撰集抄 ====== 巻6第2話(50) 後冷泉院崩御事 ====== ===== 校訂本文 ===== さても、治暦四年の卯月の中の十日のしもつかたのころ、後冷泉院((後冷泉天皇))、御わづらひのよし聞こえしほどに、わづかに五日ばかり御悩侍りて、十九日の夕べ、はかなくならせ給ひし。「あさまし」とも申すに及ばざりしに、同じ日の暁(あかつき)、女院また失せ給ひしかば、歎きに歎きをそへ、悲しみに悲しみをそへて、月卿雲客の花の袂、涙に洗はれ、露にそぼちて、夙夜せしたぐひ、声をととのへて叫ぶ声、しばしは静まらずとなん。 かの唐土(もろこし)の天宝の年、秋七月、夜更け、人静まりて、玄宗、楊貴姫((楊貴妃))に契りて、「天にかけらば比翼の鳥とたらん、地に住まば連理の枝とならん」と契り給ひしむつびだにも、禄山((安禄山))がために奪はれて、前後にこそ別れ給ひしに、「これはいかに」と((底本、「いかにも」の「も」に「と」と傍書。傍書を採用する。))契りましましけるぞや。その夕べまで、つつがもましまさざりし女院の、にはかに息絶えていまそかりけること、かへすがへすあはれに侍り。 後冷泉院、かくれさせ給へる日、後三条院((後三条天皇))、位につかせ給ひしかば、一方は、にはかにめでたく、一方は、歎きの涙にしほたれ、一人はすべらぎの位にいまそかれば、二人((後冷泉院と女院))は無常の鬼に取られ給へり。一天憂喜相交はり、悦びの中の歎き、歎きの中の悦び、いづれも盛衰のためし、歎きも終りあり、悦びもまた末(すゑ)あり、憂喜あらたまりて、安きこと侍らず。 後三条院位にましまししかば、よろづ賢き御はからひのみにていまそかりければ、上下悦びあへりしほどに、わづかに六年(むとせ)を経て、延久の終りの年、玉体不予にいまそかりけるが、つひに五月の上の弓張(ゆみはり)に、死出の山路の鳥の音(ね)にさそはれ給ひにけり。百官(ももつかさ)の歎きは、延喜((醍醐天皇))・村上((村上天皇))の二世に別れ奉りしにもなほ変らず。民の憂ふるわざは、仁徳の御門((仁徳天皇))を失ひ奉りしにも、なほまさり侍りき。御年四十(よそぢ)とかや。まことに惜しかるべきほどの御ことぞかし。雲の上には誰かうつつ心侍りし。ただ、夢とのみこそ思えしか。 衾(ふすま)をかはさせ給し国母、しとねに近付きていまそかりし人々の、歎き聞こゆるも、おろかに侍り。一天かきくれて、日月の光を失へる姿に侍りけるとかや。垣根の卯の花の、風にさそはれ、雨にしほれたるも、折節ことにあはれなり。禁中、悲しみあまり、九重うちしめりき。 位にましましし、そのかみの悦び、六年の間の楽み、まさに一時に尽きて悲しく、香隆寺の丑寅(うしとら)の角(すみ)、蓮台野の御山送りのありけるに、子規(ほととぎす)の、幾声と数分きかぬるまでに鳴きけるも、「死出の山路の鳥」と聞けば、「さそひ奉りつ」とや鳴きけむ。また、なほも早め奉る声にしもや侍らん。折から鳥の音ももの憂くぞ侍る。 ただし、子規は、昔の人を恋ふなれば、すでに昔語りにならせ給ひぬるほどに、「いつしか恋ひし」とや鳴きわたるらむ。しかあらば、誰も同じ心なるべし。 かくて、月日はくれ竹の、過ぎぬる世々の恋しさ、わづかに色の藤衣、涙また干(ひ)で脱ぎ替へぬうちに、宇治の大相国((藤原頼通))も失せ給ひぬれば、歎きやまざりける憂さよ。古き形見と残らせ給へるに、誰を頼むの身にしあればか、歎かざらん。 「去年(こぞ)の悲しみにうちそひぬるわざのうたてさ」と思ひしに、明くる年の秋、また大二条殿((藤原教通))さへおはしまさずなりぬれば、三年の歎き尽きもせで、後三条院の第三年の御仏事には、いよいよあはれに侍りき。 あはれ、はかなき世の中かな。誰か一人としても、この世に留まり果ててやむはある。王母((西王母。底本「玉母」。諸本により訂正))一万の寿算、夢のごとし。   かはらんと思ふ命は惜しからでさても別れんことぞ悲しき と詠みて、住吉の明神に祈りし母((赤染衛門))もとまらず、祈られし子も、百の命をや過ぎし。百年過ぐるほどなさ、ただ夢の心地し侍る。百年を経んすら、その終りあるべくは、悲しむべし。いはんや、老少不定の境をや。命絶えんこと((底本「命たらん事」。諸本により訂正。))今日にやある、明日にやある。 無常といふことは、深き法門にあらず。誰かこれを知らざらん。知るとならば、などか後の世のために勤めざるへき。無常の理をわきまへざらんは、老ひてこれを言はず。知りてあにいたづらとして過ぐべきや。