撰集抄 ====== 巻5第5話(38) 或僧対覚尊事(鳴子歌) ====== ===== 校訂本文 ===== 中ごろ、駿河国、いづくの者とゆくへも知らぬ僧の、つたなげなる侍り。富士の山の奥、けしかる庵を結びて、休み臥し所(ど)とはし侍りけるなめり。食ひ物は魚・鳥をも嫌はず、着物は薦・藁をいはず身にまとひて、そこはかとなきそぞろごとうち言ひて、ものぐるひのごとし。しかはあれど、さすがなる心も侍り。思ひかけぬ優(いう)なることなん、言ふ時も侍りける。 ある時、覚尊聖、なすべきこと侍りて、東路(あづまぢ)に思ひ立ちて、鳴海潟を過ぎ侍りけるに、この僧、寄りて物を乞ひけるを、「いかさまにも、うちやりの乞食にしもは見えず」とて、居給へる対座に呼びすゑければ、つゆばかりだに、はばかる気色なく、座につき侍りぬ。この聖の供の者も、その里の族(やから)も、「めづらかなるわざかな」と思へる。 やや物語聞こえて後、「さても、まことの法文、一言承はらん」と聞こえけるに、この乞食僧、うち笑ひて、かく、   鳴子をばおのが((底本「おのこ」。諸本により訂正。))羽風にゆるがして心とさはぐむら雀かな と読み捨て、隠れ去ぬ。聖、あへなく思えて、人を分かちてたづね侍れど、いづかたにかいましにけむ、跡だになしとぞ。 げに、むら雀の、おのが羽風に鳴子をゆるがして、鳴る声にさわぐなるやうに、心がとにかくに思ひつき、物をわけおきて、かへりてこれにまどふに侍り。この歌は唯識を思ひ入りて詠めりけるなるべし。いとど貴く思え侍り。 さても、この聖の終(つひ)の有様を知らず。いかなる山深く住みてか((「住みてか」は底本「住みてる」。諸本により訂正。))、唯識の観をこらし給ふらむ。隠れたる信あれば、あらはれたる威あり。徳を隠しかねて、また、いづち((「いづち」は底本「はつら」。諸本により訂正))ともしられぬ境に至り給ひにけるやらん。ゆかしかりける人なりけんかし。 ===== 翻刻 ===== 中比駿河国いつくの者とゆくゑも智らぬ僧 のつたなけなる侍り富士の山の奥けしかる庵を/k121l 結てやすみ臥ととはし侍りけるなめり食物は魚 鳥をもきらはすき物はこもわらをいはす身にま とひてそこはかとなきそそろ事打云て物くるいの 如ししかはあれとさすかなる心も侍り思懸ぬ優 事なん云ふ時も侍りけるある時覚尊聖な すへき事侍りて東路に思立てなるみ方をす き侍りけるに此僧よりて物を乞けるをいか さまにもうちやりの乞食にしもは不見とて居 給へる対座によひすへけれは露はかりたにはは かるけしきなく座につき侍りぬ此聖のと/k122r ものものも其里の族もめつらかなるわさ 哉と思へるやや物語きこえて後扨も実の法 文ひと詞承給はらんと聞けるに此乞食僧打 わらひてかく なるこをはおのこ羽風にゆるかして 心とさはくむら雀かな と読捨て隠去ぬ聖あへなく覚て人をわかち て尋侍れといつ方へかいましにけむあとたに なしとそけに村雀のをのか羽風になるこをゆる かしてなるこゑにさはくなる様に心かとにかくに/k122l 思付物をわけおきてかへりてこれにまとふに侍り 此哥は唯識を思入て読りけるなるへしいと と貴く覚へ侍り扨もこの聖のつゐの有様 を不智いかなる山深くすみてる唯識の観をこ らし給らむかくれたる信あれはあらはれたる威 あり徳をかくし兼て又はつら共しられぬ堺に 至り給にけるやらんゆかしかりける人なりけんかし/k123r