撰集抄 ====== 巻3第2話(18) 静円供奉 ====== ===== 校訂本文 ===== 過ぎにしころ、摂津国住吉の社の社司のもとに、仏事行ふこと侍りき。をりふし、そのあたりにふればひ侍りしかば、結縁もあらまほしく思えて、のぞみ侍りしに、唱導は誰にてかいまそかりけん、さしも道心もこもり、さきらありし人とは思えず侍りき。 ただ、乞食・片端人(かたはうど)((「片端人」は底本「かたわらと」。諸本により訂正。))などのみこそ多く侍りしが、その中に筵(むしろ)の破れたるを、かたばかり腰に巻きて、鈴といふものを振りて、唖(おし)のものを乞ふ侍り。 見れば、天台山の静円供奉なり((底本「の静円」なし。諸本により補う。))。僻目かと見れば、あたかもまぎるべくもなし。さだめて、それなる。「こは、いかに」と悲しく思えて、多くの人を分けつつ、供奉の方へまかり侍れば、われを見付け給ひて、ちとも騒がず、門ざまへ出で給ひぬれば、誰も人しづかならん所に行きて、「しづかに聞こえ侍らん」と思ひて、尻ざまにつきてまかり侍りぬ。 さて、人もなき松の根に、もろともに休み侍りて、静円のたまふやう、「われ、山のとざまに住みにくくて、あぢきなく、『いつまでか、かからん』と思ひて、さそらへ出でたりしほどに、そののちは道心も冷めなどして((「などして」は底本「なをして」。諸本により訂正。))、帰らまほしかりつれ((「まほしかりつれ」は、底本「る(ら歟)まなしかりつれ」。諸本により訂正。))ども、とかく沙汰せられん憂さに、かかる身とこそなりぬれ。さても大宮の大相国((藤原伊通))のあたりに、なにごとか侍る。よにもいぶせくこそ侍れ。さらば、なにとなく見る目もつつましきに、帰り給ひて、夜なん必ずおはし侍れ。宮のことも聞かまほしく侍るに」とて、所くはしく教へ給ひて、「必ず」と侍りしかば、暮るるを頼めて行き籠り侍りき。 日の山の端に傾くほども遅く思えて、暮るるや遅き、のたまはせし所に行きたるに、ふつと見え給はず。「悲しさはそら頼めにこそ」と思ひ侍りしを、もしやとて、其の夜は居明かしぬれど、つひにむなしくて((底本「其の夜は」から「つひにむなしくて」なし。諸本により補う。))、やみ侍りぬ。明けて、その里をなん、いかにたづね侍りしかども、ふつと見え給はず。 この静円供奉は、尊恵僧正の遺弟、大宮の大相国伊通の末の御子にぞ。いとけなくおはしける 当初(そのかみ)より、世を遁るる心の深くて、さるべき所のしづかなるをたづねて、常には籠り給ひけるとなむ、伝へ承はりしが、つひに、はたして、早く世を捨て果ていまそかるにこそ。貴く侍り。 「いかなれば、これを見るにも、驚かぬ心にて、あさましき身を惜しみ捨てやらざるらん」と、かへすがへすも心憂く侍り。さこそすて給ふ世なりとも、わづらはしく、唖の真似をさへし給ふらん事のわりなさよ。 それ、徳を隠すに多くの道あり。唐土(もろこし)の釈の恵叡の、八千里隔つる境にいたりて、あやしの姿にやつれて、羊をなむ飼ひ((「飼ひ」は底本「買」。文意により訂正。))給へり。この国の真範は、つたなき形となりて、唖の真似をなんし給へり。これみな、徳を隠しかねて、とかくわづらひ給ふめり。げに、もの言はぬさま示さんほどに、かたきわざや侍るべきと思えて、あはれなり。 いかなりける不思議にや、今さら山をも離れ給ひけめど、世を秋風の吹きそめけむも、そぞろにおぼつかなくも侍り。つらつら思ふに、岸の額に根を離れたる草、江のほとりに繋がざる船にたがはず。この身、今に無常の風の吹きて、いづくともなく船の離れ、草の四方に乱れぬさきに、落ち付くべきことをこしらへ侍るべきにてあり。 そのはかりごと、ただ静円供奉のありやうを、しづかに心に思めぐらして、この振舞ひをもすへべにこそと、思えて侍り。 ===== 翻刻 ===== 過にしころ摂津の国住よしの社の社司のもとに 仏事行事侍りき折節其あたりにふれはひ 侍しかは結縁もあらまほしくおほえてのそみ侍しに 唱道は誰にてかいまそかりけんさしも道心も籠り さきらありし人とは覚す侍りき只乞食かたわらと/k64r なとのみこそ多く侍りしか其中に筵のやれたるを かたはかり腰にまきて鈴と云物をふりておしの物 を乞ふ侍り見れは天台山供奉也僻目かとみ れはあたかもまきるへくもなし定てそれなるこ はいかにと悲しく覚て多の人をわけつつ供奉の方 へまかり侍れは我を見付給てちともさはかす門様へ 出給ぬれは誰も人閑ならん所に行て閑にきこえ侍 らんと思て尻さまに付てまかり侍りぬさて人も なき松の根にもろ共に休み侍りて静円の給ふ様 我山のとさまにすみにくくてあちきなくいつまて/k64l かかからんと思ひてさそらへ出たりし程に其後は道心 もさめなをして帰る(ら歟)まなしかりつれ共とかくさたせ られんうさにかかる身とこそ成ぬれさても大宮の 大相国のあたりに何事か侍るよにもいふせくこそ 侍れさらは無何見る目もつつましきに帰給て夜 なん必すおはし侍れ宮の事も聞まほしく侍る にとて所委をしへ給て必と侍しかはくるるを たのめて行籠侍りき日の山の端に傾く程も をそく覚て暮るやおそきの給はせし所に行たる にふつと見え給はす悲さは空たのめにこそと/k65r 思侍りしをもしやとてやみ侍りぬ明てその 里をなんいかに尋侍りしかともふつと見え給はす 此彼静円供奉は尊恵僧正の遺弟大宮の大相国 伊通のすゑの御子にそいとけなくをはしける 当初より世をのかるる心の深くてさるへき所の閑 なるを尋て常には籠り給けるとなむ伝承しか ついにはたして早く世を捨果ていまそかるに こそ貴く侍りいかなれは是を見にも驚かぬ心にて あさましき身をおしみ捨やらさるらんと返々も 心憂侍りさこそすて給世なりともわつらはしく/k65l おしのまねをさへし給らん事のわりなさよそれ とくをかくすに多の道有唐の釈の恵叡の八千里 隔る堺に至てあやしの姿にやつれて羊をなむ 買ひ給へり此国の真範はつたなき形と成てお しのまねをなんし給へり是皆徳をかくしかねて とかく煩給めりけに物いはぬさま示さん程に難き わさや侍るへきと覚て哀なりいかなりけるふしき にや今更山をも離れ給けめと世を秋風の吹そめ けむもそそろにおほつかなくも侍り倩思ふに岸 の額に根を離れたる草江の辺につなかさる/k66r 船にたかはす此身今に無常の風の吹きていつく ともなく船のはなれ草の四方に乱ぬ先に落付 へき事をこしらへ侍るへきにてあり其はかりことたた 静円供奉の有やうを閑に心に思めくらして此 振舞をもすへきにこそと覚て侍り/k66l