中にも、いとけなきは行く末をも頼む方もありぬべし。頭に雪をいただきける人の、などか消えなんことを知らざる。いとけなからんすら、明日を頼むべきにはあらぬ世の中なり。 蜉蝣の空に飛ぶを見、朝顔の日に当るを見るにかはらぬは、人の身なり。それは、なほ夕べを待つ。我らは知らず、朝(あした)にや消えむ。栄へる者、楽しみ果てず、必ず衰ふる時あり。栄公((栄啓期。底本「公」なし。諸本により補う。))が三楽も、麟徳の初めの年、長月の初霜に侵されて去る。また禄山((安禄山))が胡旋の庭には、梢(こずゑ)の花の風にたぐふよりも、早かりし子のために亡ぼさる。須達か七珍の財(たから)、命とともに朽ちにき。 無常、もし高位をはばからば、天子そ一人この世にとまり果て給ふべき。もし兵者に恐るれば、禄山、いかでか剣の先にかからん。財宝によるべくは、須達ぞ残りとどまるべき。目をふさぎ、心をのどめて、しづかに世の中を思ふに、始めあるものは終りあり、生まるものは必ず死すといへる、ことに身にしみてぞ侍る。 それ、春になるといふ日より、吉野の山にうそぶけば、いつしか霞たなびき、枝いまだ気力なけれど、風まづ動きて、なにとなく風もゆるくなるままに、木々つのぐみて、花つぼめる一房(ふさ)開けしかば、都は春とて、花所々、歌酒家々にして、もてあそぶほどに、嵐よりよりおとづれて、南枝北枝の梅の開け、ととのはらざるに、かつ散りて、梢はひとり浅緑、庭を盛りにうつす花を見るほどに、あるひは波にしほたれ、あるひは風のために散りて、行方なくなりはてぬ。 二月のころは、嵯峨野わたりをながむれば、多くの草どもの、春雨にうるほされて、おしなべて緑に見ゆる中に、「人手をにぎる」と詠ぜし紫塵の蕨も萌え出でて、ゆうゆうと見るほどに、やうやく日を経て、立ち伸び黒みわたりて、ことのほかに変りて見ゆ。 夏になりぬれば、盧橘に香をとめて鳴く子規を待ちて、「五月闇にも歎かじ。東雲(しののめ)の雲にもおとづれよかし」とうつつ心もなく待ちしほどに、郭公(ほととぎす)の声もうちたふるままには、「野辺の草花の早く咲きねかし」と人知れず待ちし甲斐に、草に咲き乱れて、「錦を織れるか」と思えて、「野辺に日を暮してばや」と思ふほどに、「六十余廻見れども飽かず」と、心の底を述べけん人のゆかしく思ひ居て侍れば、すでに月日の積り、夜寒(よさむ)に秋の末にのぞみ、霜冴えて、枯野の薄(すすき)あともなく、木々の紅葉散り果てし枝には、雪の降りかはり、雪たに((底本「に」なし。諸本により補入。))消え侍しありさま、盛衰((底本「感衰」。諸本により訂正))の姿、無常転変の悲しみ侍り。 この理(ことはり)を心にかけて、常に仏の御名を唱へ奉り給はば、往生の大事は、よも遂げはづし侍らじ。おほかたは、妻子を捨てて、よろづをさしおきて勤めんこそは、いみじきことにて侍るべけれども、それかなふまじく侍らば、心にこそよるべきことなれば、なにごとをいとなむとも、これを怠りなく思ひ出づることにて侍れかし。 火宅の中の家居して、今に炎に焼かれなんことをわきまへざる悲しさよ。あはれ、仏の御政には、偏頗おはしまさぬものなるをや。 ===== 翻刻 ===== 扨も治暦四年の卯月の中の十日のしも つかたの比後冷泉院御煩のよし聞えし 程に僅に五日はかり御悩侍りて十九日の夕 へはかなくならせ給し浅猿とも申に及はさり しに同日のあかつき女院又うせ給しかは歎に なけきをそへ悲に悲をそへて月卿雲客 の花の袂涙にあらはれ露にそほちて 夙夜せしたくひ声をととのへて叫声し/k153r はしはしつまらすとなん彼もろこしの天宝 のとし秋七月夜ふけ人しつまりて玄宗 楊貴姫に契て天にかけらは比翼の 鳥たらん地にすまは連理の枝とならんと 契り給しむつひたにも禄山かためにうは はれて前後にこそわかれ給しに是はいか にも(と)契ましましけるそや其ゆふへまてつつ かもましまささりし女院の俄に息たえ ていまそかりける事返々あはれに侍り後 冷泉院かくれさせ給へる日後三条院位に/k153l つかせ給しかは一方は俄に目出一方は歎の泪 にしほたれ一りはすへらきの位にいまそかれは 二りは無常の鬼にとられ給へり一天 憂喜相交悦の中の歎なけきの中 の悦いつれも盛衰のためしなけきも おはりあり悦も又すゑあり憂喜あらたまり て安事侍らす後三条院位にましまし しかはよろつ賢き御はからひのみにて いまそかりけれは上下悦あへりしほとに僅に 六とせをへて延久のをはりの年玉体不/k154r 予にいまそかりけるかつゐに五月の上のゆ みはりにしての山路の鳥のねにさそはれ 