撰集抄 ====== 巻9第1話(111) 内侍所御事(并鹿島御事) ====== ===== 校訂本文 ===== わが朝はこれ神国なり。仏法の仏法たる、これわが神の力、王法の王法たる、擁護の神力なり。一天の主(あるじ)、万乗の宝位((「宝位」は底本「宝佐」で「佐」に「祚歟」と傍書。諸本により訂正。))と仰がれ給へる天子は、かたじけなく、伊勢の大神の御流(ながれ)、藤氏の長者、天下の摂政といつかれ給ふは、春日の明神の御末にいまそかりけり。百寮、いづれか神氏を離れ給へるはおはします。 昔、天照大神の、天の岩戸を閉じて、こもらせおはしまして、世の中常闇(とこやみ)に侍りし時、よろづの神たち、歎かせおはしまして、庭火を焚き((底本、「庭火」の下、二字虫損。))、神楽を奏し給へりしに、めでさせをはしまし給ひて((底本、「給」の下一字虫損。))、岩戸を開かせ給ひしかば、天下たちまちに明きらかになりて、今に絶え侍らず。 その時、天照大神の御誓ひにいはく、「わが孫をもては、天下の主(あるじ)とせん。なんぢが孫をもては、天下の政(まつりごと)を執務せしめよ」と、天小屋根の尊((天児屋根命。春日大社に祀られ、藤原氏の祖神。))に仰せられし時、御請けたしかなりき。その御契り、今に絶えせずぞおはしまし侍る。 そもそも、「われ、百王を護らん。おのおの、いかに」と仰せのなり侍りしに、天小屋根をはじめ奉りて、おのおの冠の巾子(こじ)を地につけて、あへて綸言に背き奉り給はざりしかば、「さらば、わが形を鋳写して、日本の主(あるじ)と同殿にすゑ奉れ」とて、神たち、御姿を写し((底本「うつし」の「う」字虫損。))とどめ給へりけるに、はじめは鋳損じていまそかりける。次のたび、心よく鋳おほせ給へり。今の内侍所にておはします。鋳損じ奉り給へるは、紀伊国日前宮と申して、祝はれ給ふに侍り。 内侍所をば、御誓の御詞(ことば)にまかせて、主と同殿におはしましけり。崇神天皇御位の時、恐れをなし奉らせ給ひて、別の殿に移し奉りにけり。宇多の御門((宇多天皇))の御時より、温明殿に入らせ給へりけり。 天暦の御世((村上天皇の御代を指す。))、天徳四年、長月の末のころ、左衛門の陣より火出できて、禁裏((底本、「裏」虫損。))みな焼けけるに、温明殿もほど遠からぬ上に、まことの夜中((底本「中」虫損。))にて侍りければ、内侍・女官も参らで、取り出だし奉らざりければ、清慎公((藤原実頼))、急ぎ参らせ給ひて、「内侍所、すでに焼けさせおはしましぬらん。世はかうぞ」と思し歎き、涙ぐんでいまそかりけるに、南殿の桜の木末に懸からせ給へり。 光、赫奕として、あらたにましますこと、山の端を分けて出づる日よりも、なほあらたにていまそかりけるを、拝み奉り給へるに、悦びの涙かきあへ給はず、急ぎ右の御膝を突き、左の御袂(たもと)を広げて、「昔、天照大神は、『百王を守り奉らん』といふ御誓ひ、いまそかりける。その御誓ひ、まことに改らずは、実頼が袖に移らせ給へ」と申し給へるに、神鏡、たちまちに袂に飛び入らせ給へりけり。みづから御先(みさき)を参らせさせ給ひて、大政官の賢所に渡り奉り給へり。 末の世には、「請け取り参らせん」と思ひ寄る人も侍らじかし。神鏡も、また入らせ給はじとぞ思え侍る。神は昔の神にて、変ることいましまざれども、凡夫の闇の深くのみなりゆきて、澄める月の現はれざると知るべし。 さても、九条殿((藤原師輔))の、わらはやみにとりこめられ給ひて、さばかりの有智徳行の 人々、落しかね給へりけるに、小野の宮殿((藤原実頼))、内侍所の移らせ給へる御袖を解きて、「これにて落し給へ」とて参らせられけるを、御枕に置かせ給ひてければ、やがて落ちいまそかりけるとぞ。げにも、「いかなる怨霊も、なじか落ちざるべき」と思えて、かたじけなく侍れ。 