沙石集 ====== 巻5第11話(47) 学生の歌好みたる事 ====== ===== 校訂本文 ===== 慧心の僧都((恵心僧都・源信))は、修学のほか他事なく、道心深き人なりければ狂言綺語(きやうげんきぎよ)のいたづらごと憎まれけり。 弟子の児の中に、朝夕心を澄まして、和歌をのみ詠ずるありけり。「児ども((「ども」は底本「其」。諸本により訂正))は、学問なんどするこそ、さるべきことなれ。この児、歌をのみすきて、所詮なき者なり。あれ体(てい)の者あれば、余りの児どもも見学ぶ。明日、里へやるべし」と、同宿によくよく申し含められけるをも知らずして、月さえてもの静かなるに、夜うち更けて、縁に立ち出でて手水使ふとて、かの児、詠じていはく、   手に結ぶ水に宿れる月影のあるかなきかの世にもすむかな 僧都、これを聞きて、折節といひ、歌の体といひ、心肝に染みてあはれなりければ、「歌は道心のしるべにもなるべきものなりけり」とて、この児をも留めて、その後、歌を詠み給ひけり。近代の集にその歌見え侍るにや。 ある説には、近江の湖((琵琶湖))に船の行くを見て、この児、   世の中をなににたとへん朝ぼらけ漕ぎ行く船のあとの白波 と詠じけるを聞きて、歌を好まれけるとも言へり。 先の歌は、貫之((紀貫之))、病重くして、心弱かりける時の歌。後の歌は満誓が歌なり。二つながら、古歌を詠じたるにこそ。ともに拾遺((拾遺和歌集))にあり。 僧都、詠じていはく、   うらやましいかなる空の月なれば心のままに西に行くらん およそ、狂言綺語といひて、口業(くごふ)の過(とが)に和歌を入るることは、染歌(ぜんか)といひて、愛情に引かれて、よしなき色に染(そ)み、むなしき言葉を飾るゆゑなり。聖教の理(ことわり)をも述べ、無常の心をも連ねて、世縁俗念を薄くし、名利情執をも忘れ、風葉を見て、世上のあだなることを知り、雪月を詠じて、心中の潔き理をも悟らば、仏道に入るなかだち、法門を悟る便りなるべし。されば、古人の仏法を修行せし、必ずしもこの道を捨てず。折にしたがふ述懐、これ多く聞こゆ。 大原上人((寂然・藤原為業))・西行法師など寄り合ひて、老後の述懐に、ある上人、   山の端(は)に影かたぶきてくやしきはむなしく過ぎし月日なりけり かの作者の心中、推し量られて、はるかに聞くに、心なき身にもあはれに思え侍り。人ごとに悔しかりぬべきものなり。よしなきことにうちまぎれて、まことの道の営みは、げにおろそかなり。 この歌は、遺教経((仏垂般涅槃略説教誡経))の心にあひかなへり。仏((釈迦))、最後の説法に、「無為空死致後有悔。(為すこと無くして空しく死せば後に悔いあることを致す。)」と説き給へり。文の意は、「わがか説く所の法の中に、有縁の法を受け習ひて、一心に勤め行はば、いづれの法も生死を出づべし。一期なすこと無くして明け暮れなば、後に必ず悔むべし。 老いぬれば、若かりし時((「若かりし時」は底本「苦カリシ時」。諸本により訂正。))勤めざることを悔い、病(やまひ)に臥しぬれば、身つつがなかりし時勤めざることを悔い、命終らんとして、悪相現じ苦痛に責めらるる時は、たとひ老と病とありとも、苦軽(かろ)く心乱れざりし時、など一善をも成じ、一仏をも念ぜざりけんと悔しかるべし。われは医師(くすし)のごとし。よく病を知り、薬を服せざるは、わが過(とが)にあらじ」と説き給へり。 されば、若くさかりに強く病なからん時、勤め行ふべし。老いを待つことなかれ。古人いはく、「莫道老来初学道。古墳多是少年人。(老い来たりて始めて道を学ばんと道(い)ふなかれ。古墳は多くこれ少年の人なり。)」と。「老少不定の国なれば、若しとても、頼むべからず。衆苦充満の境なれば、富めりとも、『安楽なり』と思ふことなかれ。古墓をとぶらへば、多くは若くして世を早くせし人なり」と言へり。 かかる世のためし、眼に遮り耳に盈(み)つれども、思ひよりて驚く心なし。頭(かしら)に雪をいただき、面(おもて)に波を畳みながら、なほ百年の蓄へ((「蓄へ」は底本「畜ヘ」。諸本により訂正。))をし、一生は尽くといへども、希望は尽きずして、この世の望み捨てがたくして、栄花を思ひ、富貴を願ふ。