[[index.html|醒睡笑]] 巻4 聞こえた批判 ====== 9 下京にちと有徳なる者男子を一人持ちたり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[n_sesuisho4-008|<>]] 下京に、ちと有徳(うとく)なる者、男子を一人持ちたり。かれ二歳の春、母にはなれぬ。継母(けいぼ)にそはんをいたはりながら、さすが男やもめにて送らんよしもなければ、かさねて妻を求め置きしが、惣領(そうりやう)すでに六歳の春、父病の床に臥しぬ。 かなふましきことを得心し、兄に向かひ、「わが子幼稚なり。そちへとり、養育成人(やういくせいじん)の後、家をわたしてくれられよ」と言ひ置き、つひにむなしくなれり。 遺言のごとく、子を伯父(をぢ)の方へ呼び取らんとするに、継母言ふ、「我か腹を出ぬばかりに、いかほど辛苦して年月育てたるぞや。その上、この後また夫に添はんにもあらず。髪を剃り、あの子を育て、家をもりたてんもの、なかなかそちへはやるまい」と怒り、双方伊賀守((板倉勝重))の前に出でたり。 「言ふところ、いづれも理あり。それなる子、ここへ越えよ」と呼び、膝のもとになつけ、炬燵(こたつ)にあたらせ、菓子などを取り食はせ、心やすくおもふかほばせの折、「そちは伯父のもとにゐたいか、また母のところにゐたいか」と問はせ給へば、「伯父のところにゐたい」と言ふ。「さらば、もとのところへ行け」とありし。伯父と後家と、子の手を取りうばひ呼ぶ。子は泣く泣く伯父の膝にゐけり。 伊賀守、下知せられけるは、「まづしばらく伯父の方にあづけよ。とかく子が伯父になついたほどに。後はともかくもあらん」と、やはらかに言うて戻されし。 [[n_sesuisho4-008|<>]] ===== 翻刻 ===== 一 下京にちと有徳(うとく)なる者男子を一人持   たり彼二歳の春母にはなれぬ継母(けいぼ)にそはん   をいたはりなからさすが男やもめにて送らんよ   しもなけれはかさねて妻(つま)をもとめ置(おき)しが   惣領すてに六歳の春父病(やまい)の床(とこ)にふしぬか   なふましき事を得心(とくしん)し兄にむかひ我子幼(よう)   稚(ち)なりそちへとり養育(やういく)成人(せいじん)の後家をわ/n4-12r   たしてくれられよといひをき終にむなしく   なれり遺言(ゆいこん)のことく子をおちのかたへよび   とらんとするに継母(けいほ)いふ我か腹(はら)を出(で)ぬ斗(ばかり)に   いかほとしんくして年月そたてたるそや其   上此後又夫にそはんにもあらす髪(かみ)をそり   あの子をそたて家をもりたてん物中々   そちへはやるまいといかり双方伊賀守の前   に出たりいふ処いつれも理ありそれなる子   爰へ越(こえ)よとよひ膝(ひさ)のもとになつけこたつ/n4-12l   にあたらせ菓子などをとりくはせ心やすくおも   ふかほはせの折そちはおちのもとにゐたいか   又母のところにゐたいかととはせ給へはおちの   ところにゐたひといふさらはもとの処へゆけ   とありしおぢと後家(こけ)と子の手をとりうばひ   よふ子はなくなくおちのひざに居(ゐ)けり伊賀守   下知せられけるはまつしはらくおちのかた   にあづけよとかく子か伯父(おち)になついたほと   に後はともかくもあらんとやはらかにいふて/n4-13r   もどされし/n4-13l