撰集抄 ====== 巻8第2話(77) 都良香詩(二首) ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、宇多の御門((宇多天皇))の御ころ、都良香といふいみじき博士侍り。 卯月のころ、江州竹生島へ、人々いざなひつれて参れりけり。はるかに山の頂きに上りて、御社へいたりぬ。四方見えわたり、げにげにおもしろき所なり。 かかれば、都良香、   三千世界眼前尽 と作りて詠ぜりけるに、神殿おびただしくゆるぎ動きて、ことに気高き御声にて、   十二因縁心裏空 といふ御句の、人々の耳に、あざやかに聞こえ侍りける。かたじけなくぞ侍る。 げにげに、高き御山のはれる所なれば、「三千世界は眼の前に尽きぬ」といふも理(ことはり)に侍る。それに、十二因縁の心の裏(うち)に空(むな)しく侍らん、かへすがへすいみじく侍 り。げにも、「神ならずは、誰ばかりか、かかる句をは付け給はん」とぞ、思え侍るに、小野篁は、人王の御意を悦ばしめて、相公にいたり(([[m_senjusho08-01|前話]]参照。))、都良香は明神の感歎にあづかる。能藝は、げにかたじけなくぞ侍る。 さても、都良香は、「十二因縁心裏空」といふ御詩を、日に三度唱へて、後世のつとに向けけるに、果してこの意を悟りて、終りをとりにけるも、ありがたく貴くぞ侍る。 ===== 翻刻 ===== 昔宇多の帝の御比都良香と云いみしき博士 侍り卯月の比江州竹生嶋へ人々いさなひつれて まいれりけり遥に山のいたたきに上りて御/k233l 社へいたりぬ四方見えわたり実々面白き所な りかかれは都良香三千世界眼前尽と造て 詠せりけるに神殿おひたたしくゆるきうこき て殊けたかき御声にて十二因縁心裏空と云ふ御 句の人々の耳にあさやかに聞え侍りけるかたし けなくそ侍る実々高き御山のはれる所なれは 三千世界は眼の前に尽ぬと云も理に侍るそれに 十二因縁の心の裏に空く侍らん返々いみしく侍 りけにも神ならすは誰はかりかかかる句をはつけ 給はんとそ覚侍るに小野篁は人王の御意を悦は/k234r しめて相公にいたり都良香は明神の感歎にあ つかる能藝はけにかたしけなくそ侍るさても 都良香は十二因縁心裏空云御詩を日に三度 となへて後世のつとに向けるにはたして此意 を悟りて終をとりにけるも有かたく貴くそ侍る/k234l