沙石集 ====== 巻5第17話(53) 有心の歌の事 ====== ===== 校訂本文 ===== 一、鎌倉の大臣の歌((源実朝を指すと思われるが、実朝に次の歌は見られない。))に、   鳴子をばおのが羽風にまかせつつ心と騒ぐむら雀かな(([[text:senjusho:m_senjusho05-05|『撰集抄』5-5]]参照。)) この歌は、深き心の侍るにや。法華((法華経))には「諸法従本来常自寂滅相」と説き、古人は、「万法もと閑かなり。人、自ら閙(いそがはし)」と言ひて、諸法はもとより寂静安楽にして、生死去来の労なきに、一念の迷心、六塵の妄境を現じ、むなしく煩悩業を作りて、その中に苦患(くげん)を受け、三悪八難のよしなき所を見出だして、恐れ苦しむこと、雀の鳴子(なるこ)を動かして、おのれと驚き騒ぐに似るをや。 また、道慶僧正の歌に、   杣(そま)かたのまきの立枯れ枝をなみおのれぞ白き雪はたまらず この歌も心有るべし。諸法は空無相にして、生死の流転、色心の幻化(げんけ)、まことにはこの体なし。ただ偏計(へんけ)の虚妄(こまう)、分別の思ひ付きにて、有(う)と思へば、有に似て有を現じ、空と思へば、むなしき理(ことわり)を見る。されば、枯木を雪かと見れども、ただおのれが白きなり。万法かくのごとく、むなしく思ひなすばかりなり。 ===== 翻刻 =====   有心之歌事 一  鎌倉ノ大臣ノウタニ   ナルコヲハヲノカ羽風ニ任セツツ心トサハクムラススメカナ 此ウタハ深キ心ノ侍ニヤ法華ニハ諸法従本来常自寂滅相 ト説キ古人ハ万法本閑ナリ人自閙ト云テ諸法ハ本ヨリ寂 静安楽ニシテ生死去来ノ労ナキニ一念ノ迷心六塵ノ妄境ヲ 現シ空ク煩悩業ヲ作リテ其中ニ苦患ヲウケ三悪八難ノ ヨシナキ所ヲ見出テオソレ苦シム事雀ノナルコヲ動テヲノレトオ トロキサハクニ似ルヲヤ/k5-186r 又道慶僧正ノ歌ニ   杣カタノマキノ立カレ枝ヲナミヲノレソ白キ雪ハタマラス 此歌モ心有ヘシ諸法ハ空無相ニシテ生死ノ流転色心ノ幻 化誠ニハ此体ナシ唯偏計ノ虚妄分別ノ思付ニテ有ト思ヘ ハ有ニ似テ有ヲ現シ空ト思ヘハ空キ理ヲ見ルサレハ枯木ヲ雪 カト見レトモ唯ヲノレカ白キナリ万法如此空ク思ナスハカリ也/k5-186l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=185&r=0&xywh=-2177%2C191%2C6450%2C3835