撰集抄 ====== 巻7第1話(61) 帝子値骸骨 ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、唐土(もろこし)に帝子といへる人侍りき。かれは、わが朝に大夫の史なんどやうの人にぞ侍りける。 梁朝の御世に、朝につかへて、公事を行ふほどに、冬の日暮れやすくて、白駒、西の山にかたぶき、金烏、東の峰に出づるほどに、公事果てければ、わが家になすべきわざ侍りて、夜の更けぬるをもかへりみず、舎人一人をなん具して、はるかの道にぞおもむかれける。いたく夜更けぬれば、人をとがむる里の犬も侍らず。ただ、そこはかとなく荊棘の上には、白雪そぞろに積り、つららにむすばぬ谷の水の、岩間をくぐる音((「音(おと)、底本「お」字虫損。諸本により補う。))ばかり心すごくぞ聞こえける。人里もはるかに去りぬ。なぐさむる野寺の鐘もうち絶え聞こえねば、いとどあぢきなくぞ侍りける。 かくて、なほ行くほどに、かすかに火の見えければ、嬉しく思えて、駒を早めて、近くならん ことを急ぐ。からくして((「からくして」は底本「かうくして」。諸本により訂正。))たづね着き、見れば、四壁あばれて内もさらにとなるかと、気高くらうたき女房の、髪ゆりかけて、琴を弾き侍り。「こは、誰人ならん」と、見る目めづらに思えて、急ぎ門を叩きて、「宿借らん」と言ふに、この女房、とばかりありて、「ふつに思ひよらず」ともてはなちつるを、なほあながちに言ひければ、とばかりうちためらひて、「さらば、これへ」とて入りたり。 あらはにては、さもあばれて見えけれど、内にては、さる屋に、高灯台に火かき立てて、几帳を垂れたり。宿近付き見れば、いよいよ恋ひまさりて思え侍りける。琴の音、常よりもおもしろく、心も澄みわたりてぞ侍りける。「さても、かかる野中には、何とてか住みおはします。いとおぼつかなく」なんど言へば、「この三年、この所には住み侍るなり」と答ふ。 かくて、有明の月も影薄くなり、東もやうやくしらみわたりて、野寺の鐘もほのかに枕の下に落ちき。八声の鳥も妙に鳴きわたれば、この帝子((底本「常子」。諸本により訂正。))、ちと四方を見廻したれば、広々たる野の、薄(すすき)一むらしげる中に、死骸、中にぞ寝ねたりける。 あさましさかぎりなくて、急ぎ起きつつ馬にとり乗り、鞭をあげて、里に行き着きて、「この野中、しかじかの所には、いかなることかある。かかること侍り」と聞こゆれば、里の者ども、同じ言葉に言ひけるは、「しかあらん。この里に梅頭といふ人、みめ美しき娘侍り。常には琴をなん弾き侍りし。父母に先立て身まかりしかば、かの野のほとりに捨て置きて侍る。当時まで、かの骨、夜女房に変じて琴を弾くなり」と答へけりと、語り伝へて侍り。いと不思議にぞ侍る。 これは、されば、いかなることやらん。おもしろく思ひつけにし名残にしあれば、死にてのちも、なほ、かの野に心のかよひ来て、わが骨を求めて形を覆い着せて、琴を弾きけるにや。しかじかと聞きては、何となく恐しく思え侍れども、また艶なる方も侍るべし((「べし」は底本「つつ」。諸本により訂正。))。 されば、何事も心にいたく物を思ふまじきことにや侍らん。 ===== 翻刻 =====   撰集抄第七 昔もろこしに帝子といへる人侍き彼は我朝 に太夫の史なんと様の人にそ侍ける梁朝御世 に朝に仕へて公事を行ふ程に冬の日くれや すくて白駒西の山にかたふき金烏東の峰にい つるほとに公事はてけれは我家になすへきわさ侍て 夜の深ぬるをもかへりみす舎人一人をなん具して はるかの道にそ趣れけるいたく夜ふけぬれは 人をとかむるさとの犬も侍らすたたそこはかと なく荊蕀の上には白雪そそろにつもりつららに/k197l むすはぬ谷の水の岩間をくくるとはかり心すこくそ聞 えける人里もはるかにさりぬなくさむる野寺 のかねもうちたえきこへねはいととあちきなくそ 侍りけるかくてなをゆくほとにかすかに火の見え けれはうれしくおほえて駒をはやめて近くならん 事を急ぐかうくして尋付みれは四壁あはれて内 もさらにとなるかと気たかくらうたき女房の 髪ゆりかけて琴を引侍りこはたれ人ならんと 見る目めつらにおほえていそき門をたたきて宿 からんと云に此女房とはかりありてふつに思寄す/k198r ともてはなちつるをなをあなかちにいひけれはと はかりうちためらひてさらは是へとて入たりあらはに てはさもあはれてみえけれと内にてはさる屋に 高灯台に火かきたてて机帳をたれたり宿近付み れは弥恋まさりて覚侍りける琴の音常よりも おもしろく心もすみ渡りてそ侍りけるさてもかかる 野中にはなにとてかすみおはしますいとおほつ かなくなんといへは此三年この所にはすみ侍る也 と答ふかくてあり明の月も影うすくなり東も 漸しらみわたりて野寺の鐘もほのかに枕の下に/k198l をちき八声の鳥も妙になきわたれは此常子ちと 四方を見廻したれは広々たる野のすすき一むらし ける中に死骸中にそいねたりけるあさましさ かきりなくていそきおきつつ馬にとりのりむちを あけて里に行付て此野中しかしかの所にはいか なる事かあるかかること侍りと聞れは里のもの共 同こと葉にいひけるはしかあらん此里に梅頭といふ 人みめうつくしき娘侍り常には琴をなん引侍 りし父母に先立て身まかりしかは彼野のほ とりにすてをきて侍る当時まて彼骨夜る女/k199r 房に変して琴を引なりと答けりと語伝て侍り いと不思義にそ侍る是はされはいかなることやらん面 白くおもひつけにし名残にしあれは死て後も なを彼野に心の通きて我骨をもとめて形 をおほひきせて琴を引けるにやしかしかと聞 ては何となくおそろしく覚侍れともまた艶 なる方も侍つつされは何事も心にいたく物をおも ふましき事にや侍らん/k199l