撰集抄 ====== 巻7第6話(66) 恵心僧都事(水想観) ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、延暦寺に、恵心僧都((源信))といふやんごとなき人おはしける。つねは観法を修して、わが身、並びに一室を、ことごとく水になし給ふわざをなんし給ひけり。 ある時、内記入道保胤((慶滋保胤))、往生の雑談せまほしくて、恵心僧都の室におはして、つねに住み給ふ所を開けて見給ふに、水たたへて、僧都も見え給はねば、「いかさまにも、やうあること」と思して出でられける時に、あらはに枕のありけるを、水の中へ投げ入れて、帰られにけり。 かくて、次の日、また、内記入道おはし侍りけるに、僧都、対面して申されけるは、「某(それがし)がむねにぞ、この枕を投げ入れ給ひて、よにむつかしく侍るに、取りて給はせなんや」と聞こえければ、入道もゆゆしき人にていまそかりければ、「昨日のことよ」と心得て、「左右(さう)に及び侍らず」と答えられたれば、「嬉しく侍り」とて、しばらく目を閉じておはしけるほどに、恵心僧都の身、消え消えと水になりて、一室みな水をたたへて、波はげしく侍れど、内記入道はいささかも濡れ給はずぞ侍りし。 さて、かの水に、枕の浮きたりけるを取りて、障子より外へ投げ出だし給ひてけり。かくて、しばらく侍りて、また僧都出でき給ひてけり。いと不思議に侍り。 観法成就、げにゆゆしくぞ侍る。心に道心深くて、座禅・入定おこたり侍らねば((「おこたり」は底本「をこたらす」。諸本により訂正。))、火生三昧に入る時は、身より炎(ほむら)を出だし、水観に住する時は、水を涌かす習ひに侍り。すべて、上代・末代にはよるべからず。種姓の高下にもつゆよるまじきことに侍り。ただ、道心のみこそ、かくのごとくの不思議を現ずる種(たね)にては侍れ。 誰もかくは思へども、野の鹿(かせぎ)は馴れがたく、家の犬、つねに馴れたり。あはれ、いつまことの心おこり侍らんずるやらん((底本「侍らんすやらん」。諸本により、「る」を補入。))。 ===== 翻刻 ===== 昔延暦寺に恵心僧都といふやんことなき人 おはしける常は観法を修して我身ならひに 一室を悉く水になし給ふわさをなんし給ひけ り或時内記入道保胤往生の雑談せまほしく て恵心僧都の室におはして常に住給ふ所/k206l をあけて見給ふに水湛て僧都も見え給は ねはいかさまにもやうある事とおほして出られ ける時にあらはに枕の有けるを水の中へなけ 入て帰られにけりかくて次日又内記入道おはし 侍りけるに僧都対面して申されけるは某か むねにそ此枕を投入れ給ひてよにむつかしく 侍るにとりて給はせなんやと聞えけれは入道 もゆゆしき人にていまそかりけれは昨日の事 よと心得て左右に及侍らすと答られたれは うれしく侍りとて且く目を閉ておはしける/k207r 程に恵心僧都の身きえきえと水になりて一室 皆水を湛て波はけしく侍れと内記入道は いささかもぬれ給はすそ侍しさて彼水に枕のう きたりけるを取て障子よりそとへなけ出し給て けりかくて且く侍りて又僧都出き給ひてけり いと不思義に侍り観法成就けにゆゆしくそ侍る 心に道心ふかくて座禅入定をこたらす侍らねは 火生三昧に入時は身よりほむらを出し水観に 住する時は水を涌す習に侍りすへて 上代末代にはよるへからす種姓の高下にも露/k207l よるましき事に侍りたた道心のみこそ如 此のふしきを現するたねにては侍れ誰もか くはおもへとも野のかせきはなれかたく家の犬 常になれたりあはれいつ実の心発り侍らんすや らん/k208r