沙石集 ====== 巻6第11話(69) 正直の人、宝を得る事 ====== ===== 校訂本文 ===== 近年帰朝の僧の説とて、ある人の語りしは、宋朝にいやしき夫婦あり。餅を売りて世を渡りけり。 ある時、道のほとりにして、餅を売けるに、人の袋を落したりけるを見ければ、銀の軟挺(なんてい)六つありけり。家に持ちて帰りぬ。妻、心素直に欲なき者にて、「われらは商ふて過ぐれば、ことも欠けず。この主(あるじ)、いかばかり歎き求むらん。いとほしきことなり。主を尋ねて取らせよ」と言ふ。男も、「さるべし」とて、あまねくふれければ、主と言ふ者出で来て、これを得て、悦びて、「三をば奉らん」と言ひて、すでに分かつべかりける時、思ひ返して、煩ひを出ださんために、「七つこそありしに、六つあるこそ不審なれ。一つは隠されたるにや」と言ふ。「さることなし。もとより六つなり。一つ引き籠むる心地ならば、何しにかやうに披露して奉るべき」と言ふ。 かやうに論じて、果ては国の守のもとにして、これをことわらしむ。国の守、眼賢き者にて、「この主は不実の者なり。見付けたる者は正直の者」と見ながら、なほ不審なりければ、かの妻を召して、別の所にして、ことの子細を尋ぬるに、夫が言葉にたがはず。 「この妻も正直の者」と見て、判じていはく、「夫妻ともに正直なればこそ、引籠めずしてふれて、主といふ者出で来るに渡さんとすらめ。いかでか、一つを引き籠むべき。さらば、六つながらこそ取らめ。今、主と名乗る者、七つありけるを落したらば、さては、この軟挺にはあらざりけり。七つあらんを求めて取るべし。これは別の軟挺なりけり」とて、六つながら夫妻に賜びけり。宋朝の人、「いみじき成敗」とぞ、讃めののしりける。 心直(なほ)ければ、おのづから、天の与へて宝を得たり。心曲れば、冥の咎めにて、財を失なふ。かへすがへすも、このことわりをわきまへて、正直にして、冥の加護を願ふべし。 聖徳太子の御言葉には、「謀計雖為眼前之利潤、終当仏神之罰。正直雖非一且之依怙、必蒙日月之哀。(謀計は眼前の利潤を為すといへども、終に仏神の罰に当る。正直は一旦の依怙にあらずいへども、必ず日月の哀れを蒙る)」。まことなるかな。心あらん人、深くこの心を存すべきなり。 ===== 翻刻 =====   正直之人宝得事 近年帰朝ノ僧ノ説トテ或人ノ語リシハ宋朝ニイヤシキ夫婦 アリ餅ヲ売テ世ヲワタリケリ有時道ノホトリニシテ餅ヲ売ケルニ 人ノ袋ヲオトシタリケルヲ見ケレハ銀ノ軟挺六アリケリ家ニモ チテ帰ヌ妻心スナヲニ欲ナキ者ニテ我等ハアキナウテスクレハ 事モカケス此主イカハカリ歎キモトムランイトホシキ事也主ヲ タツネテトラセヨト云男モサルヘシトテ普クフレケレハ主ト云者 出来テ是ヲヱテ悦テ三ヲハタテマツラントイヒテ既ニワカツヘカ リケル時思返シテ煩ヲイタサンタメニ七ツコソアリシニ六アルコソ 不審ナレ一ハカクサレタルニヤト云サル事ナシモトヨリ六ナリ 一ツヒキコムル心地ナラハ何シニカヤウニヒロウシテタテマツルヘキ/k6-227r トイフカヤウニ論シテハテハ国ノ守ノモトニシテ是ヲコトワラシム国ノ 守眼賢キ者ニテコノ主ハ不実ノ者也ミツケタル者ハ正直ノ 者ト見ナカラ猶不審ナリケレハ彼ノ妻ヲメシテ別ノ所ニシテコト ノ子細ヲ尋ヌルニ夫カ詞ニタカハスコノ妻モ正直ノ者ト見テ 判シテ云ク夫妻共ニ正直ナレハコソ引籠スシテフレテ主トイフ者 出来ルニワタサントスラメイカテカ一ツヲヒキコムヘキサラハ六ナ カラコソトラメ今主トナノルモノ七アリケルヲオトシタラハサテハ 此軟挺ニハアラサリケリ七アランヲモトメテ取ヘシコレハ別ノ軟 挺ナリケリトテ六ナカラ夫妻ニタヒケリ宋朝ノ人イミシキ成敗 トソホメノノシリケル心ナヲケレハヲノツカラ天ノアタヘテ宝ヲヱタ リ心マカレハ冥ノトカメニテ財ヲウシナフ返々モコノコトハリヲワ キマヘテ正直ニシテ冥ノ加護ヲネカフヘシ聖徳太子ノ御詞ニハ/k6-227l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=226&r=0&xywh=-2010%2C569%2C5375%2C3195 謀計雖為眼前之利潤終当仏神之罰ヲ正直ハ雖非一 且之依怙必蒙日月之哀マコトナルカナ心アラン人フカクコ ノ心ヲ存スヘキナリ/k6-228r https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=227&r=0&xywh=-59%2C355%2C5805%2C3451