモノハ必ス悪道邪路ニ入ヘシト説ケリヨ クヨク用意スヘシ仏道ニイラヌ人ハ云ニタラス道人トオホシキ 中ニモコノココロヲワキマヘヌ人アルヲヤシカラハマコトノ道人 ニアラシカシ/k9-342r https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=341&r=0&xywh=-459%2C388%2C5805%2C3451