撰集抄 ====== 巻7第14話(74) 北国修行時見人助 ====== ===== 校訂本文 ===== 同じころ、越(こし)のかたへ修行し侍りしに、甲斐の白根には雪積り、浅間(あさま)の岳(たけ)には煙のみ心細く立ち昇るありさま、信濃の穂屋(ほや)の薄(すすき)に雪散りて、下葉は色の野辺の面(おも)、思ひまし行く真野の渡瀬のまろき橋、つらら結ばぬ谷川の水、流れ行きぬる果てを知らする人もなく、さがしき山路、峰の岩木のしげきが本、木曽のかけ橋踏み見しは、「生きてこの世の思ひ出にし、死にて後世のかこつけとせん」とまで思え侍りき。「東路(あづまぢ)こそ、おもしろき所」と聞き置きし、思ひ侍りし、子細の数にもあらざりけり。 野寺を過ぐるには、武蔵野のしげる中に入りしよりも、むらむら咲ける草花、なかなか心をいたましめき。山路に入るをりは、宇津の山、蔦(つた)の細道よりも、澄みわたりてぞ思えし。佐野の野辺には、袖はらふべきかげもなしとかや、信濃なる穂屋の薄、風もあらばとながめけん。いと思ひあはせられて、泪もそぞろに侍りき。 かくて、やうやく過ぎ行くに、籠(かご)の渡りに、いま少し行き着かで、山の際(きは)に、僧一人、男一人侍り。この男、あきれざまに侍り。 ことの見過ぐしがたさに、「いかに、何ごとにか」と言ふに、「ただ」とばかりうち言ひて、語ることも侍らざりしを、「なじかは、何ごとなりとも苦しく侍るべき。すべて、うしろめたなきことは、ふつに侍るまじきぞ」と、あながち((「あながち」は底本「施」。「強」の誤写とみて、諸本により訂正。))に聞こえしかば、この僧の言ふやう、「そのことに侍り。われ、高負ひかけて、斗薮の行する身に侍り。この殿は、いづれの人にかいますらん。ただ、道のほど、しばらく行き連れ侍りつるばかりなり、しかあるほどに、この人に重き敵の侍りて、行く先にも侍るなり。すでに、方便をつくるなれば帰るべし。とても助かるべきならねば、ともに侍りつる男(おのこ)どもも、「命に((「命に」は底本「命を」。諸本により訂正。))まさることなし」とて、あそこここに落ち散りて、ただ一人、せんかたもなくてぞおはしつるが、いとほしくて、えなん過ぎやり侍らず。『いかがして、この殿の助かり給ふべきわざをせん』と思へども、かなはで日影もかたぶけば、羊の歩みの近づく心地して、そばにて、いと悲しく侍り」とて、涙もせきあへねば、この男も、「今日一日の道のほどばかりのなじみに、これほどまて思ひ給ふらむことの忘れがたさ、いかなる世にか報じ参らせん」とて、泣くめり。ことのさま、あはれなるままに、誰も袂をしぼりて、聞こゆることもなく、三人泣き居たり。 さても、あるべきことならねば、この山伏の、筁の中にこの人を隠し入れて、二人うちともなひて、道を過ぎ侍るに、太刀帯き弓持ちたる男(おのこ)ども、十余人集まりて、「過ぎつるかたに、しかじかの男や侍りつる」と尋ね侍りしに、この山伏、いささかもさはがず、「さる人侍りき。籠の((「籠の」は底本「か此」。「かこの」を誤ったものとみて、諸本により訂正))渡をせむとありつるが、『敵の待つとかや、告ぐる人侍り』とて、また、越後へとてこそおもむき侍しか」と言ふことを聞きて、「こは、うち逃しぬ((「ぬ」は底本「又」。諸本により訂正))。いざ追はん」とて、馬に乗り、鞭を打ちて馳せ過ぎにけり。さて、後はからくして命を助かりて、越中の国に着き侍りぬ。 さて、この山伏、やうやうにとどめしかど、さらに聞き入れず、過ぎ去り侍りぬ。われをも、去りがたく、とどめ聞こえ侍りつれども((底本「ぬ。われをも」から「侍りつれども」まで欠文。諸本により補う。))、「もつぱら助ける人すらとどまらぬをや」と思ひしかば、もて離れける返事して、過ぎ侍りき。 あはれ、貴かりける山伏の心かな。