撰集抄 ====== 巻7第15話(75) 伊勢国尼事 ====== ===== 校訂本文 ===== 近ごろ、伊勢国に、ある山中に柴の庵(いほり)を結びて、尼の痩せおとろへて、顔よりはじめて、手足まことに汚なき尼の、涙を流して念仏する侍り。 「深く思ひ入るらん人とは見ゆれども、あまりに顔よりはじめて、汚なくおはするはいかに。さまではあらじはや」と、人々言ひければ、「さらなり。さぞ汚なく思すらん。されど、思ひ給はず、女身なれば、さまもなだらかならば、そぞろなること言ひて、本意(ほい)ならぬことも侍るべし。されば、わざと身をやつすに侍り。つねに涙のこぼるることは、生死の恐しさに、いかがと思えて、泣かるるに侍り」と言ひけり。 まことに、夜昼、念仏の声おこたること侍らねば、人々も、「後世者にこそ」とて貴みて、命をささふる((「ささふる」は底本「さらふる」。諸本により訂正。))わざをば、里の人々、とぶらひ聞こえけり。 ある時、この尼、言ふやう、「ちと、人にも知られで、去りがたき人の来たりて、『庵のありさまをも見ん』と申せば、『入れ聞こえん』と思ひて侍り。今、五日は((「五日は」は底本「われは」。諸本により訂正))、ゆめゆめたれたれにも、さしな入れ給ひそ((「給ひそ」は底本「給ふそ」。諸本により訂正。))」と言ひければ、「さればこそ、女は心うきものにてありけるぞ。後世者と思ひたれば、夫やらん、人にも((「人にも」は底本「人みも」。諸本により訂正。))知られで、入るべき人のありといふことよ」とて、あさみあへり。 しかれど、約束のままに、五日行きもせず。四日までは、念仏聞こえけれど、五日の暁より、念仏の声とだへければ、人々怪しみて、行きて見るに、西に向ひて手を合はせて、ひき入りにけり。日ごろの本意のごとく、往生とげにけり。 かやうのきはの人は、後世のこと、心にかくることはさらに侍らぬに、思ひとりけん心、いとありがたくぞ侍りし。阿弥陀仏の御誓ひは、さらに偏頗侍らず。「ただ、われを頼まん人を救はん」と誓ひ給へり。されば、何とてか、この尼の往生をとげざるべき。生死をえて((鈴鹿本・静嘉堂文庫本「おそれて」、書陵部本「思ひて」))、涙を流し、弥陀を信じて、宝号おこたり侍らざりけんこと、げにげにゆゆしき心とぞ思え侍りし。これを聞くにも、さても、最後臨終のありさま思ひ出だされて、そぞろに汗あへてぞ侍る。 されば、何を方人としてか、浄土へもひくべき。何をもちてか、焦熱の炎を消ち、何によりてか、紅蓮の氷を溶かすべき。さてまた、するわざもなくて、思ひと思ふは、しかしながら、生死の因に侍れば、悪業重くきざして、昔五戒の功徳を行く末なくなしはてん悲しさよ。朝顔の花の上の露よりもはかなき命をささへ((「ささへ」は底本「さて」。諸本により訂正。))、水の上の泡よりあやうき身を助けむとて、阿僧祇耶長夜((「阿僧祇耶長夜」は、底本「阿僧祇那長夜」。諸本により訂正。))の苦種を植ゑんことのはかなさよ。 されば、玄奘三蔵、渡天のそのかみ、海賊の盗難にあひ給へる。かれらを見て、「あに、電光朝露の身のために、阿僧祇劫長遠の苦種を植ゑんや」とのたまひし時、海賊、悟りを開き侍りて、頭おろして奉仕し奉ると侍り。 これ、まことにいみじき智識に侍り。人、木石にあらざれば、好めば発心するに侍り。いかにも、かなはざらんまでも、道心を好み給はば、功徳にこそ侍るべき。一反(ぺん)の念仏をも、「後世のために」と思ひ向け侍らば、などてか、阿弥陀仏、見過ごさせおはしますべき。 「あはれ、いみじく侍りける伊勢の尼の心」と思えて侍りしか。 ===== 翻刻 ===== 近比伊勢国に或山中に柴の庵りを結て尼の やせおとろへてかほより始て手足まことにきたな き尼の泪を流して念仏する侍り深く思入らん人 とはみゆれともあまりにかほより始てきたなくお はするはいかにさまてはあらしはやと人々いひけれはさ らなりさそきたなくおほすらんされと思ひ給/k225r はす女身なれはさまもなたらかならはそそろなる事 いひてほひならぬことも侍るへしされはわさと身 をやつすに侍りつねに泪のこほるることは生死の おそろしさにいかかとおほえてなかるるに侍りといひ けり誠に夜昼念仏の声おこたること侍らね は人々も後世者にこそとてたうとみて命をさ らふるわさをは里の人々訪聞えけり或時この尼 云やうちと人にもしられて難去人の来りて 庵のありさまをもみんと申せはいれきこえん とおもひて侍り今我はゆめゆめたれたれにも/k225l さしな入給ふそと云けれはされはこそ女は心う きものにて有けるそ後世者とおもひたれは夫 やらん人みもしられて入へき人のありと云事 よとてあさみあへりしかれと約束のままに 五日ゆきもせす四日まては念仏聞えけれと五日の あかつきより念仏の声とたへけれは人々あやしみ て行てみるに西に向て手をあはせてひき入に けり日比のほひのことく往生とけにけりかやう のきはの人は後世のこと心にかくることは更に侍ら ぬに思ひとりけん心いと有かたくそ侍し阿弥陀/k226r 仏の御誓は更に偏頗侍らすたた我をたのまん人 を救はんと誓給へりされは何とてかこの尼の往 生をとけさるへき生死をえて泪をなかし弥 陀を信して宝号をこたり侍らさりけん事 けにけにゆゆしき心とそおほえ侍し是を聞 にもさても最後臨終の有様おもひ出されて そそろにあせあへてそ侍るされは何を方人として か浄土へもひくへき何をもちてか焦熱のほのほを けち何によりてか紅蓮の氷をとかすへきさて又す るわさもなくておもひとおもふは併生死の因に/k226l 侍れは悪業おもく萌さして昔五戒の功徳を 行末なくなしはてんかなしさよ槿花の上の 露よりもはかなき命をさて水のうへの泡よりあ やうき身を助けむとて阿僧祇那長夜の苦 種をうへんことのはかなさよされは玄奘三 蔵渡天のそのかみ海賊の盗難にあひ給へる彼等 を見て豈電光朝露の身のために阿僧祇劫 長遠の苦種をうへんやとの給ひしとき海賊 悟を開侍りてかしらおろして奉仕したてまつる と侍り是実にいみしき智識に侍り人木石に/k227r あらされは好めは発心するに侍りいかにもかなはさ らんまても道心をこのみ給はは功徳にこそ侍る へき一反の念仏をも後世の為にと思向侍ら はなとてか阿弥陀仏みすこさせおはしますへ きあわれいみしく侍りける伊勢の尼の心と おほえて侍しか/k227l