撰集抄 ====== 巻9第6話(116) 道希法師事 ====== ===== 校訂本文 ===== いにしへ、『高僧伝』を見侍りしに、唐土(もろこし)の道希法師、伝法のために印度((底本表記「印土」))の境に渡りて、火弁論師に会ひ奉りて、深き法を授かりて、婆羅提寺といふ所に一人籠りて、諸経を漢字に写され侍りしほどに、はかなき世のさがにて、失せられ侍りき。 そののち、道希の弟子、登法師といひし人、六年(むとせ)を経て、翻訳のために渡られて侍りけるが、「師の跡、おぼつかなし」とて、婆羅提寺にたづねいたり侍りけるに、堂舎荒廃して、仏像独り立ちて、屋壁傾きて、止住の僧侶も見えず。秋の草、とぼそを閉ぢて、虫、声々に悲しみ、松風、すさまじく吹き、うづら、ひめむすにに鳴く。荒れたるさまを見るに、涙、袂をうるほす。 やうやく、たづね入りて見るに、道希の身まかりて、漢字の経ばかり残りけるを見侍りけるに、そぞろに悲しく思えて、泣く泣く漢字の経を取りて、唐土(もろこし)に渡し侍りけり。 まことにあはれにぞ侍るめる。流砂等の道の嶮難をしのぎ、虎狼の輩(やから)の害をのがれて渡天し給ひしかば、「さりとも」とこそ思ひ侍りしに、さははかなくなり給ひけん悲さ、たとへん方なく思え侍り。 諸経論を翻訳して、唐土(もろこし)に((底本「に」なし。諸本により補う。))返り給はざるは、恨みの中の恨み、歎きの内の悲しみなるといへども、一つ悦べる所侍り。もし、道のほとりにて、いかにもなり給ひて、御法(みのり)に会はず、仏跡をも拝み給はざらましかば、なほ余執も深からましな。 さても、婆羅提寺の荒れ果てて、人もなき閑室をしめて、静かに経論を見そなはかし奉られけんこと、ことに貴くぞ思え侍る。 あはれ、生死の無常が、かやうの人には所をおきて、つたなきわれらごときの者に替へでも、口惜しくぞ侍る。このこと、『遊心集』にもかたばかり載せて侍りき。とにかくに、ことの見過しがたさに、これを書き入れおわりぬ。 ===== 翻刻 ===== 以往高僧伝を見侍しにもろこしの道希法師 伝法のために印土の堺に渡て火弁論師に 合奉て深き法を授かりて婆羅提寺といふ 所に独籠りて諸経を漢字にうつされ侍 しほとにはかなき世のさかにてうせられ侍りき其 後道希の弟子登法師といひし人六とせをへ て翻訳の為に渡られて侍りけるか師の跡 おほつかなしとて婆羅提寺に尋至侍りけるに/k285l 堂舎荒廃して仏像独り立て屋壁傾て止住 の僧侶も見えす秋の草とほそを閉て虫声 声にかなしみ松風冷く吹うつらひめむすにになく あれたる様を見るに涙袂をうるほすやうやく尋 入てみるに道希の身まかりて漢字の経はかり残 りけるを見侍りけるにそそろに悲く覚て泣々漢 字の経を取てもろこしに渡し侍りけり実に 哀にそ侍める流砂等の道の嶮難をしのき虎 狼のやからの害を遁て渡天し給しかはさり共と こそ思ひ侍しにさははかなくなり給けん悲さたとへん/k286r 方なく覚侍り諸経論を翻訳してもろこし 返り給はさるは恨の中の恨歎の内の悲なると いへとも一つ悦へる所侍りもし道のほとりにてい かにもなり給てみのりにあはす仏跡をも拝み給はさ らましかはなを余執もふかからましな扨も婆羅提寺 のあれはてて人もなき閑室をしめて静に経論を みそなはかし奉られけん事殊貴くそ覚侍る哀生 死の無常かかやうの人には所をおきてつたなき 我等こときの物に替ても口惜そ侍る此こと遊心 集にもかたはかり載て侍りきとにかくに事のみ/k286l すこしかたさに是をかき入をはりぬ/k287r