年ごろしたがへる奴婢すら離れ行くに、つづきもなき人の、すずろに歎きて、わが高負に隠し置きて、敵の前を過ぎけん心、かへすがへすありがたきことにぞ侍る。ただ道のほとりに行き会ひ侍るには、言葉のつて((「つて」は底本「つく」))の情けはするとも、誰か、かくばかりは侍るべき。 観世音の因位の大悲は、かくや深くおはしましけん。人の歎きをわが歎きとし、他の悦喜をわが悦びと思へるこそは、まことの仏法には侍るなれ。 「自利利他心平等 是則名真供養仏」と侍れば、誰々もこの心を守り給へとなり。 ===== 翻刻 ===== 同比こしの方へ修行し侍しに甲斐の白根には 雪つもりあさまのたけには煙のみ心ほそく立登る ありさま信濃のほやの薄に雪散て下葉は色 の野辺のおも思ひまし行まのの渡瀬のまろき 橋つららむすはぬ谷川の水流ゆきぬるはてを しらする人もなくさかしき山路峰の岩木の しけきか本木曽のかけ橋ふみ見しは生て此世の/k222r おもひ出にし死て後世のかこつけとせんとまて覚 侍りきあつまちこそ面白所と聞置し思ひ侍し 子細のかすにも非さりけり野寺を過るには武蔵 野のしける中に入しよりもむらむらさける草 花中々心をいたましめき山路に入おりは宇津 の山つたの細道よりもすみわたりてそ覚し佐 野の野辺には袖はらふへきかけもなしとかや しなのなるほやの薄風もあらはとなかめけんいと おもひあはせられて泪もそそろに侍りきかくて 漸く過行にかこの渡りにいますこし行付かて/k222l 山のきはに僧一人男一人侍り此男あきれ様に侍り事 の見過しかたさにいかに何事にかと云にたたと はかりうちいひて語事も侍らさりしをなしかは何 事なりともくるしく侍るへきすへてうしろめた なきことはふつに侍ましきそと施に聞えしか は此僧の云やう其事に侍り我高をひかけて斗 薮の行する身に侍り此殿はいつれの人にかいますらん たた道の程且く行つれ侍りつるはかりなり然 ある程に此人に重き敵の侍りて行さきにも侍 なり已に方便をつくるなれは帰へしとても/k223r 助かるへきならねはともに侍りつるをのこともも命を まさる事なしとてあそこここにおち散てたた 一人せん方もなくてそおはしつるかいとをしくてえ なん過やり侍らすいかかして此殿の助かり給ふへき わさをせんとおもへともかなはて日影もかたふけ は羊のあゆみの近つく心ちしてそはにていと悲 しく侍りとて泪もせきあへねは此男も今日一 日の道の程はかりのなしみに是程まておもひ 給ふらむことの忘かたさいかなる世にか報しま いらせんとて泣めり事のさま哀なるままに/k223l 誰も袂をしほりて聞こゆることもなく三人な きゐたりさても有へき事ならねは此の山ふし の筁の中に此人をかくし入てふたりうちともなひ て道を過侍るに太刀はき弓もちたるおのことも 十余人あつまりて過つる方にしかしかの男や侍り つると尋侍しに此山伏いささかもさはかす去人侍り きか此渡をせむと有つるか敵の待とかやつくる人 侍りとて又越後へとてこそおもむき侍しかと云 事を聞てこは打にかし又いさをはんとて馬に のり鞭をうちてはせ過にけりさて後はからく/k224r して命を助て越中の国に付侍りぬさて此山伏や うやうにととめしかと更に聞入れす過さり侍り 専助ける人すらととまらぬをやとおもひしかはもて はなれける返事して過侍りきあはれたうとかり ける山伏の心かな年来したかへる奴婢すらはなれ 行につつきもなき人のすすろに歎て我か高負 にかくし置て敵の前を過けん心かへすかへすありかた きことにそ侍るたた道のほとりに行あひ侍るに はこと葉のつくの情はするとも誰かかくはかりは 侍るへき観世音の因位の大悲はかくや深くおはし/k224l ましけん人の歎をわかなけきとし他の悦喜を 我か悦とおもへるこそは誠の仏法には侍なれ自利々 他心平等是則名真供養仏と侍れは誰々もこの 心を守り給へと也/k225r