撰集抄 ====== 巻3第1話(17) 見仏上人 ====== ===== 校訂本文 ===== いにしへ、ある聖とともなひ侍りて、越路(こしぢ)のかたへ越え侍りき。能登国いなやつの郡の内に、山海まじはりて、ことにおもしろく思ゆる所あり((「郡の」から「所あり」まで、底本なし。諸本により補う。))。人里はるかに離れたる岩ほさがしくて、いたく荒磯なり。よにも心のとどまりて思え侍りしかば、しばらくやすらひて見侍りしに、岸、そのこととなく、そびえあがりて、木どもら、よしありて生ひて、岩屋のめでたき見ゆめり。 ゆかしさに、急ぎ寄りて侍るに、齢(よはひ)四十(よそぢ)ばかりの僧、座して侍り。かの岩屋は南向きにてなん、海を前に受け侍り。ことに心も澄みていまそかりげに侍りき。ただ、着のまま、帷衣のほかには、なにものもあたりに見えざんめり。 なつかしく思えて、「いづくの人にかいますらん。所ざまさこそ、すみよしと思すらん」と申し侍りしかば、この聖、すこし頬笑(ほほゑ)み給ひて、かく、   難波潟むらたつ松も見えぬ浦をここすみよしと誰(たれ)か思はむ とのたまはせ侍りしかば、なにとなう、あはれに思ひて、かく、   松が根の岸打つ波に洗はれてここすみよしと思ふばかりぞ と詠みて侍りしかば、この聖も、いとをかしげにいまそかりき。 「さても、誰人にてか、いまそかるらん。いつも、この所に住み給ふにや」なんど尋ね侍りしかば、「いさとよ、人は『月まつしまの聖』とこそ呼ばひ侍れ。また、いつもここに住にはあらず。月に十日は必ず来て住むなり。そのほどは、なにも食ひ侍らず」とのたまひ侍りしに、あさましくて、「さては、見仏上人と聞こえ給ふ人の御ことにこそ」と、かたじけなく思えて、「われをば西行となん申すに侍り」と、おそれおそれ申し侍りしかば、「『さる人あり』と聞く」とのたまはせ侍りき。 さてしも侍るべきにあらざりしかば、名残は多く侍りしかども、心留る法文など問ひ奉りて、泣く泣く別れ去り侍りき。帰へるさには、見え給はざりしかば、わざと四日の道を経て、松島へたづね参りて、かの寺に、二月ばかり住みて侍りき。 このこと、げに思ひ出だすに、涙のいたく落ちまさりて、書き述べん筆、立つべき所も見え分かず侍るにこそ。この松島のありさまも、ゆかしくしづかにして、心も澄みぬべきをふりすてて、多くの海山を隔てて、はるばる能登の境(さかひ)までいまそかりて、松風につけ、いとど思ひをまし、寄り来る波に澄める心を洗ひ給ひけんほど、いといさぎよく思え侍り。 身に従へる人もつかず、命を助くる糧(かて)をもしらべ給はで、十日の間住みわたりておはしけん、心の中の貴さは、並ぶる者や侍る。せめて春夏のほどはいがかせん、冬の空の越路((「越路」は底本「心地」。諸本により訂正。))の雪の岩屋のすまひ、思ひやられて、そぞろの涙のしどろなるに侍る。 いかなれば、人の同じ心おこしながら、山を隔つるまでにかはるらん。道心深き人なども、世をのがれ侍りて、しづかなる寺などに住むは、習ひなるぞかしに、鳥のわづかに鳴く声と、庭を払ふ風((「払ふ風」は底本「松風」。諸本により訂正。))の、よりよりいらかに訪づるるほかは、澄みかへりたる松島をさしおきて、人もなぎさの浜風に、わづかに麻の衣袖を吹かせて住み給ひけんは、心なき身にもあはれに思ゆるを。 弟子などにも知られ給はざりけめばこそ、たづね来たる人もなかりけめ。松島に侍りしほどにも、上の弓張の十日のほどは、かき消し失せ給ひにしは、「また、能登の岩屋に住み給ふにこそ」と、あはれに悲しく侍り。 失せ給へるほどは、一の弟子の寺のはからひ侍りけるなり。月ごとにあるわざなんめれば、今さら思ひ驚く弟子も侍らざりき。 ===== 翻刻 =====   撰集抄第三 以往或聖と伴ひ侍りてこし路の方へ越侍りき 能登国いなやつの人里遥に離たる岩ほさかしく ていたくあら礒也よにも心のととまりておほえ侍りし かは暫休らひて見侍りしに岸そのことと無そひへ あかりて木ともらよしありておいて岩屋の目出 きみゆめりゆかしさに急ぎ寄て侍るに齢四そち はかりの僧坐して侍り彼いはやは南向にてなん 海を前にうけ侍りことに心もすみていまそかり けに侍りき只きのまま帷衣の外にはなに物も/k61l あたりに見えさんめりなつかしくおほえていつくの 人にかいますらん所さまさこそすみよしとおほ すらんと申侍しかは此聖すこしほほゑみ給てかく なにはかたむらたつ松も見えぬうらを ここすみよしとたれかおもはむ との給はせ侍りしかは何となう哀に思てかく まつか根のきしうつ浪にあらはれて ここすみよしとおもふはかりそ と読て侍りしかは此聖もいとをかしけにいまそかり きさても誰人にてかいまそかるらんいつも此所に/k62r 住給ふにやなんと尋侍りしかはいさとよ人は月まつ しまの聖とこそよはひ侍れ又いつも爰に住には 非す月に十日は必す来てすむ也其程はなにもくい 侍らすとの給ひ侍りしに浅増てさては見仏上人 と聞え給ふ人の御事にこそと忝覚て我をは西行 となん申すに侍りと恐々申侍りしかはさる人ありと 聞との給はせ侍りきさてしも侍るへきにあら さりしかは名残は多く侍りしか共心留る法文なと 問奉りて泣々別さり侍りき帰さには見え給はさりしかは わさと四日の道をへて松島へ尋参て彼寺に二月は/k62l かり住て侍りき此事けに思出に泪のいたく落ま さりて書述へん筆立へき所も見えわかす侍にこそ 此松しまのあり様もゆかしく閑にして心もすみぬ へきをふりすてて多くの海山をへたててはるはる能 登のさかひまていまそかりて松風に付いとと思ひを ましよりくる浪にすめる心をあらひ給けんほと いといさきよくおほえ侍り身にしたかへる人もつ かす命を助くるかてをもしらへ給はて十日の間 住渡てをはしけん心の中の貴さはならふる物や侍る 責て春夏の程はいかかせん冬の空の心地の雪/k63r の岩屋のすまひおもひやられてそそろの泪のしと ろなるに侍るいかなれは人の同心おこしなから山を へたつるまてにかはるらん道心ふかき人なとも世 を遁侍りて閑なる寺なとにすむはならひ成そ かしに鳥のわつかに啼声と庭を松風のよりより いらかに音つるる外はすみかへりたる松しまをさ しおきて人もなきさの浜風に僅にあさの 衣袖をふかせてすみ給けんは心なき身にも哀 に覚るを弟子なとにもしられ給はさりけめ はこそ尋来る人もなかりけめ松しまに侍りし程/k63l にも上の弓張の十日の程はかきけし失給にしは 又能登の岩やに住給にこそと哀にかなしく侍り 失給へる程は一の弟子の寺のはからひ侍ける也 月毎にあるわさなんめれは今更思驚く弟子も侍 らさりき/k64r