[[index.html|醒睡笑]] 巻3 文の品々
====== 6 祖父と祖母と何事をいさかひけんさうなく祖母を追ひ出だしけり・・・ ======
===== 校訂本文 =====
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祖父と祖母と、何事をいさかひけん、さうなく祖母を追ひ出だしけり。しかはあれど、老いたるを愛する者なければ、日にそひて互ひになつかしく思ふ折節、魚を売る商人来たれり。
祖父喜び、「その里のそれと尋ね、この文を届けて給び候へ。もしまた((「また」は底本「文」。諸本により訂正。))返事のあらば、立ち寄りて取り給び候へ」など言ひふくめけるが、姥(うば)、文を見て、雨やさめと泣き、「久しくも会はぬに、文章の上がりたることや」と感じ、返事とて頼み渡す。
商人、帰るさに、祖父に渡してあれば、栃(とち)ほどなる涙を流して、手を放さず。商人、あはれさに、文のやうを尋ね聞く。祖父の方よりは、いばらに小石を包み添へつかはしぬ。姥が方よりは、その中へ小糠(こぬか)を包み添へて返しぬ。「むばら恋し」とあるに、「むばら恋しくは来ぬか」と互ひに通ふむつまじさ、読むも書くも同じ心なる、浜の真砂の数々や。
年寄れば腰にあづさの弓をはりしわのいる矢にしし((獣・肉・尿))ぞ少なき
『荘子』に、「寿者多辱(いのちながき者は辱(はぢ)多し)」。
長かれと何祈りけん世の中のうきめ見するは命なりけり
おしまれぬ身の残るかなしさ
あやにくに道ある人はとどまらで
楽天((白居易))が「今朝向鏡看、疑是逢別人(今朝(こんてう)鏡に向かつて看れば、疑ふらくはこれ別人に逢ふかと)」。
ます鏡向かひて見ればわが姿知らぬ翁に逢ふ心地する
老にけり今年ばかりとながむれば花より先に散る涙かな
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===== 翻刻 =====
一 祖父と祖母と何事をいさかひけんさうな
く祖母を追出しけりしかはあれと老たる
をあいするものなけれは日にそひて互に
なつかしく思ふ折節魚をうる商人来
れり祖父よろこひ其里のそれとたつね
この文をととけて給候へもし文返事のあらは
たちよりてとりたび候へなといひふくめけるか
姥文を見てあめやさめとなき久しくも
あはぬに文章のあかりたる事やとかんし/n3-32l
返事とてたのみわたす商人かへるさに祖父
にわたしてあればとちほとなる涙をながし
て手をはなさず商人あはれさに文のやう
を尋きく祖父のかたよりはいはらに小石
をつつみそへつかはしぬむばかかたよりは其
中へこぬかをつつみそへてかへしぬむばら
恋しとあるにむはら恋しくはこぬかと互
にかよふむつましさよむもかくもおなし心
なる浜の真砂(まさご)の数々や/n3-33r
年よれは腰にあつさの弓をばり
しはのいる矢にししそすくなき
荘子に 寿者(いのちなかきもの)は多辱(はぢ)
ながかれとなに祈けん世の中の
うきめ見するは命なりけり
おしまれぬ身の残るかなしさ
あやにくに道ある人はととまらで
楽天が 今朝(こんてう)向(むかつて)鏡(かかみに)看(みれば)疑(うたがふらくは)是(これ)逢(あふ)別人(べつしんに)
ますかかみむかひて見れは我すかた/n3-33l
しらぬ翁にあふ心ちする
老にけり今年はかりと詠むれは
花よりさきにちる涙かな/n3-34r