撰集抄 ====== 巻4第2話(27) 良縁僧正 ====== ===== 校訂本文 ===== 近ごろ、志賀の中将頼実といふ人いまそかりける。飾りおろし給ひてのちは、今橋の僧正良縁となん聞こえ給へりしは。 富家の大殿((藤原忠実))の法性寺に住ませ給ひける年の、長月ばかりに、かの御所の前に、めづらかなる嬰児(みどりご)を、紅梅の衣(きぬ)に押し包みて、衣にかく、   身にまさるものなかりけりみどりごはやらんかたなくかなしけれども と書きて捨てたること侍りけるを、殿聞こしめして、「あはれ」と思しけるにや、「父母といはんものは、必ずたづね来たれ。ひとしくあはれむべし」とて、御所にてなん育てさせ給ひて、中将までなり給へるなるべし。 かくて、志賀といふ山里になん住み給ひけるころ、夕暮がたに、あさましく((「あさましく」は底本「あさまと」。諸本により訂正。))やつれたる僧の、近く家を出でにけると見えて、月代(つきしろ)などあざかに見ゆめり。中将、うち伏し、仏の御前にいまそかりけるが、見給ひて、「いかに、いづくの者にか」と尋ね給ふに、「いささか申し入るべきことの侍るなり。くはしくは、この文に聞こえて侍る」とて投げ置きて去りぬ。 中将、「何ならん。思ひかぬわざかな」と不思議に思えて、急ぎ文を見給ふに、 >われは、かたじけなくも、殿の父にて侍るなり。平らかに身身とならせ給しかば、いかにも「身にそへ奉らばや」と思ひ侍りしかども、すべきかたなく貧しく侍りしかば、「『あはれ』とおのづから見そなはす人もや」と思ひ給へて、捨て奉りしに、今また、かくなり出でていまそかれば、「かしこく」と、かへすがへす嬉しく侍り。「かなしき((底本「き」なし。諸本により補う。))中にも」と思ひて、身にそへ奉りたりしかば、「めでたき果報のほどはあらはれざらまし((底本、「はれざら」なし。諸本により補う。))」と思え侍り。さても、夫妻ともに、かたのごとく憂き世の中を過ぎ侍りぬるに、この二十日あまりの前(さき)に、彼におくれ侍りぬれば、「後世をとぶらはん」とて、かくまかりなりて、所もさらにさだめず、「母の後世を問ひいませかし」と思ひて、なん申すに侍り。 と、書きたり。 見るに、心も身にそはず。「されば、おはしつるは、父にていまそかりけるにこそ。母堂の失せ給ふになん、家を出でて、流浪の行者となり給ふにこそ」と、悲しく思え侍りければ、妻子にいとま乞ひ給ふにも及ばずして、いづちともなく、足にまかせておはしけるほどに、大和・山城の境の、川風寒し衣かせ山と詠みける、泉川の北の端(はた)に、夜のほのぼのとするになん着き給ふに、さて、川の端にて、手づから髻(もとどり)切りて、水に流しつつ、興福寺の千覚律師の東北院へ立ち入りて、かしらおろして、法名授かり給ひて、広く国々修行((「修行」は底本「條行」。諸本により訂正。))して、父母の後世をとぶらひて、法のしるしどもあまた施して、めでたき智者にてなんいまそかりければ、僧正までなり給ひけるなるべし。 このこと、おろかなる心にも、あはれさ身にしみて、やるかたなく侍り。人の習ひ、「わが身世にありて、父母の後世をとぶらひ、功徳をも造らむ」などこそ思ふめるに、さらに行く末、いとど栄ふべき栄華の藤の華を思ひ捨て、やすくもやつれ給へる墨染の袂に、道芝の露はらひつつ、たどり歩(あり)き給ひけん心の中の貴さをば、「いかでか、三世の仏たちの、見すごさせ給ふべき」と思え侍り。 むつましく思え給ひし妻子にも、また、「かく」とも言ふことなく、夕されの空に走り出で給ひて、夜もすがら、いづちともなくおはしけん。げにげに、とかくいふべきにあらず侍り。 また、この父母の心、優(いう)にして、情の深さは、昔より今まてあるべしとも思えず。「身にまさるものなし」と書きて捨てぬる子の、かく栄えんには、「われこそ父母なれ」と言ひて、たづね来たる人もあるべし。また、言の葉につけて、ほのかに、「それよ」と知らするやからも侍るべきに、つゆ知らずして過ぐしけん、ありがたくぞ思え侍る。 母の身まかり、父は流浪の桑門となりて、「後世問ひ給へ」とて文を投げ置き去りけん心の中、かへすがへすもゆかしく、あはれに侍り。いたく、よも下れる品の人には侍らじ。歌は、「詠み人知らず」とて、『詞花和歌集((実際は『金葉和歌集』612))』に載れる。