沙石集 ====== 巻4第4話(32) 上人の女、父の看病する事 ====== ===== 校訂本文 ===== 坂東のある山寺の別当、学生(がくしやう)にて、上人なりければ、弟子・門徒多かりけれども、年たけて後、中風の病の床に臥して、身は合期(がふご)せずながら、命は長らへて、年月を経るままに、弟子ども、看病し疲れて、いと細やかならざるに、いづくよりともなく、女人一人出で来て、「御看病申さんこといかに」と言へば、弟子ども、「しかるべし」とて許しつ。えもいはず、ねんごろに看病しけり。「いかなる人ぞ」と問へども、「惑ひ者にて侍り。人に知られ参らすべき者にあらず」と言ふ。 あまりにありがたく看病し、月日も歴(へ)ければ、この病人、申しけるは、「仏法・世法の恩をかぶれる弟子だにも、うち捨てて侍るに、これほどねんごろにおはすること、『しかるべき先世の契りにこそ』とて、あまりにありがたく思ひ給へるに、いたくかくし給ふこそ、いぶせけれ。そもそも、いかなる人にておはするぞ」と、あながちに問ひければ、「まことに、今は申し侍らん。これは、そのかみ思ひかけぬ縁にあはせ給ひて、思ひのほかなる御ことの候ひける、某(それがし)と申すものの娘にて侍るなり。それにはかくとも知らせ給はねども、母にて侍りし者の、『なんぢは、かかることにて』と告げ知らせて後は、心ばかりは御女(おんむすめ)と思ひつつ、『あはれ、見も参らせ、見えも参らせばや』と年ごろ思ひながら、かかる御身にはよろづはばかりありて、むなしく年月を送り侍りつるに、この御病ひに、御看病の人も疲れて、こと欠けたるよし、つたへ承りて、『御孝養に、心やすく扱ひ参らせん』と思ひ立ちてなん参りて候ふ」と泣く泣く語りければ、まめやかに志のほど、あはれに思えて、涙もかきあへず、「しかるべき親子の契りこそあはれなれ」とて、互ひになつかしく、隔てなきことにて、つひに最後まて看病し、心やすくして終りにけり。 至孝の志こそ、ありがたく思え侍れ。「人の子に、男子よりも女子は、孝養の志も侍り、養の勤めも、ねんごろなること」と申すも、ことわりにや。 ===== 翻刻 =====   上人之女父之看病事 坂東ノ或山寺ノ別当学生ニテ上人ナリケレハ弟子門徒オ ホカリケレトモ年タケテ後中風ノ病ノ床ニ臥シテ身ハ合期セス ナカラ命ハナカラヘテ年月ヲフルママニ弟子共看病シツカレテ 分トコマヤカナラサルニイツクヨリトモナク女人一人出テ来御看/k4-142r 病申サン事イカニトイヘハ弟子共シカルヘシトテユルシツヱモイ ハスネンコロニ看病シケリイカナル人ソト問トモマトヒ者ニテ侍 リ人ニシラレマイラスヘキ者ニアラストイフアマリニアリカタク看 病シ月日モ歴ケレハコノ病人申ケルハ仏法世法ノ恩ヲカフレ ル弟子タニモ打ステテ侍ニコレホトネンコロニオハスル事シカルヘ キ先世ノ契ニコソトテアマリニアリカタク思給ニイタクカクシ 給コソイフセケレソモソモ何ナル人ニテ御坐ルソトアナカチニ問ケ レハ誠ニ今ハ申侍ランコレハソノカミ思カケヌ縁ニアハセ給テ 思ノ外ナル御事ノ候ケル某ト申モノノムスメニテ侍ナリソレニ ハカクトモ知セ給ハネトモ母ニテ侍シモノノナンチハカカル事ニテ トツケシラセテ後ハ心ハカリハ御女ト思ツツアハレ見モマイラセ 見ヘモマイラセハヤト年来思ナカラカカル御身ニハヨロツハハカ/k4-142l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=141&r=0&xywh=244%2C389%2C5841%2C3451 リ有テムナシク年月ヲヲクリ侍リツルニ此御病ニ御看病ノ人 モツカレテコトカケタルヨシツタヘ承テ御孝養ニ心ヤスクアツカヒ マイラセント思タチテナンマイリテ候トナクナクカタリケレハマメヤ カニ志ノ程哀ニ覚テ涙モカキアヘスシカルヘキ親子ノ契リコソ 哀ナレトテタカヒニナツカシクヘタテナキ事ニテツヰニ最後マテ看 病シ心ヤスクシテヲハリニケリ至孝ノ志コソアリカタクオホヘ侍レ 人ノ子ニ男子ヨリモ女子ハ孝養ノココロサシモ侍リ養ノツト メモネンコロナル事ト申モコトハリニヤ/k4-143r https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=142&r=0&xywh=-262%2C324%2C5841%2C3451