後悔先立たぬことをわきまへざること、まことに愚なるかな。 この歌の心、まめやかに思ひ入れたる言葉と思え侍るままに、くはしくその趣(おもむき)申し侍るなり。 ===== 翻刻 =====   学生之歌好タル事 慧心ノ僧都ハ修学之外他事ナク道心フカキ人ナリケレハ狂 言綺語ノ徒事ニクマレケリ弟子ノ児ノ中ニ朝夕心ヲスマシテ 和歌ヲノミ詠スルアリケリ児其ハ学問ナントスルコソサルヘキ 事ナレ此児歌ヲノミスキテ所詮ナキモノ也アレ体ノ者アレハ餘 ノ児共モ見マナフ明日里ヘヤルヘシト同宿ニヨクヨク申含ラレ/k5-174r ケルヲモ知ラスシテ月サエテ物静カナルニ夜打フケテ縁ニタチ出テ 手水ツカフトテ彼ノ児詠云   手ニムスフ水ニヤトレル月影ノ有ルカナキカノ世ニモスムカ ナ僧都コレヲキキテ折節トイヒ歌ノ体トイヒ心肝ニソミテアハ レ也ケレハウタハ道心ノシルヘニモ成ヘキモノ成ケリトテ此児ヲ モ留テ其後チ歌ヲヨミ給ケリ近代ノ集ニ其ウタ見ヘ侍ニヤ或 説ニハ近江ノ湖ニ船ノユクヲ見テ此児   世ノ中ヲナニニタトヘン朝ホラケコキ行フネノ跡ノ白波ト 詠シケルヲ聞テ歌ヲコノマレケルトモ云ヘリ先ノウタハ貫之病 重クシテ心ヨハカリケル時ノウタ後ノウタハ満誓カ歌ナリ二ナカラ 古歌ヲヱイシタルニコソ共ニ拾遺ニアリ 僧都ヱイシテ云ク/k5-174l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=173&r=0&xywh=-2020%2C660%2C5409%2C3195   浦山シイカナル空ノ月ナレハ心ノママニ西ニ行ラン凡狂 言綺語トイヒテ口業ノ過ニ和歌ヲ入ルコトハ染歌ト云テ愛 情ニヒカレテ由ナキ色ニソミムナシキ詞ヲカサル故ナリ聖教ノ 理ヲモノヘ無常ノ心ヲモツラネテ世縁俗念ヲウスクシ名利情 執ヲモ忘レ風葉ヲ見テ世上ノアタナル事ヲ知リ雪月ヲヱイシテ 心中ノ潔キ理ヲモサトラハ仏道ニ入ル媒法門ヲ悟ル便リナル ヘシサレハ古人ノ仏法ヲ修行セシ必シモ此道ヲステス折ニシ タカフ述懐是オホク聞ユ大原上人西行法師ナトヨリアヒテ 老後ノ述懐ニ或上人   山ノハニ影カタフキテクヤシキハ空シク過シ月日ナリケリ 彼作者ノ心中ヲシハカラレテ遥ニ聞ニ心ナキ身ニモ哀ニ覚侍 ヘリ人コトニクヤシカリヌヘキモノ也由ナキ事ニ打マキレテ実ノ/k5-175r 道ノイトナミハケニオロソカ也此歌ハ遺教経ノ心ニアヒカナヘリ 仏最後ノ説法ニ無為空ク死後ニ致有悔ト説給ヘリ文ノ 意ハ我カ説ク所ノ法ノ中ニ有縁ノ法ヲ受習テ一心ニツトメ 行ハイツレノ法モ生死ヲ出ヘシ一期ナスコト無シテアケクレナハ 後ニ必スクヤムヘシ老ヌレハ苦カリシ時ツトメサルコトヲクヒ病 ニフシヌレハ身ツツカナカリシ時ツトメサルコトヲ悔ヒ命終ラント シテ悪相現シ苦痛ニセメラルル時ハタトヒ老ト病トアリトモ苦カ ロク心ミタレサリシ時ナト一善ヲモ成シ一仏ヲモ念セサリケン トクヤシカルヘシ我ハ医師ノ如シヨク病ヲシリ薬ヲ服セサルハ 我カトカニアラシト説給ヘリ去ハワカク壮ニツヨク病ナカラン時 ツトメヲコナフヘシ老ヲ待ツ事ナカレ古人云莫道老来初学/k5-175l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=174&r=0&xywh=-2062%2C474%2C5841%2C3451 道古墳多是少年人ナリト老少不定ノ国ナレハワカシトテモ 頼ムヘカラス衆苦充満ノ境ナレハ冨リトモ安楽ナリト思事ナ カレ古墓ヲトフラヘハ多クハワカクシテ世ヲ早クセシ人也トイヘリ カカル世ノタメシ眼ニ遮リ耳ニ盈レトモ思ヨリテオトロク心ナシ 頭ニ雪ヲイタタキ面ニ波ヲタタミナカラ猶百年ノ畜ヘヲシ一 生ハツクトイヘ共希望ハツキスシテ此世ノ望ミステカタクシテ栄花 ヲ思ヒ冨貴ヲ願フ後悔サキタタヌ事ヲワキマヘサル事誠ニ愚 哉此歌ノ心マメヤカニ思入タル詞ト覚侍ルママニ委ク其趣 キ申侍也/k5-176r https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=175&r=0&xywh=-425%2C343%2C5841%2C3451