[[index.html|醒睡笑]] 巻1 謂へば謂はるる物の由来 ====== 35 遣唐使唐土にある間に子あり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[n_sesuisho1-034|<>]] 遣唐使(けんとうし)、唐土(もろこし)にある間に子あり。日本へ帰る時、妻に、「この子、乳母(にゆうも)離れんほどには迎へ取るべし」と契りて帰朝しぬ。 遣唐使の来るごとに消息を尋ねれど音なし。母、大いに恨み、児(ちご)の首に簡(ふだ)を結ひ付け、「縁あらば親に逢ひなん」と海に投げ入れ帰りぬ。 父、難波の浦を行く。沖より浮びて物の見ゆ。馬をひかへて見れば、四つばかりなる児なり。大きなる魚の背中に乗れり。取らせ見ければ札あり。わが子にこそありけれ。「言ひ契りし児を問はぬを、母が腹立ちて海に投げ入れしが、縁ありて魚に乗り来たるなめり」と哀れに((「哀れに」は底本「に」なし」。諸本により補う。))覚え、いみじうかなしくて養ふ。このよし書きやりたれば、母も聞きて、「今はなき物にと思ひけるに、希有のこと」とて喜びける。 この子、大人になり手をよく書けり。魚に助けられたる((「られたる」は底本「られゝる」。諸本により訂正。))ゆゑ、名を魚養((朝野宿禰魚養・朝野魚養))とぞ付けたる((「とぞ付けたる」は底本「とにつけたる」。諸本により訂正。))。七大寺の額どもは、これがみな書きたるなり。あな面白の由来や。 [[n_sesuisho1-034|<>]] ===== 翻刻 ===== 一 遣唐使(けんとうし)もろこしにある間に子あり日本へ   帰る時妻(つま)に此子乳母(にうも)はなれん程には迎(むかへ)へ取/n1-17r   へしとちきりて帰朝(きちやう)しぬ遣唐使(けんとうし)のくる   ことに消息を尋(たつね)れとをとなし母大に恨(うらみ)児(ちこ)の   くひに簡をゆひつけえんあらは親に逢(あひ)なん   と海になけ入帰ぬ父難波の浦を行沖(おき)よ   りうかびて物のみゆ馬をひかへてみれは四斗(はかり)   なる児なり大なる魚の背(せなか)にのれりとらせ見   けれは札あり我子にこそありけれいひちき   りし児をとはぬを母か腹立て海になげ入しか   えんありて魚にのりきたるなめりと哀(あはれ)/n1-17l   覚(おほへ)いみしうかなしくてやしなふ此よし書   やりたれは母もききて今はなき物にとおもひ   けるに希有(けう)の事とてよろこひける此子お   となになり手をよくかけり魚にたすけられゝ   るゆへ名を魚養とにつけたる七大寺の額(かく)   ともはこれかみなかきたるなりあなおもしろ   の由来や/n1-18r