かの集をひらくたびに、この歌の所にいたりて、すずろ涙のしどろなるに侍り。 げに、あはれなるわざかな。何にたとへん世中を、漕ぎ行く舟の跡の白浪、秋の田をほのかに照らす宵の稲妻にこと寄せし、天(あめ)の下に、はかなくあだなる者、「身にまさるものなし」とて、腹かきわけて生める嬰児(みどりご)を、空を仰ぎて捨てけんは、おろかなる心地して思え侍れど、しづかに思へば、後問はざりけんに、心もいとど澄みて思え侍り。 ===== 翻刻 ===== 近比志賀の中将頼実と云ふ人いまそ かりける餝おろし給て後は今橋の僧 正良縁となん聞え給へりしは富家の大 殿の法性寺にすませ給ける年のなか 月はかりに彼御所の前にめつらかなるみ/k88r とり子を紅梅のきぬに押裹て衣にかく 身にまさる物なかりけりみとり子は やらんかたなくかなしけれとも と書てすてたる事侍りけるを殿聞召 して哀とおほしけるにや父母といはん 物は必尋来ひとしく哀へしとて御 所にてなんそたてさせ給て中将まて 成り給へるなるへしかくて志賀と云山 里になんすみ給ける比夕暮かたにあさ まとやつれたる僧のちかく家を出にけると/k88l 見えて月しろなとあさやかに見めり中 将打ふし仏の御前にいまそかりける か見給ていかにいつくのものにかと尋給 ふにいささか申入へき事の侍るなり委は 此文に聞て侍るとてなけをきて去りぬ中 将何ならん思懸ぬわさかなと不思儀に 覚ていそき文を見給に我はかたしけ なくも殿の父にて侍るなり平らかに身身と ならせ給しかはいかにも身にそへ奉はやと おもひ侍りしかともすへきかたなくまつ/k89r しく侍りしかはあはれとをのつから見そ なはす人もやと思給てすてたてまつり しに今又かく成出ていまそかれはかし こくと返々うれしく侍りかなしなかに もと思ひて身にそへ奉りたりしかは 目出果報の程はあらましと覚侍り扨も 夫妻ともに如形うき世の中をすき侍り ぬるに此廿日余のさきに彼におくれ 侍りぬれは後世を訪はんとてかくまか り成て所も更に定めす母の後世を/k89l とひいませかしと思てなん申すに侍りと 書たり見るに心も身にそはすされはを はしつるは父にていまそかりけるにこそ 母堂のうせ給になん家を出て流浪の 行者と成給にこそと悲く覚侍り けれは妻子にいとま乞給ふにも及はす していつちともなく足にまかせてをは しける程に大和山城の堺の河風さむし 衣かせ山とよみける泉川の北のはたに夜 のほのほのとするになん付給にさて河の/k90r はたにて手自本鳥切て水になかし つつ興福寺の千覚律師の東北院へ立 入てかしらおろして法名授かり給て 広く国々條行して父母の後世を訪て法 のしるし共あまた施して目出智者にて なんいまそかりけれは僧正まて成給ひ けるなるへし此事おろかなる心にも哀さ 身にしみてやる方なく侍り人の習我 身世に有て父母の後世を訪ひ功徳をも 造らむなとこそ思ふめるに更行末いととさ/k90l かふへき栄華の藤の華を思捨てやす くもやつれ給へる墨染の袂に道しは の露払つつたとりありき給けん心の中 の貴さをは争三世の仏達のみすこさ せ給へきと覚侍りむつましく覚給し 妻子にも又かくともいふ事なくゆふされ の空に走出給て夜もすからいつちとも なくおはしけんけにけにとかくいふへきにあ らす侍り又此父母の心優にして情のふかさは 昔より今まてあるへしとも覚えす身に/k91r まさる物なしと書てすてぬるこのかくさか へんには我こそ父母なれと云て尋来る 人も有へし又ことの葉に付てほのかに それよとしらする族も侍るへきに露し らすしてすくしけん有難そ覚え侍る 母の身まかり父は流浪の桑門と成て後世 問給へとて文をなけをき去けん心の中返々 もゆかしく哀に侍りいたくよもくたれるしな の人には侍らし哥はよみ人不知とて詞 華和哥集にのれる彼集を披たひに/k91l 此哥の所に至てすすろ涙のしとろなるに 侍りけに哀なるわさかな何にたとゑん 世中をこき行舟の跡の白浪秋の田 をほのかに照すよひのいなつまに事 寄しあめの下にはかなくあたなる物身にま さる物なしとて腹かきわけて生めるみ とり子を空をあをきて捨けんはおろ かなる心ちして覚侍れと閑に思へは後問 さりけんに心もいととすみておほえ侍 り/k92r