沙石集 ====== 巻8第9話(102) 愚痴の僧、牛となる事 ====== ===== 校訂本文 ===== 三河国のある山寺に、修学の二事欠きたる若き僧ありけり。縁に付きて近江国に住みけるが、年月経て、三河の師のもとへ行きて、坊へ入らんとするを、小法師、棹をもて打たんとす。「こは何事ぞ」と言はじとすれども、ものも言はれず逃げ去りぬ。また行けば先のごとし。 「はるばると思ひ立ちて来たり。むなしく帰るに及ばず」と思ひて、また行く時、この小法師、「この牛は思ふことのあるやらん、たびたび来たる」と言ひて、馬屋に引き入れて繋ぎつ。その時、わが身を見れは牛なり。心憂きことかぎりなし。 「これは、日ごろの信施(しんぜ)の罪深きゆゑにこそ」と思ひて、「尊勝陀羅尼(そんしようだらに)こそ、信施の罪を生滅する功能あれ」と、さすが聞きおきて、「誦せん」と思へど((「思へど」は底本「思ヘトセ」。「セ」の衍字とみて削除。))、習ひもせねば、かなはず。「せめては、名字をも唱へん」と思へども、舌こはくして正(ただ)しくは言はれず、ただ、「そそ」とぞ言はれける。 「この牛は病のあるにや。草も食はず、水も飲まず、そそめく」と、人、言ひけれども、心憂さに、食物のことも忘れて、三日三夜そそめきて、志の積りにや、「尊勝陀羅尼」と言はれたりける時、もとの法師になりぬ。 さて、縄ときて、師の前へ行きぬ。「いつ御房来たる」と言はば、「三日になり候ふ」と言ふ。「いづくにありつるぞ」と問へば、「馬屋に候ひつる」とて、ことの子細、ありのままに語りけり。師の僧、あはれびて、尊勝陀羅尼教へ、経なんど授けけると、ある人語り侍りき。 尊勝陀羅尼は縁起ことにめでたきことなり。仏陀婆利三蔵((仏陀波利三蔵))、天竺より漢土へ越えて、五台山の文殊を礼せんとす。山の麓に老翁一人あひて、「尊勝陀羅尼経や持ちておはする」と問ふ。「しからず」と答ふ。老人のいはく、「尊勝陀羅尼経は、在家・出家の利益めでたきことなり。もしこれを弘通(ぐつう)し給はば、文殊のおはします所教へ申さん」と言ふによりて、また天竺へ帰りて渡せる経なり。 この経の説相は、忉利天に善住といふ天子ありけり。園に出でて遊びけるが、空に音ありて、告げていはく、「善住天子、七日あて命終して、畜生の身を受くること七度、後に大地獄に落ちて、出づる期あるべからず」と言ふ。これを聞きて、恐れ悲しみて、帝釈((帝釈天))にこのよしを申す。帝釈、定に入りて見給ふに、言ふがごとくなるべしと知りて、仏の所に詣でて、このことを申し給ひき。仏、「尊勝陀羅尼を説きて、帝釈に授け給ふ。これをまた善住天子に授けて、七日過ぎて、天子を具して来たれ」と仰せられし陀羅尼なり。 「一返耳に触るれば、諸の罪障滅し、地獄・餓鬼・畜生・閻羅王界を浄め、病を除き、命を延べ、福を増す。毎日二十一返誦すれば、諸の信施の罪消えて、命終して、極楽に往生す」と説けり。亡者を極楽に送るとも説かれたり。されば、諸寺・諸山にこれを誦す。高野山((金剛峰寺))、ことにこの陀羅尼を崇め誦す。心あらん人、在家・出家、これを習ひ誦すべし。病を除き、寿命を延べ福徳来たり、極楽に生ず。何事かこの陀羅尼に欠けたることあらんや。 畜類も聞きて罪消ゆ。亡魂また助かる。もつとも信じ誦すべし。