撰集抄 ====== 巻8第5話(80) 野相公再日詩事 ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、仁明((仁明天皇))の御時、野相公((小野篁))、咎(とが)にあたりて、隠岐国へ流され侍りけるに、   万里東来何再日  一生西望是長襟 と作れり。 御門、聞こしめして、流罪を留めたく思しめしけれども、綸言すでに下り侍りけるほどに、力なくて、流しつかはされ侍りぬ。 次の年、召し返されけるに、「去年の再日の名句による」とぞ、仰せ下されける。げにもありがたき句に侍り。万里の波にただよひて、一生西におもむけらん、げにげに悲しかるべし。 さても、この篁の、隠岐国に流されておはするより、海人(あま)の釣舟のはるかに波に浮びて、漕ぎ隠れぬるを見て、   わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣舟 と詠みてけり。 詩巧みなる人は、歌をもよく詠めりけるこそ。まことに同じ風情ならんと、かへすがへすゆかしく侍り。 ===== 翻刻 ===== 昔仁明の御時野相公とかにあたりて隠岐国へ なかされ侍りけるに 万里東来何再日 一生西望是長襟 と造れり御門聞食て流罪を留めたく思食 けれとも綸言すてに下侍りける程に力なくて なかしつかはされ侍ぬ次年召返されけるに去年 の再日の名句によるとそ仰下されけるけに も有かたき句に侍り万里の浪にたたよひて 一生西におもむけらん実々かなしかるへしさて も此篁の隠岐国になかされておはするよりあまの/k236r つり舟のはるかに波にうかひてこきかくれぬる を見て わたの原やそ嶋かけてこき出ぬと 人には告よ海人のつりふね と読みてけり詩巧みなる人は哥をもよくよめり けるこそまことに同し風情ならんと返々ゆかし く侍り/k236l