撰集抄 ====== 巻8第30話(105) 成通鞠 ====== ===== 校訂本文 ===== さいつころ、侍従大納言成通((藤原成通))といふ人おはしましけり。壮年より鞠(まり)を好みて、あるいは一人も、あるいは友に交りても、これを興じて、日に絶ゆること侍らざりけり。 ある時、最勝光院にて、ことに心をとどめて蹴給へりけるに、いづくの者、いづ方より来りたりとも知らぬ小男の、見目ことがらあてやかなる、うずくまりて侍り。大納言、怪しみ思して、「誰にか」と尋ね給ふに、「われはこれ鞠の精なり。君のめでたく蹴給ふによりて、鞠のもことの姿を現はすになん」とて、かき消すやうに失せにけり。 そののちも、たびたび先のごとくなる男出で来て、目をもたたかず鞠を見て侍りけり。いと不思議にぞ侍る。 そりたる沓を履きて、清水の舞台の高欄にて鞠を蹴給ひけるを、父の宗通の大納言((藤原宗通))、あさましう、うつつ心なく思え給ひて、「このこと、いさめん」とて、呼び寄せ給ひけるに、畳の上五寸ばかり上りておはしければ、「化人にこそ」と思ひ給ひければ、手を合せて拝みて退き給ひけるを、成通も大きに恐れ給ひけりとぞ。 かの大納言ののたまひしは、鞠は用明天皇の御時、「太子の御つれづれを、なぐさめ奉らん」とて、月卿雲客の作り出だし給へり。太子の鞠、めでたくおはしけり。 朝ほど、一時は人も召されで、いづれの所をもさし回して、一人あそばしけるに、声は数十人が音のし侍りける。これは、三世(よ)の賢聖たちのあそばすとも申す。また、鞠の精どもなりとも申す。いづれとも知りがたく侍り。 ただし、『扶桑記』には、「その跡、妙(たへ)に香ばし」と注(しる)し侍りぬれば、げにも仏たちのあそばしけるにこそ。いとめでたく貴く侍り。 ===== 翻刻 ===== さいつ比侍従大納言成道と云人おはしましけり 壮年より鞠を好みて或はひとりも或はとも に交ても是を興して日にたゆること侍/k258r らさりけり或とき最勝光院にて殊心をととめ てけ給へりけるにいつくのものいつ方より来りた りともしらぬ小男のみめことからあてやかなる うすくまりて侍り大納言あやしみおほして 誰にかと尋給に我は是鞠のせいなり君の目出 け給によりて鞠の実の姿をあらはすになんと てかきけすやうにうせにけり其のちも度々 先のことくなる男出きて目をもたたかす鞠 を見て侍りけりいとふしきにそ侍るそりた るくつをはきて清水の舞台のかうらんにて/k258l 鞠をけ給けるを父の宗通の大納言あさましう うつつ心なく覚給て此こといさめんとてよひよせ 給けるに畳の上五寸はかりあかりておはしけれは 化人にこそと思給けれは手を合ておかみて のき給けるを成通も大に恐給けりとそ彼大 納言のの給しはまりは用明天皇の御時太子 の御つれつれをなくさめ奉らんとて月卿雲閣の造 出し給へり太子の鞠目出く御坐けり朝ほと一時 は人もめされて何の所をもさしまはして独り あそはしけるに声は数十人か音のし侍りけるこれは/k259r 三よの賢聖達のあそはすとも申す又鞠のせ いともなりとも申何とも知りかたく侍り但扶 桑記には其跡たえにかうはしと注し侍ぬれは けにも仏達のあそはしけるにこそいと目出貴く 侍り経信大納言俊忠の中納言とて当世の好/k259l