撰集抄 ====== 巻8第6話(81) 朝綱卿成宰相詩 ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、後江相公((大江朝綱))、常陸介になりて下されりけるに、信濃国にとどまりたりけるに、「旧里、悪しく夢に見えぬるは、何事のあるべきにや」と思ひさはぎて((「と思ひさはきて」は、底本「□□思□はきて」。□は虫損。諸本により補う。))、人を返しけるとき、   前途程遠馳思於鴈山之暮雲   後会期遥霑纓於鴻臚之暁涙 といふ詩を書けり。 使、いまだ都に着かざるに、相公の文詞の蔵、焼けにけり。これが、はや先立ちて、夢には思ひおどろくまでに見えけるなるべし。 さて、この詩、御門聞こしめして、急ぎ朝綱卿召し返されて、宰相になして、伊予国を給はりにけり。上野国まで下り侍れども、常陸へも通らで、都に帰り上りて、相公につらなりて、一国を領ぜりける。身にとりて、面目を極めり。 げにげに、この詩の心、「げに」と思えて、あはれになん侍り。遠き途(みち)におもむきて、思ひを鴈山の暮の雲にはせ、後会をはるかに期せんこと、「さり」と思えて侍り。 ===== 翻刻 ===== 昔後江相公常陸介になりて下されりけるに 信濃国にととまりたりけるに旧里あしく夢に みえぬるは何事のあるへきにや□□思□はきて/k236l 人を返しけるとき 前途程遠馳思於鴈山之暮雲 後会期遥霑纓於鴻臚之暁涙 といふ詩をかけり使いまた都につかさるに相公の 文詞の蔵焼にけり是かはや先立て夢には思 ひおとろくまてに見えけるなるへしさて此詩御 門聞食ていそき朝綱卿召返されて宰相にな して伊与国を給はりにけり上野国まて下 侍れとも常陸へもとをらて都に帰りのほりて 相公につらなりて一国を領せりける身に取て面目/k237r を極めり実々此詩の心けにと覚てあはれに なん侍り遠き途に趣て思を鴈山の暮の雲に はせ後会を遥に期せん事さりとおほえて侍り/k238l