撰集抄 ====== 巻8第29話(104) ※前話のつづき ====== ===== 校訂本文 ===== さても、平等院僧正((行尊))の、目驚きて、人、申し侍りけるは、空也上人と内にて参り会ひ給ひけるに、空也上人の左の御手のかがめりけるを、僧正、「それは、何としてかがみ給ふにか」と問ひ給ふに、「これは幼くて縁(ゑん)より落ちて、うち折りて侍り」とのたまふ。「さらば祈り直して参らせばや。いかに」とのたまふに、「さも侍らば、しかるべきことにこそ」と侍れば、「さらば」とて、不空羂索の神呪をみて給ふこと三べん、いまだ終らざるに、手のかがみ直り給ひにけり。法験も貴く、僧正も貴くぞ思え給ふ。 しかのみならず、一条院((一条天皇))の御位の時、大和より瓜を参らせて侍りけるに、雅忠((丹波雅忠))といふ医師の、おりふし御前にさぶらひけるが、「この瓜の中に、その一つには大なる毒を含めり。食ひなん者はやがて失すべし」と申す。 この由、御門に奏し奉るに、「不思議のことなり。晴明((安倍晴明))、申す旨やある。彼を召せ」とて、晴明といふ陰陽師を召されて、「この瓜の中に、いかなる事かある。占い申せ」と仰せ下さるるに、晴明ほどなく、「大なる霊気あり」と奏すれば、「さらば、行尊に祈らせよ」とて、召されて、神呪にて祈り給ふに、やや時もかへず、多くの瓜の中に、大なる瓜一つ、板敷より二三尺ばかり踊り上がることたびたびにて、はては、中より二つに割れて、一尺あまりなる蛇、一筋這ひ出でて、すなはち死にけり。いと不思議にぞ侍る。 上古もかかることを聞かず、末代にもあるべしとも思え侍らぬことに侍り。雅忠・晴明・行尊、時の面目、ゆゆしくぞ侍りける。今、世の下りて、かかるめでたき人々もおはせぬこそ、世を背ける事なれども、悲しく思えて侍れ。 ===== 翻刻 ===== むる事なかれさても平等院僧正の目驚きて 人申侍りけるは空也上人と内にて参会給ける/k256l に空也聖人の左の御手のかかめりけるを僧正それ は何としてかかみ給にかと問給に是はおさなく てゑんより落てうち折て侍りと宣給ふさら は祈直してまいらせはやいかにと宣給にさも 侍らは然べきことにこそと侍れはさらはとて不 空羂索の神呪をみて給ふ事三反いまたおはら さるに手の亀みなをり給にけり法験も貴く 僧正も貴くそ覚給ふしかのみならす一条院の 御位のとき大和より苽をまいらせて侍りけるに 雅忠と云医師のおりふし御前にさふらひ/k257r けるか此苽の中にその一には大なる毒を含めりくい なんものはやかてうすへしと申此よし御門に 奏し奉るに不思義のことなり晴明申旨やある 彼をめせとて晴明と云陰陽師をめされて此苽 の中にいかなる事かあるうらない申せと仰下 さるるに晴明程なく大なる霊気ありと奏す れはさらは行尊に祈らせよとてめされて 神呪にて祈給にやや時もかへすおほくの苽 の中に大なる苽一板敷より二三尺計をとり あかること度々にてはては中より二/k257l にわれて一尺あまりなる蛇一すちはひ出て則 死にけりいとふしきにそ侍る上古もかかる ことをきかす末代にもあるへしとも覚侍らぬ 事に侍り雅忠晴明行尊時の面目ゆゆしく そ侍りける今世の下りてかかる目出人々も をはせぬこそ世を背ける事なれともかなしく おほえて侍れ/k258r