撰集抄 ====== 巻6第7話(55) 恵心僧都事(賀茂御歌) ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、横川に、恵心僧都((源信))とて、並びなき智者いまそかりける。徳行たけ、薫修年積りて、法の験(しるし)どもを施し給へる人なり。 ある年の神無月のころ、賀茂社に詣でて((「詣でて」は底本「まういてて」。諸本により訂正))おはしけるほどに、いかにも心の澄みて思え給へりければ、御前に通夜し侍りけるに、時雨にはかに冴え通り、嵐激しくて、月の光も雲間なし。しかあれども、晴れ行く雲の末の里人は、月なほ待つらんものと見え侍り。 枯れ野の草の原、露のやどりしげからんと思えて、何となくあはれなるにつけても、世の定(さだめ)なきことの思はれて、悲しみ給ひけるに、御戸の内より、まことに気高き御声にて、   常なき世には心とどむな と聞こえければ、僧都とりあへ給はず、   月花の情けもはてはあらばこそ と付け申され侍りければ、御殿、おどろおどろしく動きて、「あら面白」といふ御声を、まのあたり内記入道((慶滋保胤))は聞き給へりと伝へ承はるぞ、かたじけなく侍る。 これは、僧都の悟れる、まことの心の底を述べ給ひければ、神もしきりにめでさせ給ふにこそ。げに、これこそ、うるはしき法施にてはあるらめ。月花の情がありはてば、この世に心とどめなまし。 ===== 翻刻 ===== 昔横川に恵心僧都とてならひなき智者いま そかりける徳行たけ薫修年つもりて 法のしるし共を施し給へる人なり或年の 神無月の比賀茂社にまういててをはしける程に いかにも心のすみて覚給へりけれは御前に通 夜し侍けるに時雨俄にさえとをり嵐はけしく て月の光も雲間なししかあれ共はれ行 雲のすゑの里人は月なをまつらん物と見え侍 りかれ野の草の原露のやとりしけからん と覚て何となくあわれなるにつけても世の/k174r 定めなき事のおもはれてかなしみ給ひけるに 御戸のうちより実に気たかき御声にて つねなき世にはこころととむな ときこえけれは僧都とりあへ給はす 月花のなさけもはてはあらはこそ と付申され侍りけれは御殿をとろをとろしく うこきてあら面白といふ御声をまのあたり 内記入道は聞給へりと伝承そかたしけなく 侍る是は僧都のさとれる実の心のそこをのへ 給けれは神もしきりにめてさせ給ふにこそ/k174l けにこれこそうるはしき法施にてはあるらめ月花 の情かありはては此世に心ととめなまし/k175r