この真言を書きて、幢の上に置くに、その風に当り、その塵(ちり)を吹きかけられたる畜類・人倫等、なほ罪を消つと言へり。 尾州の甚目寺(じもくじ)のほとりに、十二・三ばかりなる女童(めのわらは)の菜摘みけるが、にはかにひれ伏しけるを、田かへす男、怪しみて走り寄りて見るに、四・五尺ばかりなる蛇、這ひかかりけり。立ち帰りて、鍬を取りて、追ひのけんとす。 さて見れば、蛇は見えず。女童、寝入れるがごとし。おどろかして、「いかが覚ゆる」と問へば、「ただ今、ここに若き殿の見目良きが、『そこに臥せ、臥せ』と仰せられつる時に、寄り臥しつる時、首のほどに近付きて、何にやら驚きて、恐れたる気色にて、逃げ去り給ひつる」と言ふ。「守(まぼ)りばしや持ちたる」と問へば、「さることもなし」と言ふ。「さるにても、やうあるらんにこそ」と思ひて、よくよく見れば、尊勝陀羅尼書きたるを引き裂きて、元結(もとゆひ)にしたりける。「それに怖れて逃げけるにこそ」と、不思議なることになん語り伝へ侍り。 守りは人の持つべきものなり。知らぬだに、おのづからかくのごとし。まして、信じ崇めて持たんをや。随求陀羅尼(ずゐぐだらに)の一字、風に吹かれて、屍(かばね)に触れたるゆゑに、婆羅門、地獄より出でて、天に生ず。如来の等流変化(とうるへんげ)の分身の字として、仏の化身なり。いかでか、その徳むなしからん。 三井寺((園城寺))の長吏、公胤僧正、幼少((「幼少」は底本「幻少」。文脈により訂正。))の時より法器の人なりければ、補処(ふしよ)の仁に思ひ当てらる。相人のいはく、「御器量はさうなき御ことなり。ただし、御命二十に過ぎさせ給はじ」と申す。師匠、このことを歎きて、「尊勝陀羅尼は命を延ぶる功能あり。毎日二十一返満てて、命を延べて、仏法にあへるかひありて、学問をもし、興隆すべき」よし、よくよく教へける((「教へける」は底本「教ヘシル」。文脈により訂正。))。 この児、師の教へよりも数遍多く満てて、信心まことありけるにこそ、先の相人三年の後、また相していはく、「いかなる御ことのおはしまし候ふやらん。御命、七十に余りて延びて見え給ふ」と言ひけるに、あはせて八十に余りて、地蔵((「地蔵」は底本「地獄」。文脈により訂正。))の引導によりて、めでたく往生せられける。頭光に五色あらはれ、紫雲たなびき、音楽聞こえなんどして、京都の人々拝みあへりき。まのあたり拝みたる尼公、物語り侍りき。建保のころと申ししやらん。 されば、尊勝陀羅尼は、在家も寿命のため、福徳のために、これを誦すべし。出家は、ことに信施消しがたし。陀羅尼の力、もつとも頼もしく侍り。 昔、天竺に道人ありけり。信施を受けて、行徳薄きゆゑに、肉の山となる。切り取れば、また生ひ生ひしける。隣の里の人、聞き伝へて、盗みて切り取るに、山響き動き、音を立てて叫びけり。「われはこれ、昔、仏道を行ぜしかども行徳至らず、この里の人の信施を受けて償(つくの)ふほどの行徳なくして、肉の山となりて返し報ふを、なんぢが施を受けざるゆゑに、痛み忍びがたし」と言ふ。 漢朝にも道人ありけり。檀那の施を受けて、行業なきゆゑに、園の木に、菌になりて、檀那が切り取らば、また生ひ生ひしける。隣の人、盗みて切るに、叫び泣きけり。ゆゑを問ひけるに、先の肉の山のごとく答へけると言へり。 虚受信施は阿鼻の業なり。