撰集抄 ====== 巻8第22話(97) 伊勢(歌) ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、伊勢と聞こえし歌詠みの女、世の中過ぎわびて、都にも住み浮かれなんどして、世に経(ふ)べきたづきもなく侍りけるが、太秦(うづまさ)((広隆寺))に参りて、心を澄ましつつ、勤めなんどして、   南無薬師あはれみ給へ世の中にありわづらふも同じ病ぞ と詠みて侍りければ、仏殿動き侍りけり。 その夜の暁、夢に貴き僧のおはして、「なんぢが歌の、身にしみて思しめさるれば、世にありつくべきほどのこと侍るべし。この暁、急ぎてまかり出でね。もし、道にて思はざること侍るとも、いなぶ心あるべからず」と見つ。「あはれ、かたじけなきこと」に思えて、まかり出でぬ。 何となく苦しきままに、ある古堂((「ある古堂」は底本「或はふる堂」。諸本により訂正。))に、人もなくて侍りけるに、立ち入り、仏拝みなんどするほどに、輿・馬乗りつれて、ゆゆしげなる人の通り侍りけるが、何とか思ひ侍りけん、この堂に入り侍れば、伊勢、すべき方なくて、後ろの方へ行き侍るに、この中のあるじと思しき僧のをびきて、「かやうのこと申すにつけて、はばかり侍れど、仏の御告げ侍りて申すになん。わが住む方ざまをも御覧ぜられ侍れかし」とねんごろに聞き侍り。これをたがへんこと、仏の思し召さんも怖しく思え侍りけるままに、なびきにけり。 ことに悦びて、輿に乗せて、男、山に具し((「山に具し」は、底本「山に具に」。諸本により訂正。))いたり侍りぬ。八幡宮の検校にてぞ侍りける。いつきかしづくことかぎりなし。子ども、あまたまうけにければ、わくかたなく、わりなき者に思ひてぞ侍りける。 この検校も、年ごろあひなれ侍りける妻に別れ、「見目(みめ)・形(かたち)あでやかに、心ざまのわりなからん人がな」と思ひけるに、この伊勢を得てければ、心のままにぞ侍りける。 ===== 翻刻 ===== 昔伊勢と聞えし哥読の女世中すきわひて/k249l 都にもすみうかれなんとして世にふへきたつき もなく侍りけるかうつまさにまいりて心をすましつつ 勤めなんとして 南無薬師あはれみ給へ世の中に ありわつらふもおなしやまひそ と読て侍りけれは仏殿うこき侍りけり其 夜の暁夢に貴き僧のおはして汝か哥の身にしみ て思食さるれは世にありつくへき程のこと侍へ し此暁いそきてまかりいてねもし道にて思はさ ること侍ともいなふ心あるへからすとみつあはれかた/k250r しけなき事に覚て罷出ぬ何となくくるしきまま に或はふる堂に人もなくて侍けるに立入仏おかみ なんとする程に輿馬のりつれてゆゆしけなる 人のとをり侍りけるか何とか思侍りけん此堂に 入侍れは伊勢すへき方なくてうしろのかたへ行 侍に此中のあるしとおほしき僧のをひきて かやうのこと申につけてははかり侍れと仏の御つ け侍りて申になん我すむ方さまをも御らん せられ侍れかしとねんころに聞侍り是をたか へん事仏のおほしめさんもおそろしく覚侍/k250l りけるままになひきにけり殊に悦て輿にの せて男山に具にいたり侍りぬ八幡宮の検校に てそ侍りけるいつきかしつくことかきりなし 子ともあまたまふけにけれはわくかたなくはりな き物に思てそ侍ける此検校も年比あひなれ 侍けるつまに別れみめかたちあてやかにこころ さまのわりなからん人かなとおもひけるに此伊 勢を得てけれは心のままにそ侍ける/k251r