撰集抄 ====== 巻5第14話(47) 春日社(俊恵美歎事在之) ====== ===== 校訂本文 ===== 同じころ、奈良の京巡礼して、春日の御社に参り侍れば、春日野の景色、二基の塔のありさま、馬出(まだし)の橋を足もとどろに踏みけむ、若紫のゆかりあれば、すみれ摘むなる小篠原、玉笹の上には玉あられ積り、拾はむことも片岡の、松の緑は君のために、千世の色をやこめつらむ。立ち寄り取りてみむとすれば、萩の下露、袂に落つる色は紅なり。尾花・くず花露散りて、山立ちのぼる月影の、千里をかけて照らすに、入唐して仲丸((阿倍仲麻呂))が、ふりさけ見けん言の葉、思ひ出でて、ことにあはれになむ。 やうやく((「ようやく(漸)」は底本「御」。諸本により訂正。))分け入れば、杉むら高く茂りて、六の道別れたり。六道のちまたにこれを擬せり。正しき道やこれならん。善趣の橋を過ぎぬれば、御社もやうやく近づく。 四御殿・三の廊・二階の楼門そばだてり。よりより社檀にたたずめば、般若((『大般若経』))理趣分の声すごく、しばしば宝前にさすらへば、瑜加・唯識の声絶えず侍り。貴きこと、言葉に述べがたく侍る。 かくて、俊恵の住み給ふ東大寺の麓(ふもと)にたづねまかりて、何となく歌物語し侍りしかば、「いかなる歌か読みたる」と問ひ給ひしかば、「讃岐国多度郡に、形のごとく庵(いほり)を結びて侍りしに、かく、   山里にうき世厭はん友もがな悔しく過ぎし昔語らむ また、難波の渡を過ぎ侍りし時、   津の国の難波の春は夢なれや芦の枯れ葉に風渡るなり と詠みて侍る」と申ししかば、「その昔も、人にすぐれて詠み給ひしかども、なほなほ、げに、ゆゆしく詠み出で給ひけり」と、讃徳を蒙り侍りき。 かやうのこと、書き述ぶるは、憚りも多く、恐れもしげけれども、今は、身の仏道に思ひ入りぬる上は、必ずしも人の嘲りをかへりみるべきにあらざれば、ありのままに俊恵の言葉を載するに侍る。 かかること、在俗((底本「有俗」。諸本により訂正))の時ならましかば、慢心も侍り、悦ぶ心もありなまし。今は、すべてこれら何とも思えず。「さすが、仏法の力にこそ侍らめ」と思え侍り。 ===== 翻刻 ===== 同比ならの京巡礼して春日の御社にまいり 侍れは春日野のけしき二基の塔の有様ま たしの橋を足もととろに踏けむ若紫の/k139r ゆかりあれはすみれ摘なる小篠原玉ささの上 には玉あられつもりひろはむ事も片岡の松の みとりは君の為に千世の色をやこめつらむ 立寄とりてみむとすれは萩の下露袂に 落る色は紅なり尾華くす花露散て山 たちのほる月影の千里をかけて照すに入 唐して仲丸かふりさけ見けんことの葉思出 て殊に哀れになむ御分入は杉村高くし けりて六の道わかれたり六道のちまたにこれ をきせり正き道や是ならん善趣の橋を過/k139l ぬれは御社も漸近く四御殿三の廊二階の 楼門そはたてりよりより社檀にたたすめは般若 理趣分のこゑすこくしはしは宝前にさすら へは瑜加唯識声たえす侍り貴事詞に 難述侍るかくて俊恵の住給東大寺の麓に 尋まかりて何となく哥物語し侍しかはいかなる 哥か読たるととひ給しかは讃岐国多度郡 に如形いほりを結て侍りしにかく 山里にうき世いとはん友もかな くやしくすきしむかし語らむ/k140r 又難波の渡をすき侍りし時 津の国の難波の春は夢なれや 芦のかれ葉に風わたるなり とよみて侍ると申しかは其昔も人にすくれて 読給しか共猶々けにゆゆしく読出給けり と囋徳を蒙り侍りきかやうの事書のふる は憚も多く恐もしけけれ共今は身の 仏道に思入ぬる上は必しも人の嘲をかへりみ るへきにあらされは有のままに俊恵の詞を 載るに侍るかかる事有俗の時ならましかは慢/k140l 心も侍り悦ふ心もありなまし今はすへて此等 何共覚すさすか仏法の力にこそ侍らめと 覚侍り/k141r