恐れつつしみて行徳あるへきものなり。これをつつしまずして、信施をほしきままに用ゐれば、さだめて悪趣に落ちんこと疑ひなし。これを恐れざるは、道念のなきゆゑなり。ただ急いで心地(しんぢ)をあきらめば、信施の罪おのづから生滅し、無始の罪業一時に残りなん。 ===== 翻刻 =====   愚痴之僧成牛事 三河国ノ有ル山寺ニ修学ノ二事闕タル若キ僧有ケリ縁 ニ付テ近江国ニ住ケルカ年月経テ三河ノ師ノ許ヘ行テ坊 ヘ入ラントスルヲ小法師棹ヲモテ打ントスコハナニ事ソトイハ/k8-298r シトスレトモ物モイハレスニケサリヌ又ユケハ先ノ如シハルハルト 思立テ来リ空シク帰ルニヲヨハスト思テ又行時此小法師 コノ牛ハ思事ノ有ヤラン度々来ルト云テ馬屋ニ引入テツナ キツ其時我身ヲ見レハ牛ナリ心ウキ事カキリナシ是ハ日来 ノ信施ノツミフカキ故ニコソト思ヒテ尊勝陀羅尼コソ信施ノ 罪ヲ生滅スル功能アレトサスカ聞ヲキテ誦セント思ヘトセ習モ セネハカナハスセメテハ名字ヲモ唱ヘント思ヘ共舌コハクシテタタシ クハ云レス唯ソソトソイハレケル此牛ハ病ノアルニヤ草モクハス 水モノマスソソメクト人イヒケレトモ心ウサニ食物ノコトモワス レテ三日三夜ソソメキテ志ノツモリニヤ尊勝陀羅尼ト云レ タリケル時本ノ法師ニ成ヌサテ縄トキテ師ノ前ヘユキヌイツ御 房来ルト云ハ三日ニ成候ト云何クニ有ツルソト問ヘハ馬屋/k8-298l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=297&r=0&xywh=-1971%2C671%2C5375%2C3195 ニ候ツルトテ事ノ子細有ノママニ語リケリ師ノ僧哀ヒテ尊勝 陀羅尼ヲシヘ経ナント授ケルト或人語リ侍リキ尊勝陀羅 尼ハ縁起殊ニ目出事也仏陀婆利三蔵天竺ヨリ漢土ヘ 越テ五臺山ノ文殊ヲ礼セントス山ノフモトニ老翁一人アヒ テ尊勝陀羅尼経ヤ持テオハスルト問フシカラスト答フ老人 ノ云ク尊勝陀羅尼経ハ在家出家ノ利益目出キ事也若シ 是ヲ弘通シ給ハハ文殊ノ御坐所ヲシヘ申サントイフニヨリテ 又天竺ヘ帰テワタセル経也此経ノ説相ハ忉利天ニ善住 ト云天子有ケリ園ニ出テアソヒケルカ空ニ音アリテ告テイハク 善住天子七日アテ命終シテ畜生ノ身ヲウクル事七度後ニ 大地獄ニ落テ出ル期不可有トイフ是ヲキキテ恐レカナシミ テ帝釈ニ此ヨシヲ申ス帝釈定ニ入テ見給ニ云カ如ク成ヘシ/k8-299r ト知テ仏ノ所ニ詣テテ此事ヲ申給キ仏尊勝陀羅尼ヲ説テ 帝釈ニ授給フ是ヲ又善住天子ニ授テ七日スキテ天子ヲ具 シテ来レト仰ラレシ陀羅尼也一返耳ニフルレハ諸ノ罪障滅シ 地獄餓鬼畜生閻羅王界ヲ浄メ病ヲノソキ命ヲ延ヘ福ヲ増 ス毎日二十一返誦スレハ諸ノ信施ノ罪消テ命終シテ極楽 ニ往生スト説ケリ亡者ヲ極楽ニヲクルトモ説レタリサレハ諸 寺諸山ニ是ヲ誦ス高野山殊ニ此陀羅尼ヲアカメ誦ス心ア ラン人在家出家コレヲ習ヒ誦スヘシ病ヲ除キ寿命ヲノヘ福 徳来リ極楽ニ生ス何事カコノ陀羅尼ニカケタル事有哉畜 類モ聞テ罪キユ亡魂又タスカル尤信シ誦スヘシコノ真言ヲ 書テ幢ノ上ニ置ニ其風ニアタリソノチリヲフキカケラレタル畜 類人倫等猶罪ヲケツトイヘリ尾州ノ甚目寺ノ辺ニ十二三/k8-299l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=298&r=0&xywh=-2311%2C434%2C5805%2C3451 