撰集抄 ====== 巻8第12話(87) 行平事 ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、行平の中納言((在原行平))といふ人いまそかりける。身にあやまつこと侍りて、須磨の浦にうつされて、藻塩(もしほ)たれつつ、浦づたひし歩(あり)き侍りけるに、絵島の浦にて、かづきする海士(あま)の中に、よに心にとまる侍りけるに、たどり寄り給ひて、「いづくにや住ひする人にか」と尋ね給ふに、この海士、とりあへず   白波の寄するなぎさに世を過ごす海士の子なれば宿(やど)もさだめず と詠みて、まぎれぬ。 中納言、いとかなしう思えて、涙もかきあへ給はずとなん。 波のよる昼かづきして、月やどれとはぬれねども、心ありける袂かな。「波になみしく袖の上には、月を重ねてなれし面影、そのぬれぎぬをかたしきて、舟の中にて世を送る海士人の中にも、かかる情けあるたぐひも侍りけり」と思えて、ことにあはれに侍り。 歌、まことに優に侍り。 ===== 翻刻 ===== 昔行平の中納言と云人いまそかりける身に あやまつこと侍りて須磨の浦に遷てもしほ たれつつうらつたひしありき侍りけるに絵嶋の 浦にてかつきする海士の中によに心にとまる侍 りける舟たとりより給ていつくにや住する/k242r 人にかとたつね給ふに此海士取あへす しら浪のよするなきさに世をすこす あまの子なれはやともさためす とよみてまきれぬ中納言いとかなしう覚て泪 もかきあへたまはすとなん波のよるひるかつき して月やとれとはぬれねとも心有ける袂 哉波になみしく袖の上には月をかさねてなれ し面影其ぬれきぬをかたしきて舟の中に て世ををくるあま人の中にもかかるなさけ あるたくひも侍りけりと覚て殊にあはれに/k242l 侍り哥実に優に侍り/k243r