その御衣、公任の大納言((藤原公任))に参らせられけるが、大二条殿((藤原教通))へ伝へて侍りけるを、御跡の御こと、京極の大殿((藤原師実))に申しおかせ給ひける中に、一の筆にしるされて、その御方に参れりけるが、今の世には近衛殿にありとぞ、聞こえ侍り。 春日明神と申すは藤氏の大祖、法相擁護の神にておはします。称徳天皇の御位に、常陸国鹿島、河内国平岡より、大和州の三輪の麓に移らせ給ひけるが、またの年に、三笠山に跡を垂れさせましましけり。 ===== 翻刻 =====   撰集抄第九 我朝は是神国なり仏法の仏法たる是吾神の 力王法の王法たる擁護の神力なり一天のある し万乗の宝佐(祚歟)とあふかれ給へる天子は忝く 伊勢の太神の御流藤氏の長者天下の摂政と いつかれ給は春日の明神の御末にいまそかり けり百寮何れか神氏をはなれ給へるはおはします 昔天照太神の天岩戸を閉て籠らせおはしまして 世中とこやみに侍し時よろつの神たち歎かせ おはしまして庭火を□□神楽を奏し給へりしに/k270l 目出させをはしまし給□岩戸を開かせ給しかは天下忽に あきらかに成て今にたえ侍らすその時天照太神 の御誓に云く我孫をもては天下のあるしと せん汝か孫をもては天下の政を執務せしめよと 天小屋根の尊に仰られし時御請たしかなりき その御契いまにたえせすそおはしまし侍る抑我 百王を守らんをのをのいかにと仰のなり侍しに天 小屋根をはしめ奉りて各々冠のこしを地につけて あへて綸言にそむき奉り給はさりしかはさらは我形 を鋳写て日本の主と同殿にすへ奉れとて神達/k271r 御姿を□つしととめ給へりけるに初は鋳そむ していまそかりける次の度心よくいおほせ給へり今 の内侍所にておはします鋳損し奉り給へるは 紀伊国日前宮と申て祝はれ給に侍り内侍所を は御誓の御詞にまかせて主と同殿におはし ましけり崇神天皇御位の時恐をなし奉せ 給て別の殿にうつし奉りにけり 宇多の御門の御時より温明殿に入せ給へりけり 天暦の御世天徳四年なか月のすゑの比左衛門の陣 より火出きて禁□みなやけけるに温明殿も/k271l 程遠からぬ上に誠の夜□にて侍りけれは内侍女官 もまいらて取出奉らさりけれは清慎公いそきまいら せ給て内侍所已に焼させおはしましぬ覧世はかう そとおほしなけき泪くんていまそかりけるに南殿 の桜の木すゑにかからせ給へり光赫奕として あらたにましますこと山のはをわけて出る日よ りもなをあらたにていまそかりけるを拝み奉り 給へるに悦の涙かきあへ給はすいそき右の御ひ さをつき左の御袂をひろけてむかし天照太神 は百王を守奉らんといふ御誓いまそかりける/k272r その御誓実に改らすは実頼か袖にうつらせ給 ゑと申給へるに神鏡忽に袂にとひ入せ給へりけ り身つからみさきをまいらせさせ給て大政官の賢 所に渡奉給へり末の世には請取まいらせんと 思寄人も侍らしかし神鏡も又入せ給はしとそ覚 侍る神は昔の神にてかはることいましまされ とも凡夫のやみの深くのみなりゆきてすめる月 のあらはれさると智へし扨も九条殿のわらはや みにとりこめられ給てさはかりの有智徳行の 人々おとしかね給へりけるに小野の宮殿内侍/k272l 所のうつらせ給へる御袖をときて是にておと し給へとてまいらせられけるを御枕にをかせ給て けれはやかてをちいまそかりけるとそ実もいかなる 怨霊もなしかおちさるへきと覚てかたしけなく 侍れその御衣公任の大納言にまいらせられけるか 大二条殿へ伝て侍りけるを御跡の御こと京極の大 殿に申をかせ給ける中に一の筆にしるされ て其の御方にまいれりけるか今の世には近衛 殿にありとそ聞え侍り春日明神と申は藤 氏の大祖法相擁護の神にて御座す称徳/k273r 天皇の御位に常陸国鹿島河内国平岡よ り大和州の三輪の麓に移らせ給けるか又の年 に三笠山に跡をたれさせましましけり/k273l