計ナル女童ノ菜ツミケルカ俄ニヒレフシケルヲ田カヘス男アヤ シミテ走ヨリテ見ルニ四五尺ハカリナル蛇ハヒカカリケリタチ 帰テ鍬ヲトリテヲヒノケントスサテ見レハ蛇ハ見ヘス女童ネイレ ルカ如シ驚カシテイカカオホユルト問ハ只今ココニ若キ殿ノミメヨ キカソコニフセフセト仰ラレツル時ニヨリフシツル時クヒノホトニ チカツキテナニニヤラオトロキテ恐タル気色ニテニケサリ給ツル トイフマホリハシヤ持タルト問ハサル事モナシトイフサルニテモヤ ウアルランニコソト思ヒテヨクヨク見レハ尊勝陀羅尼カキタルヲ ヒキサキテモトユヒニシタリケルソレニ怖テニケケルニコソト不思 議ナル事ニナンカタリ伝侍リマホリハ人ノモツヘキ者ナリシラヌ タニ自ラ如此マシテ信シアカメテモタンヲヤ随求陀羅尼ノ一 字風ニフカレテカハネニフレタルユヘニ婆羅門地獄ヨリ出テ天/k8-300r ニ生ス如来ノ等流変化ノ分身ノ字トシテ仏ノ化身也イカテ カ其徳ムナシカラン 三井寺ノ長吏公胤僧正幻少ノ時ヨリ法器ノ人ナリケレハ 補処ノ仁ニ思アテラル相人ノ云御器量ハ左右ナキ御事也 但シ御命二十ニスキサセ給ハシト申師匠此事ヲナケキテ尊 勝陀羅尼ハ命ヲノフル功能有毎日二十一返満テ命ヲノ ヘテ仏法ニアヘルカヒアリテ学問ヲモシ興隆スヘキヨシ能々 教ヘシルコノ児師ノヲシヘヨリモ数遍多クミテテ信心マコトア リケルニコソサキノ相人三年ノ後又相シテイハクイカナル御事 ノオハシマシ候ヤラン御イノチ七十ニアマリテノヒテ見ヘ給ト 云ケルニアハセテ八十ニアマリテ地獄ノ引導ニヨリテ目出往 生セラレケル頭光ニ五色アラハレ紫雲タナヒキ音楽キコヱナン/k8-300l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=299&r=0&xywh=-2155%2C531%2C5805%2C3451 トシテ京都ノ人々オカミアヘリキマノアタリオカミタル尼公物カ タリ侍キ建保ノ比ト申シヤランサレハ尊勝陀羅尼ハ在家モ 寿命ノタメ福徳ノタメニ是ヲ誦スヘシ出家ハ殊ニ信施消シ カタシ陀羅尼ノ力尤タノモシク侍リ昔天竺ニ道人アリケリ 信施ヲウケテ行徳ウスキユヘニ肉ノ山ト成ルキリトレハ又オイオイ シケル隣ノ里ノ人聞ツタヘテ盗ミテキリトルニ山ヒヒキウコキ音 ヲタテテサケヒケリ我ハ是昔仏道ヲ行セシカトモ行徳至ラス 此里ノ人ノ信施ヲ受テツクノフホトノ行徳ナクシテ肉ノ山ト成 テカヘシ報ヲ汝カ施ヲウケサルユヘニイタミ忍ヒカタシト云漢 朝ニモ道人アリケリ檀那ノ施ヲ受テ行業ナキ故ニ園ノ木ニ 菌ニ成テ檀那ガ截取ハ又ヲイヲイシケルトナリノ人盗テキルニ サケヒナキケリユヘヲ問ケルニサキノ肉ノ山ノ如ク答ケルト云ヘ/k8-301r リ虚受信施ハ阿鼻ノ業也恐ツツシミテ行徳有ヘキ者ナリコ レヲツツシマスシテ信施ヲホシキママニ用ハサタメテ悪趣ニ落ン 事ウタカヒナシコレヲ恐レサルハ道念ノナキユヘナリ唯イソヒテ 心地ヲアキラメハ信施ノ罪ヲノツカラ生滅シ無始ノ罪業一 時ニ残リナン/k8-301l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=300&r=0&xywh=-910%2C623%2C5375%2C3195