撰集抄 ====== 巻8第34話(109) ※標題無し ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、恵心の僧都((源信))といふ人いまそかりけり。智恵・さきら、並びなきのみにあらず、まことの月をも見て、四方(よも)の浮き雲、心の中にきやし給ふ人になんおはしけり。 しかれども、生ある者はかならず死する世のさがなれば、七旬にかたぶき給ひてのち、横川にて、御身のまかりけるに、胸の間に青蓮花三本侍りけり。かたじけなく侍り。 このこと、世に聞こえしかば、君((後一条天皇))より、かの蓮花を召されけるに、北嶺((比叡山延暦寺))の衆徒、僉議して、参らすまじきよし、かたく申しければ、「さらでは一本を奉れ」と仰せ下さるる時、学徒、心ゆきて、一本を参らせけり。残り二本をば、文殊楼にこめ侍りぬ。 君のめされたりける蓮花は、御堂の御殿((藤原道長。底本「御室の御殿」。諸本により訂正。))の、御門の外祖にていまそかりけるほどに、その御方へ伝はり侍りけるを、宇治殿((藤原頼通))の御世に、平等院の宝蔵に納められ侍り。 この蓮花を平等院の宝蔵にこめさせ給へりけるには、大殿、みゆきなり、諸卿、列に立ちて、舞楽侍りて、納めさせ給へり。ころは如月、中の十日のほどにて侍りければ、花、舞台の上に散りかかりて、「空に知られぬ雪か」と疑はれ、かざしの梅の袂にかかるに、「『二月の雪、衣に落つ』と作りけん、これならん」と思えて、おもしろく思え侍り。 ===== 翻刻 ===== 昔恵心の僧都と云人いまそかりけり智恵さ きらならひなきのみにあらす実の月をも見 てよものうき雲心中にきやし給人になん おはしけりしかれ共生ある物はかならす死する 世のさかなれは七旬にかたふき給て後横川に て御身のまかりけるに胸の間に青蓮花三本 侍りけりかたしけなく侍り此こと世に聞えし かは君より彼蓮花をめされけるに北嶺の/k263r 衆徒僉議してまいらすましきよしかたく申 けれはさらては一本を奉れと仰下さるる時学 徒心ゆきて一本をまいらせけり残二本をは文殊 楼にこめ侍りぬ君のめされたりける蓮花は 御室の御殿の御門の外祖にていまそかりける程 にその御方へ伝はり侍りけるを宇治殿の御世に 平等院の宝蔵に納められ侍り此蓮花を平 等院の宝蔵にこめさせ給へりけるには大殿み ゆきなり諸卿列に立て舞楽侍りて納めさせ 給へり比はきさらき中の十日の程にて侍り/k263l けれは花舞台の上にちりかかりて空にしられ ぬ雪かとうたかはれかさしの梅の袂にかかるに 二月の雪衣に落と造りけん是ならんとお ほえて面白く覚侍り/k264r