沙石集 ====== 巻7第15話(92) 前生の親を殺す事 ====== ===== 校訂本文 ===== 美州遠山といふ所の百姓が妻、夢に見けるは、失せにし舅(しうと)来たりていはく、「明日、地頭殿の御狩に、わが命助かりがたかるべし。この家へ逃げ入ることあらば、いかにもして隠してたべ。生々世々に嬉しと思はん。われ、もとより片目の盲(しひ)たりしが、当時も変らぬを、しるしと思ひ給へ」とて、もの思ひたる姿にて、泣く泣く語ると見て、あやしくあはれに思ふほどに、次の日、地頭、鷹狩しけるに、雉の雄、家の内へ飛び入りぬ。夫は他行して、妻ばかりありけるが、「夢に見えつるはこのことにや」と思ひ合はせて、この雉を取りて、釜の中に隠して、蓋うちして置きぬ。狩人、とめ入りて、見けれども、釜の中をば思ひもよらずして、求めかねて帰りぬ。 さて、夫、その夜帰りぬ。妻、「しかじか」とくはしく語る。さて、雉を取り出だして見れば、夢にたがはず片目盲ひたり。夫、かき撫づるに、恐れたる気色もなし。「あはれなることかな」とて、この妻も涙を流し。雉も涙を流して、よく飼ひたる鳥のごとく見えけり。 さて、夫、申しけるは、「げにも父にておはしけり。生きておはせし時も、目のかたはしくおはせしが、たがはぬことのあはれさよ。親子の契りなれば、父の慈悲、いとほしく思ひて、『子に食はればや』とてこそおはしつらめ」と言ひて、ねぢ殺してけり。 この妻、あまりに心憂かりければ、やがて、家をつき出でて行くを、夫、逃がさじとす。はては地頭に訴(うた)ふるに、ことの子細聞きて、「逆罪の者にこそ」とて、境を追ひこして、「妻は情(なさけ)ある者なり」とて、その家敷(やしき)賜びて、公事なんども許されけり。 近きほどのことなり。かへすがへすも、不可思議のことにこそ。罪障のほどこそ思ひやらるれ。 ===== 翻刻 =====   前生之親殺事 美州遠山ト云所ノ百姓カ妻夢ニ見ケルハウセニシシウト来 テ云ク明日地頭殿ノ御狩ニ我命タスカリカタカルヘシ此家 ヘニケ入事アラハ何ニモシテカクシテタヘ生々世々ニ嬉シト思ハン 我レモトヨリカタ目ノシイタリシカ当時モカハラヌヲシルシト思 タマヘトテ物思ヒタルスカタニテ泣々カタルト見テアヤシクアハ レニ思ホトニ次日地頭鷹狩シケルニ雉ノ雄家ノ内ヘトヒ入 ヌ夫ハ他行シテ妻ハカリアリケルカ夢ニ見ヘツルハコノ事ニヤト 思合テ此雉ヲトリテ釜ノ中ニカクシテ蓋ウチシテヲキヌ狩人トメ 入テ見ケレトモ釜ノ中ヲハ思モヨラスシテ求メカネテ帰ヌサテ夫 其夜帰ヌ妻シカシカト委クカタルサテキシヲトリ出シテ見レハ夢 ニタカハスカタ目シヰタリ夫カキナツルニ恐レタル気色モナシ哀/k7-284r ナルコトカナトテ此妻モ涙ヲナカシケリ雉モナミタヲナカシテヨクカ ヒタル鳥ノ如ク見ヘケリサテ夫申ケルハケニモ父ニテオハシケリ イキテオハセシ時モ目ノカタハシクオハセシカタカハヌ事ノアハレ サヨ親子ノチキリナレハ父ノ慈悲イトオシク思テ子ニクハレハ ヤトテコソオハシツラメトイヒテネチ殺シテケリ此妻アマリニ心ウ カリケレハヤカテ家ヲツキ出テテ行ヲ夫ニカサシトスハテハ地頭 ニウタフルニ事ノ子細キキテ逆罪ノ者ニコソトテ境ヲオヒコシテ ツマハナサケ有ル者ナリトテソノ家敷タヒテ公事ナントモユル サレケリ近キホトノ事ナリ返々モ不可思議ノ事ニコソ罪障 ノホトコソ思ヤラルレ/k7-284l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=283&r=0&xywh=-1727%2C689%2C5375%2C3195