沙石集 ====== 巻6第10話(68) 正直の俗士の事 ====== ===== 校訂本文 ===== 唐(もろこし)の育王山に、ある僧二人、布施を争ひて、かまびすしかりければ、その寺の長老、大覚の連和尚、この僧を恥ぢしめていはく、「ある俗、他人の銀を百両預りて置きたりけるに、かの主死して後、その子にこれを与ふ。子、これを取らず。『親すでに与へずして、そこに寄せ置く。それの物なるべし』と言ふ。かの俗、『われは、ただ預りたるばかりなり。譲り得たるにあらず。親の物は子の物なり』とて、また返しつ。たがひに諍ひて取らず。はては、官に出でて、判断を乞ふに、『ともに賢人なり。言ふ所当たれり。すべからく寺に寄せて、亡者の菩提をとぶらへ』と判ず。このこと、まのあたり見聞きしことなり。世俗塵労の俗士、なほ利養をむさぼらず。いはんや、割剃(かつてい)出家の沙門、何ぞ世財を争はん」とて、法に任せて、寺を追ひ出だしてけり。 末代の習ひ、在家の富貴なるは、着も薄く、信もあり。礼もあり。出家の貧賤((「貧賤」は底本「貪賤」。文脈により訂正。))なるは貪欲((「貪欲」は底本「貧欲」。文脈により訂正。))深く、智もなく、徳もなし。あるいは布施を送りて導師を望み、あるいは祈祷をこととして財産を望む。権を恐れ、威を頼み、利養恭敬を心とするゆゑに、釈子の風にそむき、出家の義を欠く。 昔、王の夢に、出家の人の頭(かしら)を踏みて、白衣穴を出づと見たるは、滅後、遺弟の沙門は、破戒にして悪趣に落ち、在家の人は、善を修し出家を供養し、出家の教導によりて、天に生ずべき夢とこそ、仏は説き給ひけれ。頭をなで、衣に恥ぢて、教へに従ひ、道におもむくべし。誰(たれ)か袈裟の下に人身を惜しまず、福田の中に荊棘(けいきよく)を生ぜんや。 ===== 翻刻 =====   正直之俗士事 唐ノ育王山ニ或僧二人布施ヲアラソヒテカマヒスシカリケレ ハ其寺ノ長老大覚ノ連和尚此僧ヲハチシメテ云ク有俗他 人ノ銀ヲ百両預リテヲキタリケルニ彼ノ主死シテ後其子ニ是 ヲアタフ子是ヲトラス親ステニ与ヘスシテソコニヨセヲクソレノ物ナ ルヘシト云彼俗我ハタタ預リタル計也譲得タルニアラス親ノ 物ハ子ノ物ナリトテ又返シツタカヒニ諍ヒテトラスハテハ官ニイ/k6-226r テテ判断ヲコフニ共ニ賢人ナリ云所アタレリスヘカラク寺ニヨ セテ亡者ノ菩提ヲトフラヘト判ス此事マノアタリ見キキシ事 也世俗塵労ノ俗士猶利養ヲムサホラス況ヤ割剃出家ノ沙 門何ソ世財ヲアラソハントテ法ニ任テ寺ヲ追出シテケリ末代ノ 習在家ノ冨貴ナルハ著モウスク信モアリ礼モ有リ出家ノ貪 賤ナルハ貧欲フカク智モナク徳モナシ或ハ布施ヲオクリテ導師 ヲノソミ或ハ祈祷ヲ事トシテ財産ヲノソム権ヲ恐レ威ヲタノミ利 養恭敬ヲ心トスル故ニ釈子ノ風ニソムキ出家ノ義ヲカク昔シ 王ノ夢ニ出家ノ人ノ頭ヲフミテ白衣アナヲイツト見タルハ滅 後遺弟ノ沙門ハ破戒ニシテ悪趣ニヲチ在家ノ人ハ善ヲ修シ 出家ヲ供養シ出家ノ教導ニヨリテ天ニ生スヘキ夢トコソ仏ハ 説給ケレ頭ヲナテ衣ニハチテ教ニシタカヒ道ニヲモムクヘシ誰カ/k6-226l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=225&r=0&xywh=-2339%2C502%2C5375%2C3195 袈裟ノ下ニ人身ヲオシマス福田ノ中ニ荊棘ヲ生センヤ/k6-227r https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=226&r=0&xywh=-412%2C307%2C5805%2C3451