撰集抄 ====== 巻4第4話(29) 範円事(別妻) ====== ===== 校訂本文 ===== 中ごろ、筑紫の横竹といふ所に、範円聖人といふ人いまそかりけり。智行ひとしくそなはり て、生きとし生けるたぐひ、あはれみ給ふことねんごろなり。観音を本尊として、つねに大悲の法門をなん心にかけ給へり。いまだこの聖人、飾りおろし給はざりける前は、吉田中納言経光と申けり((底本「と申と申けり」。諸本により衍字を削除。)) 帥になりて、筑紫へ((底本「へ」なし。諸本により補う。))下り給ひける時、都より浅からず思し給へりける妻をなん、いざなひていましけるを、いかが侍けん、あらぬかたに移りつつ、花の都の人は古めかしくなりて、薄き袂(たもと)に秋風の吹きて、有(ある)か無(なき)かをも問ひ給はずなりぬを、憂しと思ふ乱れの、はれもせぬつもりにや、この北方なん、重くわづらひて、都へ上るべき便だにもなく、病は重く見えける。 「とざまにして、都に上りなん((「なん」は底本「なへ」。諸本により訂正。))」と思ひ侍りけれども、心にかなふつぶねもなくて、海を渡り、山を越へむやうも思えざりければ、帥((底本「師」。諸本により訂正。))のもとへ、かく、   問へかしな置き所なき露の身はしばしも言の葉にやかくると と読みてやりたるを見侍るに、日ごろの情け、今さら身にそふ心地し給ひて、あはれにも侍るに、また、人の走り重なりて、「すでにはかなくならせ給ひぬ」と言ふに、夢に夢見る心地して、わが身にもあられ侍らぬままに、手づから髻(もとどり)切りて、横竹といふ所におはして、行ひすましていまそかりける。 かの所は、前は野辺、藂蘭しげくなりて、風に破れ、虫の声は草の根ごとにしどろなり。後は山、嵐、よりよりおとづれて、松葉、琴を調(しら)ぶ。右は海、漫々として、際(きは)もなし。左は清淵、河岸高くして、岩打つ波砕けつつ、ほのかに聞こえ侍り。 かかる所に、身一つ隠すべき庵引き結び、左の板の月輪より、香煙細くそびき、空に紫雲の種(たね)をまき、念仏の声しづかにして、西に聖衆の迎へを待ちておはしましけるが、天承のころ失せ給ひにけり。まことにまことに、いみじき往生し給ひけると、あはれにも貴くも思えて侍り。 まことに、昔、芝蘭の契、こまやかに、偕老のむつび、さこそわりなく侍りけめども、うるさき情けの色にうつりて、秋風の吹き重ぬる人の身まかりけるに驚きて、さしも捨てがたきこの世を離れんと、思ひなり給へる心のうち、かへすがへすありがたく侍り。都にも、いとほしき子もいまそかりけん、また、今なじみ給ふ妻も、さこそ離れがたく侍るべきを、ふり捨て、分く方なく後世の粮(かて)をいとなみ給ふ。うるせき心ばせなるべし。 されば、この失せ給ひし北方は、ある旧宮(ふるみや)の御娘なり。いかなる契りにか、この中納言具して、互ひの契り浅からず侍りければにや、はるばる筑紫までに下り給へり。しかあれば、おぼろけならでは、すさめ((「ならでは、すさめ」は底本「ならていさめ」。諸本により訂正。))聞こえ給ふべくもあらざるを、思ひ捨て給ふも、「しかるべき、憂き世の中を離れ給ふべき縁にてこそ侍りけめ」と思えて、いとどあはれに侍り。 この歌は、「詠み人知らず」とて、『詞花集((『詞花和歌集』。ただし、『後撰和歌集』巻17 1006の誤り。))』に入れり。さやうの宮などの、帥にいざなひて、西国に下り給ふなど、載せ侍らんことのさすがに思えて、「詠み人知らず」とは入り給ふにこそ。 それにつき、あはれにさだめなき世の中かなとよ。かたじけなくも、五十鈴川(いすずがは)水上(みなかみ)清き流れにていまそかれば、国母・后にもあふがれて、三千美翠のかんざし、玉冠の飾りあざやかにて、百敷(ももしき)・九重(ここのへ)の上下にいつかれさせ給ふへき御ことなりけるに、帥中納言に具足して、花の都を立ち別れ、八重の潮路(しほぢ)に日数経て、登るも下り、下りも登る舟のうちに、波に波しく袖の上に、旧里になれにし思ひかけ、幾重(いくへ)重ぬる月を見て、身をつくしするかひもなく、いつしか秋風の袂にかよひて、涙の露のしどろにて、置き所なく失せ果てて、「恨みじ」と思ふ心の、わが身はさすが捨てがたくて、「問へかし」と書き絶えし悲しさよ。 さても、ながらへはて給はざりけるものゆゑに、あにはかりきや、台をすべりて、中納言に袖をかはすべしとは。かけても思ひきや、住みし都を離れて、辺土の蕀(おどろ)の下に朽ち給ふべしとは。「盛衰は憂き世の中、宮も藁屋(わらや)もはてしなし」とは聞けども、あはれに悲しきこと、今さら心にあらたなり。「置き所なし」と((底本「と」なし。諸本により補入。))歎き給ふまでは、この世を去り給ふべしとこそ思えざりしか。「『出づる息、引く息を待たぬは無常なり』と知れども、かくまですみやかなりとは、人の思はざるにこそ」と、かへすがへすもはかなく侍り。 