撰集抄 ====== 巻9第7話(117) 空観房事 ====== ===== 校訂本文 ===== このごろ、高野の空観房((「空観房」は底本「空観な」。諸本により訂正。))と申すは、いまだ飾りおろし給はざりし先に、坊城の宰相成頼((藤原成頼))とぞ申し侍りけり。去ぬる永暦の末のころより、心を発(おこ)して、この御山にこもり給へりけり。 「いみじき道心者」と聞こえ給ひぬれば、なにとなくゆかしく思え給へしままに、たづねまかりて侍りしに、方丈の庵(いほり)に、阿弥陀仏の三尊美しく立て並べ、華香あざやかにそなへて、かの御前に立ちて、静かに念仏し給ひき。見奉るに、貴く侍り。 「さても、後世の勤めに、いかなる御勤めか侍る」と尋ね申し侍りしに、「われに仏性あり。かれ((「かれ」は底本「つれ」。諸本により訂正。))、とこしなへに明静なり。このゆゑに、われ為すところ、みな彼(か)の仏界より等流せり。しかあれば、四方(よも)のふるまひ、居て思ひ、起きて思ふこと、みな仏法なりと。この思ひをなして、観念し侍ること、日ごとにおこたる時なし。また、   心仏及衆生 是三無差別 とて、心・仏・衆生、離れざるに侍れば、人を憎み、あざむくこと侍らず。おのづからの善 を修しても、ことごとく自他の法界に廻向するに侍り」と、のたまはせしに、伝へ聞き侍りしよりも、貴く思え侍りて、随喜の涙、袂をうるほし侍りき。 さて、帰る道すがら、このことを思ふに、上人のたまはせしこと、「げに」と思えて侍り。章安大師((灌頂))かとよ、「夜な夜な仏とともに臥し、朝な朝な仏にしたがひて起く」とのたまひけるを、恵心僧都((源信))、是を釈し((「釈し」は底本「見し」。諸本により訂正。))、述べらるるに、「これはこれ、『三十七尊住心城』の心地なり。われ、もとより仏なり。わが起き臥しは、すなはち仏の起き臥しなる。章安大師、いまだこの心を述べ給はず」と書き置き給へるに、ふつとかなひて侍るぞ。 また、是三無差別の心になり居て、所作の功徳をあまねく自他のために廻向し侍らん、ことにいみじく侍り。善きも悪しきも、みな我に離れざれば、用捨まさに絶えず。一切の衆生、わが外にあらざれば、平等の慈悲、堅固なり。されば、仏たちは、この心を悟り給ひていまそかりければこそ、そぞろに無縁の大悲をば発(おこ)し給へな。   自利利他心平等 是則名真供養仏 たな心にかなひて侍り。 あはれ、「是三無差別の理(ことわり)までは悟り侍らずとも、『げに、さぞ』とも思ゆる心が付きて、人をそばむるわざのつゆばかりも侍らで、わが身にいささかもおとらぬ思ひを、仏の付け給はせよかし」と思えて、そのこととなく涙を流し侍りき。 まことに、われらが思ひ侍ることの、心・仏・衆生が異(こと)ならば、仏も、よもそぞろに大悲はおこり給はじ。されば、ある釈の中に、「仏菩薩の大悲は、無縁にはあらず。自身、無間の火にこがるれば、これを歎き給ふ有縁なり」と言へり。この宰相入道の、世をのがれて、この心のみのうち続きて、しづかに観念し給ふらん、ありがたくぞ侍る。 そもそも、しづかにわが心を思ふに、駒となりて森の下草をすさめ、牛と生れて、賤(しづ)かあら田を返し、峰に起き臥す小牡鹿(さをしか)としては、露を乞ひ、野原にあさる雉子(きぎす)となりては、卵のために身を亡ぼす時も侍りけむ。山に住む禽、海に育つ鱗(いろくづ)となりて、残害の悲しみにあひて、ますます悪趣の報をきざし、あるひは、蘭麝四方(よも)に薫じ、秋風の名残を送る身として、朝には鸞鏡に向ひて、柳の黛細く描き出で、人の目をよろこばしめ、夕((「夕」は底本「名」、「夕歟」と傍注。諸本及び傍注にしたがい訂正。))には、なつかしき薫りを衣に移して、人の思ひをまして、胸の中の月には、よも心はかけ侍らじ。 されば、今、心をかけて思ひをつくす女の色も、知らず、過ぎし世の父母にてや侍らん。しかあらば、びんなかるべし。また、草むら中にぞ入りて、人に恐ぢられし蛇にもや侍らん。