撰集抄 ====== 巻7第11話(71) 叡山宗順事 ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、比叡の山に、宗順といふ人侍りき。初瀬の観音((長谷寺))に詣でておはしける夜の夢に、観音の、「やや」と仰せのありければ、宗順、居直りかしこまりたるに、「なんぢ、大寺に帰りなん時に、釣鐘、風のために落ちて、多くの((「多くの」は底本「たくの」。「多」を字母とする変体仮名「た」に誤ったもの。諸本により訂正。))坊舎をうちやぶり、人の命を多く失ふべし。なんぢも、かれかために、寿を亡ぼすべしといへども、われに志深きによりて、今度の命にはかはるべし」と仰せらるると見て夢覚め侍りぬ。 されば、「何事のありて、さばかり強く釣りたる鐘の落つべきや」と思ひつつ、叡山に上り侍りぬ。 さるほどに、二三日経て、「永祚の風」とて、末の世まで聞こゆる風に、釣鐘にはかに落ちて、人の家、十家ばかりうちひさがれて、命を失なふ人、数あまた侍り。 この宗順の坊、うちひさがれてけるうちになん侍り。にはかのことなれば、誰も何とてかのがるべきなれば、多く死に侍りしに、宗順阿闍梨、をりふし持仏堂に勤めて侍りけるに、家のひさげる時に、この本尊の等身の観音、宗順の上におほひて、ことなるあやまち、つゆなかりけり。いと不思議にぞ侍る。初瀬にて見し夢に、つゆたがはざりけり。 観音の利生方便、ことにあはれにぞ侍る。さても、長谷の観音、本尊の観音に力をあはせ給ひて、宗順阿闍梨が命を助け給ふなるべし。それより、この観音を長谷の観音になぞらへ奉りて、持仏堂を「長谷堂」とぞ申し伝へて侍る。大聖の化用、申し出づるも、なかなかおろかに侍れど、これはいと不思議にぞ侍る。 ===== 翻刻 ===== 昔比叡の山に宗順と云人侍りき初瀬の観音に 詣てておはしける夜の夢に観音のややと仰の有 けれは宗順居直畏たるに汝大寺に帰なん時 につり鐘風のために落てたくの坊舎をうちや ふり人の命をおほく失ふへし汝も彼かために 寿をほろほすへしといへとも我に志ふかきにより て今度の命にはかはるへしと仰らるるとみて 夢さめ侍りぬされは何事の有てさはかりつ よくつりたる鐘の落つへきやと思ひつつ叡山に上/k217l り侍りぬさるほとに二三日経て永祚の風とて 末の世まて聞ゆる風につりかね俄に落て人の 家十家斗うちひさかれて命をうしなふ人かす あまた侍り此宗順の坊うちひさかれてける内に なん侍り俄の事なれは誰も何とてか遁るへき なれはおほく死侍りしに宗順阿闍梨おりふ し持仏堂につとめて侍りけるに家のひさける 時に此本尊の等身の観音宗順の上におほひ てことなるあやまちつゆなかりけりいと不 思義にそ侍る泊瀬にてみし夢に露たかはさり/k218r けり観音の利生方便ことに哀にそ侍るさても 長谷の観音本尊の観音に力をあはせ給ひて宗 順阿闍梨か命を助給ふなるへし其より此観 音をはせの観音になそらへ奉て持仏堂を長谷 堂とそ申伝て侍る大聖の化用申出も中々 おろかに侍れと是はいと不思義にそ侍る/k218l