給にけりももつかさの歎は延喜村上の二世に 別れ奉しにもなをかはらす民のうれふる わさは仁徳の御門をうしなひ奉しにも猶まさ り侍りき御年四そちとかや実におし かるへき程の御事そかし雲の上には誰か うつつ心侍したた夢とのみこそ覚しか衾 をかはさせ給し国母しとねにちかつきて いまそかりし人々のなけき聞ゆるもおろか/k154l に侍り一天かきくれて日月のひかりをうし なへる姿に侍りけるとかやかき根の卯花 の風にさそはれ雨にしほれたるもおりふし ことにあはれなり禁中悲あまり九重うち しめりき位にましまししそのかみの悦六年 の間楽みまさに一時につきて悲く香隆 寺のうしとらのすみ蓮台野の御山 をくりの有けるに子規のいく声とかす わきかぬるまてに啼けるもしての山路 の鳥ときけはさそひ奉りつとやなき/k155r けむ又なをもはやめ奉る声にしもや侍らん 折から鳥の音も物うくそ侍る但子規 は昔の人を恋なれはすてにむかしかたりに ならせ給ぬる程にいつしか恋しとや鳴わた るらむしかあらは誰もおなし心なるへし かくて月日はくれ竹のすきぬる世々の恋し さ僅に色の藤衣涙またひでぬきかへぬ中 に宇治の大相国もうせ給ぬれは歎やま さりけるうさよ古きかたみとのこらせ給へる に誰をたのむの身にしあれはかなけ/k155l かさらんこその悲みにうちそひぬるわさのうた てさと思しにあくる年の秋又大二条殿さへ おはしまさすなりぬれは三とせのなけきつ きもせて後三条院の第三年の御仏 事にはいよいよあわれに侍き哀はかなき世中 かな誰か独りとしても此世にととまりはてて やむはある玉母一万の寿算夢のことしか はらんとおもふ命はおしからてさてもわかれん 事そかなしきとよみて住吉の明神 に祈し母もとまらすいのられし子も百の/k156r 命をや過し百年すくる程なさたた夢の心 ちし侍る百年をへんすらその終りある へくはかなしむへし況哉老少不定 のさかひをや命たらん事今日にやある明 日にやある無常といふ事は深法門にあらす 誰か是をしらさらんしるとならはなとか後 の世のためにつとめさるへき無常の理をわき まへさらんはおひて是をいはすしりてあにいた つらとしてすくへきや中にもいとけなき は行末をもたのむ方もありぬへし頭に/k156l 雪をいたたきける人のなとかきえなん事を しらさるいとけなからんすら明日をたのむ へきにはあらぬ世の中なり蜉蝣の空に とふを見あさかほの日にあたるをみるにかはら ぬは人の身なりそれは猶夕へをまつ我らは しらす朝にやきえむさかへる物たのしみ はてす必おとろふる時あり栄か三楽も 麟徳の初年なか月のはつしもにをかさ れて去又禄山か胡旋の庭には木すゑの 花の風にたくふよりもはやかりし子の/k157r ためにほろほさる須達か七珍の財命と ともに朽にき無常もし高位をははから は天子そ独り此世にとまりはて給ふへき もし兵者に恐れは禄山いかてか釼のさきに かからん財宝によるへくは須達そのこり ととまるへき目をふさき心をのとめて閑に 世中をおもふにはしめあるものは終あり生る ものは必死すといへる殊に身にしみて そ侍るそれ春になるといふ日より吉野の山 にうそふけはいつしか霞たなひき枝いまた/k157l 気力なけれと風先動てなにとなく風もゆ るくなるままに木々つのくみて花つほめる一ふ さ開けしかは都は春とて花所々哥酒家 々にして翫ふ程に嵐よりより音信て南枝北 枝の梅のひらけ愸のおらさるにかつちりて梢 はひとりあさみとり庭をさかりに移す花 を見る程に或は浪にしほたれ或は風の為に ちりてゆくゑなくなりはてぬ二月の比は嵯 峨野わたりをなかむれは多のくさともの 春雨にうるをされてをしなへてみとり/k158r に見ゆる中に人手をにきると詠せし紫塵 の蕨ももえ出てゆうゆうとみる程に漸日を へて立のひくろみわたりて事の外にかは りて見ゆ夏になりぬれは盧橘に香をとめて 啼子規をまちて五月やみにもなけかし しののめの雲にもおとつれよかしとうつつ 心もなくまちし程に郭公の声もうちた ふるままには野への草花のはやくさきねかし と人しれす待し甲斐に草にさきみたれて 錦をおれるかと覚て野へに日をくらして/k158l はやと思ふ程に六十余廻みれともあかすと心 のそこを述けん人のゆかしく思居て侍れは すてに月日のつもり夜さむに秋のすゑに のそみ霜さえて枯野の薄あともなく 木々のもみち散はてし枝には雪のふりかはり 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