あはれ、げに無常の、心にいつもひしと染みて、わが身に思ひを留めず、この世をしたふことのなき心の付きねかし。 しかあらば、吹きよぎ、吹き過ぎする風につけても、無常の胸をこがし、南枝北枝の梅、開落異にして移り、田地に氷消えて、芦錐の短く、新柳風に髪けづりて、旧苔波髭を洗ふ四季のかはりにも、無常は心にぞ深く知らるべきと思えて侍り。 すはや、羊尅((「やうこく」と読み、「未の刻」の意。))すでに移りて、猿頭((「ゑんとう」と読み「申の刻のはじめ」の意))になりぬるは。「羊(ひつじ)の歩、わが身積るをば知らず」と思えて、身ながら愚かにも侍るかな。 ===== 翻刻 ===== 中比筑紫の横竹といふ所に範円聖人とい ふ人いまそかりけり智行ひとしく備はり ていきとしいける類哀給ふ事ねんころ也観 音を本尊として常に大悲の法門をなん 心に懸給へりいまた此聖人かさりおろし 給はさりける前は吉田中納言経光と申と 申けり帥に成て筑紫下たまひけ/k95l る時都より不浅覚給へりける妻をなん いさなひていましけるをいかか侍けんあらぬ かたにうつりつつ華の都の人はふるめかしく 成てうすき袂に秋風の吹て有か無かを も問給はす成ぬをうしと思ふ乱のはれも せぬつもりにや此北方なん重く煩て都へ のほるへき便たにもなく病はおもく見えけ るとさまにして都にのほりなへと思侍けれ とも心に叶ふつふねもなくて海をわたり山を 越へむやうもおほえさりけれは師のもとへかく/k96r とへかしなおき所なき露の身は しはしもことの葉にやかくると と読てやりたるを見侍るに日来の情今更 身にそふ心地し給て哀にも侍るに又人 のはしり重りてすてにはかなく成せ給ひ ぬといふに夢に夢見る心ちして我身 にもあられ侍らぬままに手つから本鳥切て 横竹といふ所にをはして行すましていまそ かりける彼所は前は野辺藂蘭茂成て 風に破れ虫声は草の根毎にしとろ/k96l なり後は山嵐よりより音信て松葉琴をし らふ右は海漫々としてきはもなし左は 清渕河岸高くして岩打浪くたけつつ ほのかに聞え侍りかかる所に身一かくすへき 庵引結左のいたの月輪より香煙 ほそくそひき空に紫雲のたねをまき 念仏の声閑にして西に聖衆の迎 をまちておはしましけるか天承の比 うせ給にけり実々いみしき往生し 給ひけると哀にも貴も覚て侍り実に/k97r 昔芝蘭の契こまやかに階老のむつひさ こそわりなく侍りけめともうるさき情 の色にうつりて秋風のふき重ぬる人の 身まかりけるに驚てさしもすてかたき此 世を離れんと思ひなり給へる心のうち返々 有難侍り都にもいとをしき子もいまそ かりけん又今なしみ給ふ妻もさこそ難離 く侍るへきをふり捨てわく方なく後世 のかてをいとなみ給ふうるせき心はせなるへし されは此失給し北方は或旧宮の御娘なり/k97l 何なる契にか此中納言具て互の契 不浅侍りけれはにやはるはる筑紫まてに 下給へりしかあれはおほろけならていさ め聞え給ふへくもあらさるを思ひ捨給 も可然うき世の中を離れ給ふへき縁にて こそ侍けめと覚ていとと哀に侍り此哥は よみ人しらすとて詞華集に入れりさやう の宮なとの帥にいさなひて西国に下給 なと載侍らん事のさすかに覚て読人不知 とは入給ふにこそ就其哀に定なき世中/k98r かなとよ忝もいすす川みなかみ清流にて いまそかれは国母后にもあふかれて三千 美翠のかんさし玉冠のかさりあさやかに てももしき九重の上下にいつかれさせ 給ふへき御事なりけるに帥中納言に 具足て華の都を立わかれ八重のしほ ちに日数へて登も下り下も登る舟 のうちに浪になみしく袖の上に旧里に 馴にし思かけいくゑかさぬる月を見て 身をつくしする甲斐もなくいつしか秋風/k98l の袂にかよひて涙の露のしとろにて置所 なく失はててうらみしと思ふ心の我身は流石 捨かたくてとへかしと書絶し悲さよ扨も なからへはて給はさりける物故にあにはかり きや台をすへりて中納言に袖をかはすへし とはかけても思ひきやすみし都を離て辺 土の蕀の下に朽給へしとは盛衰はうき世の なか宮もわらやもはてし無とは聞とも哀に 悲き事今更心にあらたなりをき所無 歎給ふまては此世を去給ふへしとこそ覚え/k99r さりしか出る息引いきを待ぬは無常なりと しれともかくまて速なりとは人の思はさるにこ そと返々もはかなく侍り哀けに無常の 心にいつもひしとそみて我身に思を不留此 世をしたふ事のなき心のつきねかししかあらは 吹よき吹すきする風に付ても無常のむね をこかし南枝北枝の梅開落異にしてうつり 田地に氷消て芦錐短新柳風にかみけつ りて旧苔浪ひけをあらふ四季の替にも 無常は心にそ深くしらるへきと覚て侍り/k99l すはややう尅すてにうつりてゑん頭になり ぬるはひつしの歩我身つもるをは不知とお ほえて身なからをろかにも侍かな/k100r