撰集抄 ====== 巻9第10話(120) 於長谷寺逢故人 ====== ===== 校訂本文 ===== その昔、頭おろして、貴き寺に参り歩(あり)き侍りし中に、神無月上の弓張り月のころ、長谷寺に参り侍りき。日暮れかかり侍りて、入りあひの鐘の声ばかりして、ものさびしきありさま、木末の紅葉、嵐にたぐふ姿、何となくあはれに侍りき。 さて、観音堂に参りて、法施なんど手向け侍りてのち、あたりを見めぐらすに、尼、念珠をする侍り。心を澄まして念珠をする侍り。あはれさに、かく、   思ひ入れてする数珠の音の((「数珠」は底本「鈴」。諸本「すす(ずず)」により訂正。))声澄みて思えずたまるわが涙かな と詠みて侍るを聞きて、この尼、声を上げて、「こはいかに」とて、袖に取り付きたるを見れば、年ごろ偕老同穴の契り浅からざりし女の、はや、さまかへにけるなり。 あさましく思えて、「いかに」と言ふに、しばしは、涙、胸にせける気色にて、とかくもの言ふことなし。ややほど経て((底本「て」は虫損。諸本により補う。))、涙をおさへて言ふやう、「君、心を発して出で給ひしのち、何となく住み憂かれて、宵ごとの鐘も、そぞろに涙をもよほし、暁の鳥の音も、いたく身にしみて、あはれにのみなりまさり侍りしかば、過ぎぬる弥生のころ、頭おろして、かく尼になれり。一人の娘をば、母方のをばなる人のもとに預け置きて、高野の天野の別所に住み侍るなり。さてもまた、我を避けて、いかなる人にも慣れ給はば、よしなき恨みも侍りなまし。これは、まことの道におもむき給ひぬれば、つゆばかりの恨み侍らず。かへりて、智識となり給ふなれば、嬉しくこそ。別れ奉りし時は、『浄土の再会を』とこそ期し侍りしに、思はざるに、みづから夢とこそ思ゆれ」とて、涙せきかね侍りしかば、さまかへけることの嬉しく、恨みを残さざりけることの喜ばしさに、そぞろに涙を流し侍りき。 さて、あるべきならねば、さるべき法文なんど言ひ教へて、「高野の別所へたづね行かん」と契りて、別れ侍りき。 年ごろも、「うるせかりし者」とは、思ひ侍りしかども、「かくまであるべし」とは、思はざりき。女の心のうたてさは、かなはぬにつけても、よしなき恨みを含み、絶えぬ思ひにありかねては、この世をいたづらになし果つるものなるぞかし。しかあるに、別れの思ひを智識として、まことの道に思ひ入りて、かなしき一人娘を捨てけん、ありがたきには侍らずや。 このこと、書き載せぬるも、はばかり多く、かたはらいたく侍れども、何となく見捨てがたきによりて、われをそばむる人の心を、かへりみざるべし。 ===== 翻刻 ===== 其昔かしらおろして貴き寺にまいりありき侍し 中に神無月上の弓はり月の比長谷寺にまい り侍りき日くれかかり侍て入あひの鐘の声はか りして物さひしきありさま木すゑのもみち/k297r 嵐にたくふ姿何となく哀に侍りき扨観音堂 にまいりて法施なんとたむけ侍りて後あたりを 見めくらすに尼念珠をする侍り心をすまして念珠をする侍りあはれさにかく 思入てする鈴音の声すみて おほえすたまる我なみたかな とよみて侍を聞て此尼声をあけてこはいかに とて袖にとりつきたるをみれは年比階老同穴の 契あさからさりし女のはやさまかへにけるなり浅 猿く覚ていかにといふにしはしは泪むねにせ ける気色にて兎角物云ことなしやや程経□/k297l なみたをおさへていふやうきみ心を発して出給し後 何となくすみうかれてよひ毎の鐘もそそろに泪をも よほし暁の鳥の音もいたく身にしみて哀にのみ 成まさり侍しかは過ぬる弥生の比かしらおろし てかく尼になれり一人の娘をは母方をはなる人 のもとに預置て高野の天野の別所に住侍る なりさても又我をさけていかなる人にもなれ給ははよ しなき恨も侍りなまし是は実の道におも むき給ぬれは露はかりのうらみ侍らす還て智識 となり給ふなれはうれしくこそ別奉りし時は浄/k298r 土の再会をとこそ期し侍りしに思はさるに身つ から夢とこそ覚ゆれとて泪せきかね侍りしかは さまかへける事のうれしく恨を残ささりける事 のよろこはしさにそそろに泪をなかし侍りき扨あるへ きならねはさるへき法文なんといひをしへて高野の 別所へ尋ゆかんと契て別侍りき年比もうる せかりし者とは思ひ侍りしかともかくまてあるへ しとは思はさりき女の心のうたてさはかなはぬに 付てもよしなき恨をふくみたえぬ思ひに有かねて は此世をいたつらになしはつる物なるそかししかある/k298l に別の思を智識として実の道に思ひ入てかな しき独り娘を捨けん有難きには侍らすや 此事書載ぬるもははかりおほくかたはらいたく侍 れとも何となく見すて難きによりて我をそは むる人の心をかへり見さるへし/k299r