また、口に食ふところの鱗(いろくづ)、世々の恩愛といふことをわきまへず。 しかあれば、仏は生きとし生けるたぐひを、等しくあはれみ給ふ。「誰ももて離れじ」とは思ひ侍れども、思ひかけぬに、草むらより蛇の出で侍れば、心さはぎて逃げまどふことの悲しさよ。「今より後は、たとひ頭(かしら)にかかり((「かかり」は底本「かかる」。諸本により訂正。))侍りとも、さはぐ心は侍らじ」と思ひさだめて侍り。いはんや、また、是三無差別の理をわきまへんには、なとか、仮にもそばむべきな。 ===== 翻刻 ===== 此比高野の空観なと申すはいまたかさりをろし 給はさりしさきに坊城の宰相成頼とそ申侍り けり去ぬる永暦の末の比より心を発して 此御山に籠り給へりけりいみしき道心者と聞 給ぬれはなにとなくゆかしく覚給しままに 尋まかりて侍しに方丈のいほりに阿弥陀仏 の三尊うつくしく立ならへ華香あさやかに 備て彼御前に立て静に念仏し給き見 奉るに貴く侍り扨も後世のつとめにいかなる/k287r 御勤か侍ると尋申侍しに我に仏性ありつれと こしなへに明静なり此故に我なす所みな彼の仏界 より等流せりしかあれはよもの振舞ゐて思ひ おきて思事みな仏法なりとこの思をなして観念 し侍ること日ことにおこたる時なし又心仏及衆生 是三無差別とて心仏衆生はなれさるに侍れは 人をにくみあさむくこと侍らすをのつからの善 を修してもことことく自他の法界に廻向する に侍りとの給はせしに伝聞侍しよりも貴 く覚侍りて随喜のなみた袂をうるをし侍りき/k287l 扨帰る道すから此事を思に上人の給はせしこと けにと覚て侍り章安大師かとよ夜な夜な仏と 共にふしあさなあさな仏に随ておくとの給けるを 恵心僧都是を見しのへらるるにこれはこれ卅 七尊住心城の心地也われ本より仏也我をきふ しは即仏のおきふしなる章安大師いまた此 こころをのへ給はすと書置給へるにふつと叶て 侍そ又是三無差別の心になり居て所作の功 徳を普く自他の為に廻向し侍らん殊いみしく侍 りよきもあしきもみな我にはなれされは用捨正に/k288r 絶す一切の衆生我外にあらされは平等の慈悲堅 固なりされは仏達は此心を悟給ていまそかりけれは こそそそろに無縁の大悲をは発し給へな自利利他 心平等是則名真供養仏たな心に叶て侍りあは れ是三無差別の理まては智り侍らす共けにさそと も覚ゆる心かつきて人をそはむるわさの露はかりも 侍らて我身にいささかもおとらぬ思ひを仏のつけ給 はせよかしと覚てその事となく泪をなかし侍りき 実に我等か思ひ侍ることの心仏衆生かことならは 仏もよもそそろに大悲はおこり給はしされは或尺/k288l の中に仏菩薩の大悲は無縁にはあらす自身 無間の火にこかるれは是を歎給有縁なりといへり 此宰相入道の世を遁れて此心のみのうちつつきて 閑に観念し給覧ありかたくそ侍る抑しつかに 我心を思ふに駒となりて森の下草をすさめ 牛と生れてしつかあら田をかへし峯におきふす さほ鹿としては露をこひ野原にあさるきき すと成ては卵の為に身をほろほす時も侍り けむ山に住禽海にそたついろくつとなりて残 害の悲に遇てますます悪趣の報をきさし或は/k289r 蘭麝よもに薫し秋風の名残を送る身として 朝には鸞鏡に向て柳の黛ほそくかきいて 人の目をよろこはしめ名(夕歟)にはなつかしき薫を衣に うつして人思をまして胸の中の月にはよも心は かけ侍らしされは今心をかけて思ひをつくす女 の色も智す過し世の父母にてや侍らんしかあらは 便なかるへし又草村中にそいりて人にをちられし 蛇にもや侍らん又口にくふところのいろくつ世々の 恩愛といふことを弁へすしかあれは仏はいき としいけるたくひをひとしくあはれみ給誰ももて/k289l はなれしとは思侍れとも思ひかけぬに草むらより 蛇の出侍れは心さはきてにけ迷ふことの悲さよ 今より後は縦ひかしらにかかる侍りともさはく心は 侍らしと思ひさためて侍り況や又是三無差別の 理をわきまへんにはなとかかりにもそはんへきな/k290r