撰集抄 ====== 巻8第25話(100) 荻上風句 ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、一条摂政((藤原伊尹))の御もとに、人々、連歌侍りけるに、   秋はなほ夕まぐれこそただならね といふ句の出できたりけるを、人々声をかしてたびたびになり侍りけれど、付くる人も侍らざりけるに、摂政殿の御子に義孝少将((藤原義孝))とて、十三になり給ひけるが、   荻の上風萩の下露 と付け給へりければ、殿、大きに御感ありて、「これをば、うちこめてはあるべき」とて、またの日、「この小冠、しかじかつかまつり侍り」とて、御堂殿((藤原道長))へ、「かく」と聞こえ奉り給ふに、「子はよくいとほしきものにて侍りけり」とばかり仰せられて、こと なる御言葉もなく、なほざりがてらに、「かへすがへすおもしろく侍り」とばかりぞ、申させ給へりける。 一条殿、思しけるは、「『年ほどよりも、ゆゆしくし給へり』なんど、ねんころならんずらん」と思しけるに、なほざりがてらの御返事にて侍りければ、よに本意ならす思し召して、また、上東門院((藤原彰子))へ、「かく」と申させ給ふに、中務と聞こえし歌詠みの女房の、奉りの御返事に、いと細かに、「ことにありがたくて、人丸((柿本人麻呂))・赤人((山部赤人))が昔の、めでたかりし人々の再び生まれたるか」なんどまで、御返事ありけるに、中務の、私にかく申しそへたり。   荻の葉に風おとづるる夕べには萩の下露おきぞましぬる と侍りける。をかしきさまして侍り。まことやらん、そのころは、このことをば、天下のやさしきわざには申し侍りける。 ===== 翻刻 ===== 昔一条摂政の御もとに人々連哥侍りけるに 秋はなをゆふまくれこそたたならね と云句の出きたりけるを人々声をかして度々に/k252r なり侍りけれとつくる人も侍らさりけるに摂政殿 の御子に義孝少将とて十三になり給けるか 荻の上かせはきのした露 と付給へりけれは殿大に御感ありて是をは うちこめてはあるへきとて、又の日此小冠しかしか仕り 侍りとて御堂殿へかくと聞え奉り給に子はよく いとおしき物にて侍りけりとはかり仰られてこと なる御詞もなくなをさりかてらに返々面白く侍り とはかりそ申させ給へりける一条殿おほし けるは年ほとよりもゆゆしくし給へりなんと/k252l ねんころならんすらんとおほしけるになをさりか てらの御返事にて侍りけれはよに本意ならす 思食て又上東門院へかくと申させ給に中務と 聞えし哥読の女房の奉りの御返事にいと こまかに殊ありかたくて人丸赤人か昔の目出かり し人々の再ひ生れたるかなんとまて御返事 ありけるに中務の私にかく申そへたり 荻の葉に風をつるるゆふへには はきのした露おきそましぬる と侍りけるおかしきさまして侍り実やらん其の比は/k253r 此事をは天下のやさしきわさには申侍ける/k253l