撰集抄 ====== 巻3第3話(19) 室遊女捨世 ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、播磨国竹の岡といふ所に、庵を結びて行ふ尼侍る。もとは室の遊女にて侍りけるが、見めさまなども悪しからざりけるにや、醍醐中納言顕基((源顕基))に思はれ奉りて、一年のほど、都になん住みわたり侍りけるが((底本「が」なし。諸本により補う。))、いかなることか侍りけん、すさめられ奉りて室に((底本「に」なし。諸本により補う。))帰りて後は、またも遊女の振舞ひなどし侍らざりけるとかや。 ある時、中納言の内の人の、船に乗りて、西国より都ざまへ行きけるを、うかがひ見て、髪を切りて、陸奥国紙に引ひ包みて、かく書きたり。   尽きもせずうきをみるめの悲しさにあまとなりても袖ぞ乾かぬ と書きて、船に投げ入れ侍りてのち、ひたすら思ひ取りて、この所に庵とかくこしらへて、思ひ澄まして侍りけるなり。中納言、これを見給ひて、雨しづくと泣きこがれ給ひけるなる。 さて、この尼は、ただわくかたなく明け暮れ念仏し侍りけるが、つひに本意のごとく往生して、来たりて拝む人多く侍りける。その庵の跡とて、今の代まで、朽ちたるまろ木の見え侍りしは、柱などにこそ。ただ少し、すぐなるさまに植えたる木の節なんども、さながらいぶせくて侍し。 見侍りしに、すずろに昔ゆかしく思ひやられて侍り。人里もはるかに遠ざかり侍るに、かなはぬ女の心にて、とかくして、あやしげにこそ引きつくろひ侍りけめ。糧(かて)などをば、いかがかまへ侍りけんと、かへすがへすいぶせく侍り。 同じ女といひながら、さやうの遊び人などになりぬれば、人にすさめらるるわざなどをも、いたく思ひ取るまではなげなるものを、ひたすら憂き世にことよせて、こりはてにけん心のほど、いみじく思えて侍る。 この中納言も、いみじき往生人にていまそかりけると、伝には載せて侍れば、さやうのことにていまそかりけん。つれもなき心の思ひおどろきて、世を秋風の吹きにけるこそ。 「今はまた、むつましき新生の菩薩どもにてこそ、いまそかるらめ」と思はれて、そのこととなくあはれにも侍るかな。 ===== 翻刻 ===== むかし幡磨国竹の岡と云所に庵を結て行尼 侍る本は室の遊女にて侍りけるか見めさまなと も悪からさりけるにや醍醐中納言顕基に思は れ奉りて一とせの程都になんすみ渡り侍りける いかなる事か侍りけんすさめられ奉て室帰りて/k66l 後は又も遊女の振舞なとし侍らさりけるとかや 或時中納言の内の人の船に乗て西国より都さま へ行けるを伺見てかみを切て陸奥国紙に引 裹てかく書たり つきもせすうきを見る目のかなしさに あまとなりてもそてそかはかぬ と書て舟になけ入侍りて後ひたすら思取て此所 に庵とかくこしらへて思すまして侍りける也中納 言是を見給て雨しつくとなきこかれ給けるなる さて此尼はたたわくかたなく明暮念仏し侍りけるか/k67r ついに本意のことく往生して来ておかむ人 多く侍りける其庵の迹とて今の代まて朽たる まろ木の見え侍りしは柱なとにこそたたすこし すくなる様にうゑたる木節なんともさなからいふ せくて侍しみ侍しにすすろに昔ゆかしく思やられて 侍り人里も遥に遠さかり侍にかなはぬ女の心に てとかくしてあやしけにこそ引つくろひ侍りけめ 粮なとをはいかかかまへ侍りけんと返々いふせく侍り 同女と云なからさやうのあそひ人なとに成ぬれは 人にすさめらるるわさなとをもいたく思とるまて/k67l はなけなる物をひたすらうき世にことよせてこりは てにけん心の程いみしく覚て侍る此中納言もい みしき往生人にていまそかりけると伝にはのせて侍 れはさやうの事にていまそかりけんつれもなき心 のおもひおとろきて世を秋風の吹にけるこそ 今は又むつましき新生の菩薩ともにてこそいまそ かるらめと思はれて其事となく哀にも侍る かな昔観釈聖とて世を遁れる人侍るなま君達にて/k68r